むぎわら日記

日記兼用ブログです。
野山や街かどで見つけたもの、読書記録、模型のことなどを載せております。

『脳の意識 機械の意識』渡辺正峰 (中公新書)

2025年02月20日 | 読書
意識が生まれる仕組みを科学的に解明し、意識を持つ機械を作り出せるのか。これを考えるとき、まずは意識とは何か? この定義から入ることになります。
この本では、リンゴを見たとき、「あ、リンゴが見えた」と思うこと(クオリア)を意識と定義しています。デジカメでリンゴの写真を撮ったときは、色のドットの散らばりを機械が認識しているだけなので、リンゴだとは思っていませんから、意識ではありません。
また、人間は、目に見えていても意識に上がらない視野もあり、視覚は多くの面で脳が作り出したものなのです。これを簡単な錯覚を伴う図なので、読者に体験させながら、実際のものと脳が修正して、わたしたちの意識に上げてくるものは違うと体感させられます。
風景の色は、実際にはついていないと言います。電磁波(光)の波長の違いによって違う色に見えるのですが、赤と紫の波長は、可視光線の中の長い・短いの両端にあるのに、色彩として見たときは近い関係にあります。つまり、波長の長短をグラデーションのように感じているのではなく、脳が作り出した色彩を意識しているのです。
また、よく言われることですが、行動が先で意識が後という脳の仕組みも明らかになっており、右手を上げようと意識する前に、すでに右手を上げる信号が脳から発信されているのです。意識は後付けなのですが、あたかも先だったように修正されるのが脳の奇妙なところです。
捉えどころがない課題を一つずつ解決していく科学者たちの苦闘が描かれています。意識は主観、科学で扱うのは客観。機械に意識を持たせることが出来るのか。
グーグルのレイ・カーツワイルは、21世紀半ばまで意識を機械に移植できると予言していますが、どのように人間の脳と機械を接続させ、それを確認できるかの技術的な解説もされていました。
さも意識があるようにふるまうAIの実用化は可能でしょうが、ほんとうに意識があるとわかるのは、脳と接続された機械が見たものが、脳に意識として見えることが必要となります。
この本を読んだ限りでは、まだまだ、迷宮の入口に立っている感が強かったですが、わたしが生きているうちに、意識の自然則が解明されることを期待します。

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『小隊』砂川 文次 (文春文庫) 

2025年02月17日 | 読書
第166回芥川賞作家(元自衛官)のデビュー作と芥川賞候補になった2作品が収録されているお得な本。
特に表題作の「小隊」が秀逸でした。このときの芥川賞はベストセラーになった『推し、燃ゆ』なのだから、相手が悪かったと思えます。
北海道に上陸したロシア軍を迎え撃つ自衛隊の小隊長が主人公。ユニークな点は、三人称一視点でありながら極めて一人称に近い視点で描かれていて、視点は常に主人公の内面にあります。そのため、小隊長である主人公が認識している情報しか知ることができない戦場の緊迫感がみごとでした。
避難を拒んでいる住民の安否確認の巡回から、いつ攻めてくるのか分からないロシア軍を待ち受ける陣地のたいくつさから始まり、このまま、だらだら行くのかなと思った頃に、ロシア軍が動き出します。
激しい戦闘なのですが、全員が実戦未経験者の自衛隊での訓練の成果だけを頼りに繰り広げられます。勝っているのか負けているのか、断片的な情報で、行動するしかありません。
著者は元自衛官なので、自衛隊がどうなるかを想像してリアルに描くことにかけては右に出る者がいないでしょう。
2021年1月20日決定発表の芥川賞の受賞を逃していますが、2022年2月24日にロシア軍がウクライナに侵攻していますので、文壇はどこに目をつけていたのだ? と芥川賞のサイトを覗くと、慧眼or節穴審査員が誰か解ってしまいます(笑)

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『立花隆の最終講義』立花 隆 (文春新書)

