フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

韓流竹島問題解決法

2008-07-21 19:32:11 | Weblog
全く、詳しくは無いんだけど、竹島問題の韓国の手法って幼稚だなと思う。まるで、駄々っこがお菓子や、玩具を欲しがるように、人んちの庭に勝手に家建てて住んでしまえば俺んちだとえばっていってるみたい。そんなんじゃ、何の解決にもならないと冷静に判断できるヨン様はいないのだろうか。竹島にホテルを建てることをハンナラ党が決めたというけど政治の質が問われるんじゃないか。やはり歴史の重みだろうか支配され続けた国というのは、これほどまでに卑屈なのだろうか。例え、彼の国が大好きな戦争をして勝ったとしてもこんなやり方をするのなら民族として軽蔑されるだけだと分からないのかしら。それほど民意が低かったのかな。これだと北の政権と変わりないからすぐに統一できるんじゃないかな。お互い低いレベルで疑心暗鬼で統一できそう。それに対し日本の対策は、万国国際法に則って解決しましょうだ。これなんか、坂本竜馬も使った国際人の解決法でよっぽど大人らしいと思うよ。日本は、強く主張はしないけど主権に揺るぎはないからまだましな方かもしれない。尖閣諸島、北方領土、まだまだ難問は多いけど幼稚な手法は止めようよ。国際人として、韓国人として、日本人として解決して行こう。
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樹幹流

2008-07-20 20:15:28 | Weblog
子供たちは,空に向かい,両手を広げ・・・・久保田早紀さんの「異邦人」だったかな記憶が曖昧だけど未来を手にするポーズだと思う。アフリカの元気な子供たちによく見られる光景だ。それと同じ事が木でも起きる。枝が天に向かい葉を広げ雨をいっぱい受けて幹にしたたらせ幹から根元へと樹幹流となって雨を運ぶ。成長とはこのことだ。僕らは,普段の生活で木のように暮らしているだろうか。なるほど,背伸びはしてみた。身の丈より贅沢してるかもしれない。だけど、空に向かい両手を伸ばしているだろうか。もし伸ばしたとして両手に受けた雨は腕を伝い体を流れ足元を潤わしているだろうか。考えさせられるね。木は理に叶った事をするだけ。僕らは,理に叶わない事つまり理不尽なことばかりに悪戦苦闘して単純な真理を見逃しているんじゃないだろうか。丁度昔の学生運動のようにさ。彼らがオンちゃんオバちゃんになって社会の中核を占めるにいたって今のような無国籍社会を作ったのだから。でも,無理はないか、日活アクション育ちだから、無国籍はお手のものか。ポケットに手を突っ込んで肩をすぼめて雨に濡れながら生きるのかな。これじゃ,自分達はなかなか潤わないね。せめて、「乳母車」とかの文芸路線へすすんでもらいたいな。
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God 考

2008-07-19 21:01:35 | Weblog
god っていうと神と誰もが言うよね。それが、間違いだと言うことを西尾幹二さんの「国民の歴史」と言う本で知った。ザビエルが来たときには西洋の神は日本の神と峻別されていて「デウス」と呼んでいたと。こんなことから拘って見直していかないと日本の神の姿がgodと混同されてしまう。中国で聖書を訳したときgodを神としたらしい。それが明治の日本にきてそのまま使われたということだ。だから,日本の神と同じようなニュアンスを与えてしまった。日本は古代ギリシャと同じ多神教なのだ。古代ギリシャの場合は、ロジックの国だからゼウスが一番上の神であった。日本は,神様が神様に相談に行きその神様も答えを出さず、一緒に考えようとする知的探求の神なんだ。だから一人で,何でもかんでもしやしないよ。何でも一人でするのがエライ錯覚がキリスト教によって与えられているが、一人では,何にも出来ない。god でなくgodsならまだ話はわかるけど。どうしてそんな簡単なこと気づかなかったんだろう。今まで,キリスト教に全面降伏のような錯覚を植え付けられていたけど仏教と神道が融合した日本教の素晴らしさを今改めてこの本で実感した。世の中には、えらい人はいくらでもいるんだね。
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猫の喧嘩に親がでて

2008-07-18 21:13:56 | Weblog
今日は、大気が不安定と言うものだから窓を全部締め切って出かけていた。雨は,降らず,やけに暑かった。ウルーは、あまりのアツさに外に出た。オランジュは、餌がとれず門の前でひたすら帰りを待っていた。帰ってみると家の中は,熱気ムンムンだった。窓を全部開けるとベランダにオランジュが来たので餌をあげた。朝から何にも食べてないのでよく食べる。「うるー」と呼んでも返事が無いのでそのままにしてたら、家の裏で凄まじい猫の喧嘩が始まった。まさかウルーではと思って覗くとウルーが、ノワールに追い詰められてオークスの家の剥き出しになった鉄骨の上にへばりついていた。こらっノワールと飼い主すなわち親が出て行って追っ払った。ウルーのうれしそうな顔。「降りて来いデブ猫」といっても自分の意志で登ってないからなかなか降りられないみたい。「工夫して降りて来い猫なんだから」というと分かったらしく枇杷の木を利用して降りてきた。ああ、やれやれ。
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オランジュが好き好きをしてくれた。

