田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

『孤独な天使たち』

2018-11-27 12:20:36 | 映画いろいろ
 ベルトルッチも逝ってしまった…。彼の監督作についてはいくつかメモが残っている。まずは遺作となった

『孤独な天使たち』(2013.4.4.)



 ベルナルド・ベルトルッチ、10年ぶりの監督復帰作。両親が旅行に出掛けた1週間、地下室に潜んだ少年と異母姉の姿を描く。

 ベルトルッチの映画にしては、随分とこじんまりとしていて驚いたが、地下室という閉ざされた空間での秘密の行為は『ラストタンゴ・イン・パリ』(72)を思い起こさせ、麻薬中毒の姉を見守る弟というのは、同じく麻薬中毒の息子を見守る母という『ルナ』(79)の逆パターンでもあり、実は彼がこだわり続けてきたエディプスコンプレックス的な母性について描いた作品だとも言えるのでは、と感じた。

 何より地下室のセットがいい。劇中に流れるデビッド・ボウイの「スペイス・オディティ」のイタリア語バージョンも印象的だった。
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『ジェラシー』

2018-11-27 11:16:42 | 映画いろいろ

 亡くなったニコラス・ローグの最高作はデビッド・ボウイ主演の『地球に落ちて来た男』(76)だろうが、彼の監督作でメモが残っていたのはこちら。



『ジェラシー』(1982.6.21.蒲田パレス座。併映は『ミッドナイトクロス』)

 深夜のウィーン、薬物自殺を図った女(テレサ・ラッセル)が病院に運び込まれる。付き添いの男(アート・ガーファンクル)は、刑事(ハーベイ・カイテル)から事情聴取を受ける中、彼女との日々を回想する。原題は「バッド・タイミング」。

 これは男に対する女の復讐劇か。男を散々振り回し、未練を断ち切れない男の前で自殺を図りながら、しっかりと一命をとりとめ、意識のない自分を犯した男を告発する。この魔性の女を演じたラッセルと、刑事なのに怪しさを発散するカイテルが素晴らしい。

 この映画、過去とも現在ともつかない展開を見せるのだが、迷うことなく引き込まれた。それは愛というものの不確かさや不条理が的確に描かれていたためか。その象徴として映るクリムトやエゴン・シーレの作品、そこに流れるキース・ジャレットの「ケルン・コンサート」が印象に残った。

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『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』

2018-11-27 08:25:24 | 新作映画を見てみた

 進行性の筋ジストロフィーを患いながら自立生活を送り、堂々と自己主張をしながら生き抜いた鹿野靖明(大泉洋)。彼と彼の日常を支え続けた大勢のボランティア(通称ボラ)の姿を、実話を基にユーモアを交えながら描く。キャッチコピーは「体は不自由、心は自由」だ。



 この映画は、鹿野とボラたち(三浦春馬、高畑充希ほか)が、互いに影響を与え合いながら変化していく、出会いの物語。やがて鹿野とボラは疑似家族のようになっていく。

 見る側も、最初はタイトル通りにボラをこき使う鹿野を見ながら、「何だこのわがままな男は」と反感を抱くが、やがて鹿野のポジティブな生き方やボラの献身ぶりに胸打たれ、彼らに感情移入していくようになる。つまり観客も映画を見ながら変化していくのだ。

 前田哲監督は「鹿野の命懸けで真剣な生き方を知ってもらうためには、観客がなじみやすいコミカルさを交えて間口を広げ、彼が生きた証を残したい」と考えたという。それだけに、この手の映画によくある“お涙頂戴式”にはせず、あくまでもエンターテインメントとして描いた姿勢に好感が持てた。

 そして、それが実現できたのは、ひとえに大泉の好演があればこそ。スタッフは「鹿野を演じられるのは大泉洋しかいない」と考えたというが、同じ道産子だから、言葉遣いもごく自然に聞こえることに加えて、人たらし、にじみ出るおかしみ、人に何でも頼める率直さ、わがままもなぜか許せてしまう得な性格、という鹿野のキャラクターは、大泉自身とも重なる部分が多い。大泉にとっては、一世一代の当たり役と出会ったと言ってもいいのではないか。

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