太平洋戦争時に、アメリカ軍の戦略爆撃のジェノサイドにより親を失った子供たちは、いかにして死んでいき、生き延びていったのかのドキュメントです。
元浮浪児で成功した者、死刑囚になった者、孤児院で働いていた人、養護施設に残された子供たちの手記などを集め分類し多種多様な浮浪児の生き様を記しています。
関係者の年齢を考えると最後のチャンスというタイミングで綴られる文章は、迫力がありました。
当時の上野の愚連隊やテキヤ、朝鮮人ヤクザなどの複雑な力関係、警察の動きなども事細かに調べてあり、説得力がありました。
闇市で働く浮浪児の所得は、当時のサラリーマンの何倍もありましたが、ねぐらにしている上野の地下街は、家を失った人たちがごった返す治安が悪い場所だったため、朝起きると確実に金が盗まれているのです。だから、その日の稼ぎはその日のうちに使ってしまうから、いつまでも貧困であるという循環に唖然としました。
孤児院の食糧事情は最悪で労働も伴うので、浮浪児たちはそこに入れられるのを恐れ逃げ回っていました。
そこから、私設の条件が良い孤児院があり、そこに浮浪児たちが集まっていき、記録が残されていたのがこの本を面白くしています。
最後に心に残ったのは、養護施設で働く女性の言葉でした。
昔の子(浮浪児)は強かった、人としての芯があった。今、私設にくる子は芯がない。何かあるとすぐに諦めてしまう。
浮浪児は、家族に愛されていた時間があった。だから心に芯があり、何かあってもくじけない。
今、私設に来る子は、家族に虐待されたり、捨てられたりした子がほとんどで、愛された時間が無い。だから心に芯がない。
親でも誰でも良いから、愛された記憶がある子には芯がある。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます