また、卒論が間に合わない夢を見ました。
自分は理系の学問をしていたので、実験データが必要だったのですが、どう考えても時間が足りない状況で困っている状況です。
実は、昨年の7月も、同じネタで記事を書いていました。

検索してみると同じような夢を見ている人がいて、知恵袋等で相談している人も多くいました。
卒業後、10年も経っているのに……、わたしは40過ぎていますが未だに見ます……等々。
いやいや、還暦過ぎても見るよ!
その解答には、ポジティブに捉えているものが多く、自分もポジティブに解釈しようと思ったわけです。
おそらく、今回は、メルカリで品物が3点、梱包が終わったものを天候が悪かったので次の日送りにしたのが心に引っかかっていたのでしょう。期限に余裕があるから問題はないのですが、待っている人にとっては1日でも早く品物を受け取りたいでしょうから。
夢の話に戻りますが、なぜ、卒論なのかです。
確かに、卒論の提出は、期限ギリギリに滑り込みで行いました。当時は専用の原稿用紙に万年筆で書くのが暗黙の決まり事で、書き損じが多く時間がかかったのです。
人生でそれが最高の締め切りのプレッシャーだったとは、なんと幸せなことでしょう。
仕事では、やれるときにやれることをやって、余裕を持って片付けていました。ネット時代になって分刻みの締め切りになってきても、そのころは年の甲で、何を優先すべきか瞬時に組み立てられたので、焦らないで済みました。
失念していた仕事も、なぜか締め切りに余裕を持ってかたずけられるギリギリのタイミングで思い出す幸運に恵まれていて、「あ、忘れてた、このタイミングで思い出してラッキー」ということがいつもありました。
そういう意味では、卒論が人生の最大のストレスだったのかと思うと、ずいぶん幸福な半生だったと思います。