フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

メイ

2008-09-20 20:24:14 | Weblog
大学の同窓会報が送られてきた。定期的に送られてくるものだが、当時習った教授達の動向を見て少し懐かしがったり、するだけのものだったが、今回は違ってた。いつものように名誉教授の欄から見ていくとメイさんがのってた。退官されて名誉教授になったのかと思いつつ、僕らが、習った頃は、まだ、講師だったよなと振り返ってこの名を見ていた。ページを進めて物故者のところに来たとき目がその名から動かなかった。そこに、メイさんの名前があったから。65歳位だと思うけどやっぱり早かったかとも思った。メイさんは、確か、27,8で僕らを教えたんじゃないだろうか?教養課程の英語の教授で、どちらかと言えば、冴えない風貌でひどいビッコを引いていた。右足が10cm位左足より短かったように思う。頭はよかったけれど、そんなことおくびにも出さずアウトサイダー気取りだった。当時の自分の下宿とメイさんの家の方向が同じだったから授業が終ってから、よく二人でバス停まで歩いて帰った。スクールバスがバス停まで運行されているのにそれに乗らず不自由な体で歩いた。歩くのが好きだと言ってたっけ。一度だけ二人で飯食ったことがある。「悪いけど、僕は、ビールにするよ」といって、ビールを美味そうに飲んでた。その時、カッコいいなと思ったから、いつか自分もこの台詞使ってみようと思いつつ、僕は、酒が強くはないので、未だに使っていない。「悪いけど、僕はメシにするよ」じゃカッコつかないものね。メイさんは、僕らに、フィリップロスを教えてくれた。それと、サリンジャーの話を少しした。聞いてもないのに「赤ん坊の時に手術したから、記憶ができたときは、この足だった。だから、不自由じゃないんだ。結核菌の腫瘍でね。」と自分の足の事を話してくれた。人は、思いもかけないところで、自分なんか忘れてしまっている人の間で、自分のこと思い出してくれている人がいる存在なんだね。メイさんは、僕のことなんか、とっくの昔に忘れていただろうけど僕は、こうやってメイさんのことを思い出して、いい人に、出会っていたんだなとあらためて自分の幸運を感じている。僕らを教えてくれてありがとう。あなたの100分の1も英語はできないけど、まだまだ頑張ります。と生徒にかえって僕は、言った。合掌。
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