2008-07-17 21:08:58 | Weblog
犬の散歩から帰ってくると玄関先にオランジュがきて寝そべっていた。ランディは、何にでも興味があるからオランジュに向かっていこうとするけどオランジュは無視いてる。犬を繋いでオランジュに挨拶をして餌を作って持っていってやると餌の方に行かずに自分の方にきて自分の膝にほっぺをくっつけて「スキスキ」と2回してくれた。オランジュがこだしたのは、ウルーが来てから3ヶ月くらいしてからだからもう10ヶ月近くになるのかなうちの外猫としての地位を確立して半年か。撫でさせたりはしてたけど遠慮がちに擦り寄ってきたことはあったけど積極的に擦り寄って来たのは初めてだね。餌を食べるとどこともなく出て行くけどきっと帰る所があるからだろうと思っている。素泊まりの家なのかな。猫は,家を3軒持つというからうちは、飯どころなんだな。人の懐に飛び込むなんて
こんなことじゃないかな。オランジュを見て、また教えてもらった気がした。今日は暑かった。
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2008-07-16 20:22:56 | Weblog
ランディとマルディを連れて夜中の公園を歩いていると必ず1人や2人はおっさんがいてベンチに寝転んでたりわけもなく手持ちぶたさで座ってたりする。若者は,コンビニのゴミ箱の前が定番だから公園にはいない。そんな輩を無視しつつ闇の中で蠢くものを探すとセミの幼虫が土から這い出してきて木に向かって一生懸命歩いているのに出くわす。ヨチヨチと真面目に滑稽に歩いている。先のことなんか分からない。今を正しく懸命に生きる。と教えてくれる。それにしても大分の教育委員会の古い体制、未だにそんなことあったんだと前世紀の遺物を見る感じだ。教育界だけで解決させず県全体の存亡を賭けた取り組みをしないとますます馬鹿らしくて給食費払えないと履き違えるものも出てくるだろうから。でも、こんなこと大分だけではないよね。田舎に行くほどこの傾向はあるのだろうから。「野の百合」を見よ!と言いたいね。いや,このセミを見よというべきか。人は,愚かで浅ましい。人の振り見てわが振り直せ・・・か。最近、動物の方から学ぶことが多いけどなぁ。
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空飛ぶ猫

2008-07-15 01:42:07 | Weblog
空飛ぶ猫と言う本を読まなくてはと思いつつ帰ってくると、屋根の上から『ニャ-』とウルーが挨拶をする。『やぁ、ただいま」と挨拶を返して「ウルー,今日はお外だったのかい?それともパンプに締め出されたの?「ニャーニャーと話してはくれるんだけどニャんとも分かりません。「おりておいで」というと屋根の先まできて塀に飛び移るのを躊躇している。この前までできてたじゃないか,早く降りろよ。といっても降りようとしない。「もういいよ、こっちが上に行くからと2階に上がって網戸を開けてやるとウルーが喜んで入ってきた。『おぬし,太ったな』これが原因か。メタボ予備軍だね。これでは,当分空飛ぶ猫は無理だな。「おまえね,あんまり太ると、猫は,ツチノコになるんだぞ」と脅してやった。それから、台所に下りていくとゴキブリが一匹ガラス戸に止まっていた。目があうと「ギク」っと身を震わせてどこかに消えた。面白いとはじめてごきぶりを思った。「やれうつな,蝿が手をする足をする」一茶の心境に近づいたのかな。
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夏の花

2008-07-14 02:18:01 | Weblog
夏がくれば思い出す。原 民喜の『夏の花」平仮名を使わないで書いた詩にこの人の怒りを感じる。赤い花かと思っていたら、黄色い花のことだった。奥さんの墓前に捧げた鎮魂の花のことだった。それが,原爆投下と重なって、大きな大きな鎮魂花になる。人は,本当に怒ると泣いたり,わめいたりしないモンなんだね。淡々と硬質に柔らかい表現はしなくなるんだね。黄色い花を黄色い花とそのまま書くように感情を削ぎ落として感情の中にある感情で書くのだろうか。表面的には,淡々としていてよく分からないけど噛み締めると
この人の悲しみと怒りがしみ込んでくる。ちょっとしたことで「あっわかった」といえるような、なんとも深い本でした。
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ロッキー青木も死んだ

2008-07-13 01:35:39 | Weblog
ロッキー青木さんも死にましたね。69歳でした。急性肺炎というからいくら若い時に鍛えた体でももたないんだね。本当は、彼のことはよく知らないんだけど、若い時に、『紅花の挑戦」とか言う本を読んで知ってるくらいだ。アメリカンドリームの小さな体現者というのかな。レスリングのモスキート級かどうか知らないけど小さな男だったね。ハーレムで番傘のアイスクリーム屋をやったりアイデアと体力で自分の人生の階段を上っていったんだ。こういった、汗を流した男が少なくなったから懐かしいと思って新聞を見た。山の高さは上ってみないと分からない。登った人だけがそこの景色を共有できる。まさに、そういう人生だったんだろう。徒手空拳、僕らの時代は当たり前のことだった。男は,黙って一人でピークを目指したものさ。ただ僕らは、目指すことのみ共有して、彼の頂を訪れることをしなかった。でも,いいじゃないかと思う、そういう男がいたと言うことを知ってるだけでも。
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破壊

2008-07-12 02:46:21 | Weblog
夜中に帰って来て、前にも書いたけど家の中が散らかっていたら嫌だよね。それが凄まじい勢いで散らかっている。パンプは、すべてを壊す。自分の脳まで壊してるんだから、建設的なことは出来ないとしてもここまで壊されると『むっとなる」一つづつ片付けながら「俺は正常かと自問してみる」こうすると心も少しは落ち着いて『まぁいいか』と言う風になる。93歳の夫が90歳の妻を絞め殺したと新聞に出てた。介護でもなくただの喧嘩で。夫婦って何なのだろう。まさか、93まで生きて人殺しになろうとは思わなかったでしょうに。まさか、90歳まで生きて夫に殺されるとは思いもよらなかったでしょう。改めて人間とは何か?自分は正常かが問いなおされるね。腹も立つし愚痴もでる。でもねその人も,その人なりに頑張って生きているんだから破壊してはいけないよ。そう思う。
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