2025年02月14日 | 読書
七十歳の立花隆が、二十歳の東大生達を相手に説教した六時間の記録。
七十過ぎて怖いものなしの立花隆が、のっけからスロットル全開で飛ばします。
序から、死についてとかダークサイドを知れとか、自分の中の天動説を捨てろとか、パワー全開、容赦なしの語りが続いています。
親父の豆知識をマシンガンのごとく浴びせるのは普通の知的オヤジですが、さすが知の巨人、豆どころか広範囲の深い知識がつまった巨大な脳を千切っては投げつけてくるので多連装ロケット砲も真っ青な迫力です。
東大生と言っても、圧倒されたことでしょう。
あとで、理系の学生は理系の部分を、文系の学生は文系部分をまとめたと言っていますが、戦死者もかなりの数に上ったのではないでしょうか。
内容については、広く深く、脳の構造から、欧米の誌の世界まで、様々すぎて読んでもらうしかありません。さすが七十年の蓄積とそれが網の目のように繋がっていることに驚かされました。
わたしは、頭が良い人は若いころのことをよく覚えているなと感心することがありますが、立花隆の場合は、若いころの積み上げを大切にしているように感じました。

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『人間はどこまで家畜か』熊代 亨 (ハヤカワ新書) 

2025年02月10日 | 読書
野生動物が進化の過程で、家畜になる道を選ぶと、大人しくなり角や牙が退化する現象が見られます。これを自己家畜化と言いますが、人間にもその傾向があります。カッとなって攻撃性をむき出しにするような人間は社会で生きていけません。 遺伝子レベルを越えて社会レベルでも近年急速に自己家畜化が進んできました。その恩恵として犯罪が少なく安全で長寿な生活環境を手に入れることができましtあ。
しかし、家畜人になれない子どもが要支援・要治療が必要な発達障害として急激に増えてきています。一昔前なら、問題にならなかった行動、つまり、黙って座って授業を受けられないだけでも、一般の家畜化された生徒から区別にされてしまいます。子供どころか、大人の発達障害という言葉も使われるようになりましたね。
自己家畜化のスピードが速くなってきており、人間の進化が追いついておらず、取り残される人々が増えてきているためだと著者は考えています。 また、その治療に使われる薬(覚せい剤のようなもの)を健康な人が使用すると、眠気を感じなくなり長時間の仕事に集中できるようになり、競争が激しいアメリカの社会では問題となってきています。仕事効率を求めるあまり、生物としての人間性をないがしろにした薬剤を使用した家畜化が進んでいくのではないかと懸念しています。 さらに生権力(統計的な調査等にもとづいた働きかけ、例えばフードコートの椅子を硬くし回転率を上げるなど)によるコントロールが行われれば、知らず知らずのうちにある方向へ誘導も可能となると指摘しています。
ここからどう人間の生物としての身体と、家畜化された精神のバランスを取って行くかによって人類の未来は変っていくと指摘されています。

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『エピデミック』川端裕人(集英社文庫)

2025年02月07日 | 読書
突然の高熱に襲われ、重篤な肺炎を引き起こすインフルエンザに似た未知の病気が発生します。広がるにつれて、マスク無しでは外を歩けなくなり、やがて自主的な外出規制が要請されます……子どもが感染しても回復するか無症状ですが、大人が感染すると重症化し死に至ってしまいます……病院に収容しきれなくなった患者は軽症の者は学校を利用した施設へ収容されることになります……この小説は2007年に発行され、コロナ禍の2020年に復刊されました。
著者の川端裕人は、日本テレビ時代に科学技術庁、気象庁の担当記者として活躍しており、その経験を生かした小説『夏のロケット』『雲の王』などでも、先端の科学技術を文系にもわかるように描き切る才能を発揮していました。
本書は、感染の元栓を締めるために奮闘するフィールド疫学者(疫学探偵)の活躍をメインに、病院、医院、保健所、マスコミ、行政などの動きを描く群像劇となっています。
限られたデータしかない中で、感染元を特定したい疫学が用いる武器は、2×2のオッズ表で、小学生でも理解できる簡単なものです。あとは足でデータを集めるしかありません。文庫本で600ページを超える中に、鴨の大量死、バイオ研究所、コウモリ、マングース、免疫増進を謳うミネラルウォーター、打ち上げられた鯨の死体、絶滅を予言しながらさ迷い歩く少年など、怪しげな奴らが多数登場して、これらを一つ一つつぶしていくことになります。
疫学の力は、感染源を突き止め、新型ウイルスを封じ込めることが出来るのか。その間のマスコミ、政府、医療関係者、住民などの人々の動きを追いながら、物語は進行していくのです。


