『スミス都へ行く』(39)(1982.12.12.)
田舎者のスミス(ジェームズ・スチュワート)は地元のボーイスカウトのリーダーだったが、死亡した上院議員の代わりに、政界に担ぎ出される。スミスはそこで政治の腐敗を知り、単身立ち向かうが…。
フランク・キャプラ映画のラストは、どれも見え見えのハッピーエンド。普通なら何だばかばかしいとなるところだが、なぜか彼の映画は一味違う。今の目から見れば、特に作り方がうまいというわけでもないのに、これでいいのだと妙に納得させられてしまうところがあるのだ。この映画にしても、最後に悪徳政治家が改心することなど、現実の世の中では起きるはずもない。それなのに快い感動を覚えるのは一体なぜなのだろう。
多分そこには、現実の世の中では見失われている人間の良心が描かれているからなのだろう。人間は本来こうあるべきなのに、現実はあまりにも正直者がバカを見るようなことが多過ぎるのだ。
キャプラが活躍した時代は遥か昔であるにもかかわらず、いまだに鮮度を失わないのは、実は悲しむべきことなのかもしれない。また、今のスピルバーグの映画などは形こそ違え、キャプラ的なものだと言えなくもない。そう考えると、人間同士が繰り広げる夢物語が、いつの間にか宇宙にまで手を広げなければ描けなくなっているということなのか、とも思わされる。
ジェームズ・スチュワート、若い頃は大根役者だった、などという話を耳にしたことがあったが、どうして、どうして。こんなスミスみたいなお人好しは彼にしか演じられないと思わせる名演だった。脇役も悪徳政治家役のクロード・レインズやトマス・ミッチェルが頑張っていたが、何と言っても議長役の俳優が光った。誰かと思って調べてみたら、ハリー・ケリー・ジュニアの親父、つまりハリー・ケリーなんだと…。
フランク・キャプラのプロフィール↓
ジェームズ・スチュワートのプロフィール↓
ジーン・アーサーのプロフィール↓
パンフレット(54・東宝事業課(日比谷映画劇場 No54-14))の主な内容
ものがたり/かいせつ/「スミス都へ行く」を見て(飯島正)/ジーン・アーサー、ジエームス・スチユアート、フランク・キャプラ