『聖衣』(53)
“聖書スペクタクル”がたくさん作られた理由は…
キリストが処刑時に身をまとっていたローブに触れ、信仰に目覚めたローマの護民官マーセラス(リチャード・バートン)の姿を中心に、ローマ帝国時代を壮大なスケールで描いたシネマスコープ第1作。監督ヘンリー・コスター、撮影レオン・シャムロイ、音楽アルフレッド・ニューマン。ビクター・マチュアが演じた奴隷のディミトリアスを主役にした続編『ディミトリアスと闘士』(54)も製作されている。
信仰とは、というテーマを真摯に見詰めたマーティン・スコセッシの『沈黙-サイレンス-』を見た直後に、偶然テレビでやっていたこの映画を再見したものだから、そこに描かれた信仰の描き方の違いには隔世の感があった。
ところで、アメリカ映画は、サイレント時代から、何故たくさんの“聖書スペクタクル”を作ってきたのか、という謎がある。それは、タイクーンと呼ばれた大手映画会社のドンたちのほとんどがユダヤ教徒だったからではないか。また、第2次大戦後はイスラエル支援という新たな目的も加わり、エルサレムはユダヤ人の都なのだ、キリストもユダヤ人なのだ、というメッセージを込めながら、『十戒』(23→56)『ベン・ハー』(25→59)『キング・オブ・キングス』(27→61)などがリメークされ、新作も盛んに作られたのではないか…。
以上は、瀬戸川猛資の好エッセー集『夢想の研究』の「大君の都」からの受け売りだが、核心の一端をついていると思う。昔の映画を見た時に、ただ、古い、くだらないで片付けず、その奥にあるものを考えると、興味深い事実が浮かび上がってくることもあるのだ。