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『江の島ねこもり食堂』名取佐和子 (ポプラ文庫)

2025年02月04日 | 読書
江の島は猫の島。そこに〈半分停〉という食堂がありました。その女主人は、代々、ねこもりサンと呼ばれて、野良猫たちの世話をする役割があったのです。
本書は五つの短篇で構成された連作短編集ですが、最初の話で、いきなり、ねこもり一家が夜逃げしてしまいます。
二話目で時代はさかのぼり1915年となり、その後、1話ごとに世代が進んでいく構成となっています。
なんとなく切ない話が多いですが、時代時代に翻弄されながら猫を見守り、猫に見守られねこもりさんたちは江の島で生きているのでした。
そして、100年後、奇跡の復活を果たすねこもりさん。
小さな自営業も、ここまでつながれば、お話になるのです。

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『「砂漠の狐」ロンメル』大木 毅(角川新書)

2025年02月01日 | 読書
昭和のミリタリー小僧の間で、もっとも有名な将軍と言えば、砂漠のキツネことロンメル将軍だと思います。第二次世界大戦中、北アフリカ戦線で少数戦力のドイツアフリカ軍団を率い、イギリス軍を蹴散らした将軍です。そして、ヒトラーの暗殺を計画した一人として自殺を強要され最期を迎えました。
しかし、彼の生涯は、誇張された英雄譚や、逆に貶めるような書物も多く、現実の姿をつかみにくいことも確かでした。日本でのロンメル研究も古いものの流用や誇張が多く、遅れており、自衛隊のドイツ語の堪能な古参が引退するとともに、その傾向が強くなっていきました。
本書では、できるだけ真実に沿ってロンメルの生涯をつかもうと、嘘は嘘、真実は真実、不明なものは不明とハッキリと明記し、その実像にせまります。
ロンメルは、陸軍のエリートコースを歩めず、アウトサイダーとして歩を進めることになります。第一次世界大戦中から、才能を発揮し大きな戦果を上げ、その後、ヒトラーのお気に入りとなり出世コースに乗りました。
フランスでは、88mm対空砲の水平射撃でフランス重戦車を撃破し、味方のピンチを救います。そして、北アフリカ戦線で壊滅の危機に瀕したイタリア軍を救うことになるのです。
最初は防衛を目的に送り込まれたロンメルでしたが、直ちに攻撃に移り奇襲となったためイギリス軍を大きく後退させることに成功しました。
その後、一進一退がつづきますが、ついにトブルクの要塞を陥落させ、砂漠のキツネの異名でイギリス軍から恐れられることになったのでした。
本書による総合的な評価は、戦術レベルでは天賦の才があるが、参謀としての教育を受けていないため作戦レベルでは兵站軽視(あるいは無視)の動きが多くあり、最前線で指揮を取るため、しばしば行方不明になるなど問題がありとなります。
一見、猪突猛進型に見えますが、迂回攻撃など臨機応変な動きを見せ、退却戦も見事にこなしています。アフリカ軍団の敗戦は、イタリア海軍の軍事物資の輸送が滞ったためとロンメルは言っていますが、実際は8割以上が陸揚げされていました。ただ、その物資が全線まで届かなかっただけで、トラック不足だったということで兵站軽視の姿勢が明らかとなります。
ロンメルの魅力は、騎士道精神で戦い、非人道的な命令は例えヒトラーからのものであっても従わなかったフェアな将軍だったということだろうと結ばれていました。
北アフリカ戦線を題材にしたプラモデルも作りました。


