『羊たちの沈黙』(91)(1991.8.15.松竹セントラル)
連続猟奇殺人事件を追う女性FBI訓練生クラリス(ジョディ・フォスター)と、彼女にアドバイスを与える猟奇殺人犯で元精神科医のレクター(アンソニー・ホプキンス)との奇妙な交流を描く。監督はジョナサン・デミ。
この映画、表向きはヒッチコックやデ・パルマも真っ青のサイコホラー的な作りで、猟奇的な描写が鼻に付くところもあるのだが、少々深読みをすれば、これは一人の女を挟んだ男同士の葛藤を描いているところもあるのではと思う。
つまり、レクターもクラリスの上司のクロフォード(スコット・グレン)も、クラリスを愛し、欲していながら、それを隠してプラトニックに徹している。だから、トータルとしては、猟奇と純愛という正反対の要素が微妙に絡み合って、異様な雰囲気を醸し出しているのだ。ただ、フォスターに言わせれば、これは女性ヒーローを描いた映画だというのだから、これは男から見た勝手な推量なのかもしれないが。
ところで、この映画に魅かれた理由は、わがお気に入りの3人の競演という点にあった。そして、その期待に違わず、不思議なセクシーさを発散させたフォスター、『マジック』(78)以来、久しぶりに怪しさを発揮したホプキンス、そして、彼らと見事に渡り合い、名脇役としての地位を確立したグレンと、三者三様の名演を見せてくれたことが、大きな収穫となった。
『万引き家族』(18)(2018.6.3.TOHOシネマズ上野)
祖母、父、母、叔母、息子、娘の五人家族。だが、その実態は、老婆の年金と、窃盗で生計を立てる、血のつながらない疑似家族。本作は、そんな彼らの日常を描いてカンヌ映画祭のパルムドールを受賞した。
是枝裕和監督は、これまでも、実際にあった子供の置き去り事件を題材にした『誰も知らない』(04)、同じく子供の取り違え事件のその後を描いた『そして父になる』(13)、また『海街diary』(14)の異母姉妹、『海よりもまだ深く』(16)の団地族や、別れた妻子、『三度目の殺人』(17)の父と娘の姿などを通して、家族とは? 血のつながりとは? 幸せとは? を問い掛け続けてきた。本作の“血のつながらない疑似家族”という設定はいささか特異だが、これらの映画の発展形あるいは集大成として見ることもできる。
ただ、本作もそうだが、彼の映画は、劇映画とドキュメンタリーの狭間で家族というテーマを淡々と描きながら、同時に鼻に付くような作為的なものも感じさせる。そして最後は明確な結論を出さずに判断を観客に委ねるという手法には、それを問題提起や、余韻とする見方もあろうが、ある意味、ずるさを感じるところがある。それは、カンヌの常連であるダルデンヌ兄弟の諸作にも通じる点であり、だからこそ是枝映画はカンヌで受けがいいのかとも思う。
また、家族の描き方は多種多様で、例えば、血のつながりこそが大事と説く『リメンバー・ミー』や、寓話的に理想の家族像を喜劇の中で描いた山田洋次監督の『家族はつらいよⅢ』が本作と同時期に上映されていることも興味深い。
これらは本作の対極にあるとも思えるのだが、山田監督は『誰も知らない』を「家族を描いた50本の映画」の中に入れている。つまり、自分とはスタイルが違うが、家族を描くにはこういう方法もあるということを認めているのだ。
ただし、そうした作風に対する好みは分かれるところがあるだろう。どちらかと言えばオレは苦手だ。だからこの映画も、決して悪くはないとは思うし、音しか聞こえない花火を皆で見るなど、印象的なシーンも少なくはない。けれどもどうしても傑作とは思えない。例えば、血のつながらない疑似家族を描いた映画としては、前田陽一監督の『喜劇 家族同盟』(83)の方に軍配をあげたくなる。
By the way.著書を読んだばかりの細野晴臣が音楽を担当していた。「映画の邪魔をしない音楽がいい」と書いていたが、まさにその通りの音楽だった。