「奥様」と辞書を引くと「他人の妻を敬っていう語」とある。
大きなお屋敷の奥にいる人だから、「奥様」。
自分の妻を奥様と言えば、自分の屋敷が立派だぞと言っているのと同じである。
しかし、最近の若い人(自分も含めてw)は、自分の妻を奥様だの奥さんだの言っている。
照れ隠しで、ちょっと距離を置く感覚で使ってしまうのだ。
これって誤用ということになるだろう。
最近の日本語の誤用で話題になったのは、「役不足」(正:能力に対して、役目が軽すぎること。誤:役目に能力が追いついていないこと)、「情けは人のためならず」(正:情けを人にかけておけば、巡り巡って自分によい報いが来るということ。誤:情けは人のためにならない)などがあるが、うっかり間違って使ってしまいそうだ。
なんて、マスコミはおもしろおかしく騒ぎ立てるが、国語学者の先生などは至って冷静で、言葉は生きているものだから、時代とともに意味も変化してくると言っている。
「言語道断」とは、もともとは、仏教用語で、真理は言葉では表せないほど奥深いものだという意味。昔は、言葉で言い表せないほど立派なことを言う言葉であった。
現在は、とんでもなく悪いという意味であるが、時代とともに変化して、まったく反対の意味になった言葉である。
辞書には、正反対の意味が別々に載っている。
言葉の変化を楽しむのも一行。辞書に、「自分の妻を照れ隠しで言う言葉」と載る日も近いか?
大きなお屋敷の奥にいる人だから、「奥様」。
自分の妻を奥様と言えば、自分の屋敷が立派だぞと言っているのと同じである。
しかし、最近の若い人(自分も含めてw)は、自分の妻を奥様だの奥さんだの言っている。
照れ隠しで、ちょっと距離を置く感覚で使ってしまうのだ。
これって誤用ということになるだろう。
最近の日本語の誤用で話題になったのは、「役不足」(正:能力に対して、役目が軽すぎること。誤:役目に能力が追いついていないこと)、「情けは人のためならず」(正:情けを人にかけておけば、巡り巡って自分によい報いが来るということ。誤:情けは人のためにならない)などがあるが、うっかり間違って使ってしまいそうだ。
なんて、マスコミはおもしろおかしく騒ぎ立てるが、国語学者の先生などは至って冷静で、言葉は生きているものだから、時代とともに意味も変化してくると言っている。
「言語道断」とは、もともとは、仏教用語で、真理は言葉では表せないほど奥深いものだという意味。昔は、言葉で言い表せないほど立派なことを言う言葉であった。
現在は、とんでもなく悪いという意味であるが、時代とともに変化して、まったく反対の意味になった言葉である。
辞書には、正反対の意味が別々に載っている。
言葉の変化を楽しむのも一行。辞書に、「自分の妻を照れ隠しで言う言葉」と載る日も近いか?