題名が彰義隊であるが、彰義隊が主人公では無く関わった輪王寺宮能久親王 が主人公です。
輪王寺親王は、明治天皇の叔父にあたるものの、幕末の混乱の中、徳川慶喜の助命嘆願から彰義隊の擁立、逃亡の末、奥羽越列藩同盟の盟主に祭り上げられ、図らずも逆賊となってしましました。
吉村昭の幕末物は、逃亡劇が多いです。それを読んで思うのは、人間の感謝の念のすごさです。命や人生をかけて、落ち目の逃亡者を助ける人が多いこと。自己啓発や宗教でしきりに「感謝」が大切と言いますが、本当の感謝は口には出さず、その人がほんとうに困って落ちぶれたとき、自分の生命や人生をかけても助けることなのだと解ります。
自分は、これくらい他人に感謝したことは無いのではないだろうかと恥じ入りました。
この小説が吉村昭の最後の歴史小説となったようです。幕末物で、『天狗騒乱』『長英逃亡』『桜田門外の変』『幕府軍艦「回天」始末』『夜明けの雷鳴』など読んできましたが、余計な誇張や演出が無いので、同じキャラクターが出てきてもまったく違和感なく受け入れられるところが氏の歴史小説の優れた面でしょう。
現代日本では、火葬が99.9%なので、法律で火葬にしないといけないと思っていましたが、どうも違うようです。
土葬でも良いようです。
ということで、読んでみました。
最近まで行われていた土葬のやり方が書いてあり、そのあと、野焼き火葬、風葬(遺体放置)とつづきます。
そして世界の埋葬を少し交えながら、土葬、野辺送りの怪談・奇譚 で締めくくられていました。
皆、それぞれに意味があり、時代や地域事情などにより、埋葬の仕方も変わっていったようです。
特に面白いと思ったのは、日本の野焼き火葬です。野で薪を積み遺体を焼くのですが、他の国と違い、濡れむしろをかぶせるというのです。こうして死体を低い温度で蒸し焼きにすることによって、骨がばらばらにならずにきれいに白骨化するのだとか。
いろいろな埋葬の仕方を知って、自分がどのように埋葬されたいか、答えがでました。
結論は、どうでもいいでした。
時代やそのときの事情によって、多種多様な埋葬方式があり、どれもが意味があるのです。インドでは遺体を川に流してしまいますが、生まれ変わりを信じているので、遺体に興味がないのだそうです。
死んでしまったら煮るなり焼くなり好きにしてもらって良い気になれました。
降雪と寒さがつづいたので、簡単に上れる護摩堂山へ行ってきました。
白い道は気持ちが良いです。頂上付近にあるあじさい茶屋まで、軽トラックがいける道があるので傾斜が弱く楽に歩行できます。
去年の秋にマムシと遭遇した地点も雪道になっていて、こわくないもん。
頂上から、弥彦山と新潟平野が見えます。
新潟市に目を向けると、意外と白い町だったことに気づきました。
頂上は、こんな感じで、登山者が多いですね。
日が照ってくると枝に積もった雪が落下してくるので、気をつけながら降りました。
春が待ち遠しい。