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『国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源』ダロン・アセモグル、ジェイムズ・A・ロビンソン

2025年01月28日 | 読書
「メキシコとアメリカの国境が街中を2分する都市ノガレス」「韓国と北朝鮮」「ボツワナとジンバブエ」など、地理的、民俗的、文化的に差がないのに経済状態に大きな差が出ているのはなぜか? という問いから始まり、繫栄している国家と貧しい国家の極端な差はどこからくるか考察します。
この本では、今まで言われてきた地理(気候・風土)、知識、文化の違いなど、すべてを否定し、政治・経済制度1本に絞って古今東西の事例をあげ解説しています。
それによると、財産権を守る法律等を厳守させることができる中央集権、多元的な包括的(いろいろな分野、立場の人たちの意見が通る)で、創造的破壊(昔からの産業の破壊、既得権益の放棄等)を許容できる政治体制 、財産権を守り誰でも参入できる包括的な経済体制をしけた国が豊かになるとしています。
反対に収奪的な政治経済の体制からは、イノベーションが起きないため発展が見込めず、貧しいままとなると主張します。
また、収奪的な政治体制からも目を見張るような発展をしている事例(WW2以降のソ連や、現在の中国)などもありますが、既存の技術を取り入れて資本をそこに集中することにより一時的には発展できてもイノベーションが起きないため、頭打ちになると主張しています。
特に注目すべきは、中国に関して、大きな政治改革で包括的な政治体制にならないかぎり発展は限定的になるだろうと大胆な予測をしています。
この本に書いてあることを鵜のみにすると、途上国への無暗な投資は非効率であり、政治体制を見極めながら行うのが良いということになります。『ファクトフルネス』などを読んで途上国への投資は有望だと感じていたので少し考え直してみようかと思いました。

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『襤褸の詩』西村寿行(光文社文庫)

2025年01月25日 | 読書
『蘭菊の狐』の続編となっていますが、キャラクターがスライドしているだけで、雰囲気はまったく別物です。前作にあった村八分や狐憑きのような古い田舎の闇を描くこともなく、エンターテインメントに徹しています。
前作のズッコケ三人組、年寄でドジばかりの掏摸、サイコロ賭博が廃れ仕事がないツボ振り、運び屋の女と寝て首になった元刑事が、中国の機密文書を擦ったばかりに諜報機関に追われます。諜報機関も公安の息がかかったD機関、KGB(ソ連の秘密警察)に雇われたX機関、台湾の諜報組織V局員の超絶美女の6人衆が絡んでさあ、たいへん。
しまいには、山奥に隠れ住む美男・美女の武闘家村まで加わり、乱闘しながらエッチし放題の御乱交ときました。
とにかく、アクションとエッチの連続で、しかも、SM、ホモ、レズのオンパレードとくれば、もうエロスを通り越してギャグの域に達しています。
読む必要はありませんし、読んでも何も得られません。
フロイト式にいえば、エスの解放としての祭りであります。
読み終わった後に、祭りの後のガランとした空を見上げているような清々しい気分になれました。

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『死刑囚最後の日』ヴィクトル・ユゴー(青空文庫)

2025年01月23日 | 読書
フランスの詩人で小説家であるユゴーが、死刑廃止を訥々と語る本。
前半は、死刑囚の最後の1日を一人称視点で追う小説となっており、後半がユゴーが死刑制度に反対する理由が訥々と述べられています。
死刑の残虐さと、残された死刑囚の家族の悲哀が強く打ち出されていて、死刑執行人がいなくなる社会の到来を望んでいました。
初出が1829年で、フランスで死刑が廃止されたのが1981年であり、150年も前に、1冊の本として、訴える勇気は特筆すべきものでありますし、それが出版され受け入れられる社会が存在したことは驚くべきことです。
しかし、この本の効果は限定的で、ここに書かれていることだけでは、死刑制度廃止には不十分であったことの証明でもあります。
日本では、いまだ死刑制度がありますが、死刑を命じたり執行したりする者の負担を考えると、他に良い方法は無いものかと考えたりしてしまいます。

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