フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

North Korean Leader Kim Jong-il Dead

2011-12-20 08:39:18 | Weblog
金正日が死んだね。12月17日に。知ったのは19日。誰も2日間は知らなかったという。この情報漏洩防御はすごいと思わないか。アメリカも、中国も、ロシアも韓国も知らなかったんだよ。これは金正日体制が緩んでいないことの証だね。言われているように心筋梗塞だったかどうかは分からないが死んだのは事実らしい。日本は弔意を表したが韓国は、もめているらしい。これは文化の違いだね。弔意を外交に使わない日本の立場は一神教の絶対創造主を崇める精神文化圏の人たちには理解できないのだろう。彼らは,損か得かしかないんだから。日本は、それはそれ、これはこれだもの。中国は難民の流入が大変だろうな。下手すると中国の危機を招きかねない。民族大移動で昔から国は滅んでいるんだから。拉致問題を解決して経済援助を日本から受ける。これしか安全なカードは北にないと思うけど。回りは、損か得かしかない国ばかりだぜ。僕は、金正日をウメちゃんと呼んでいたけどね。中村梅之助に似てるから。キャラが立ってるからマスコットになりやすいよね。カダフィーもそうだったけど、独裁者ってそうなのかな。今年は、よく人が死ぬな。
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安徳帝はどこに

2011-12-19 08:22:53 | Weblog
正史では、山口県の下関赤間神社の御陵に眠るとされているが赤間神社の資料とされているものは、平家物語以降のものだよね。絵巻も江戸時代にかかれたものだし赤間神社自体が戦争で全焼し昭和40年に復元されたものだから決定的な説得力はないんだ。反対になぜ下関の壇ノ浦で平家滅亡のシナリオを書かなければならなかったのかという角度で考えてみた。これは源氏のデマではないのだろうか。その目的は九州の平家援護者への牽制に尽きると思う。源氏もこれ以上戦線を広げたくない。でも屋島の檀ノ浦では平家滅亡といってもまだ西日本の大半は残っているし九州も控えている「殺す源氏」としては禍根を残すわけにはいかない。ここは、マッチポンプか地元の豪族でも征伐し平家滅亡を喧伝しようとしても無理はない(このからくりに手を貸したばっかりに義経は殺された?余談ですが)と思うのですが。やはり平家の滅亡は屋島の檀ノ浦での戦いにあったのではないだろうか。下関の壇ノ浦とダンの字が違う檀ノ浦ここで決着がついたのではないか。ここから安徳帝の潜幸がはじまる。阿波の祖谷をこえ韮生の里へそこから本山、稲村山、大森山。池川椿山から横倉山へとの道が大方の意見だがその先々で御陵があるので本物はどこだということになってしまう。僕は横倉だと思うけど宮内庁がはっきりしたことを言わず全国あと4箇所を同じく参考地としたから分からなくなるんだ。それに重要箇所としては物部の高板山御陵。発見が遅かったから参考地に認定はされてないけどかなり有力。近くの御在所山には菊と桐の紋をもった社があり「こうのいたやま」とは皇のいた山(高板山)との言い伝えが地元にある。山は自然の要塞といえるほど峻険。守りの点から言えば説得力ある。ここもようチェック。池川の椿山も近隣の人たちとの接触をたっていたというからここもチェック。その他を含めると高知だけでもチェックポイントがたくさんある。来年大河ドラマで「平清盛」が始まる。そうなると平家の里も騒がしくなるだろう。果たして平家は多く語られ訪れられることを800年の眠りを覚まされることを望むのだろうか。浪漫は浪漫を呼ぶ。
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歌って力があるんだ

2011-12-18 09:19:25 | Weblog
歌って力があるんだね。あらためて感じさせられました。昨日の夕方のことですけど年下の友人から電話がありましてこの前送ったCDのお礼があったのです。彼は。2ヶ月くらい前に最愛の奥様を白血病で亡くされておりなんかと励ましにでもなればと最近作った「山の上の小さな駅」と去年作った「love you」をカップリングしたCDを送っていたのです。やはり奥様への思い入れが強いのでしょうか僕の歌を聴いて「涙が止まらなかった三日間ずっと泣いてました。一生の宝物にします」と言ってくれた。こんなこと言われたら制作者冥利に尽きるよね。僕も思わず涙ぐんでしまった。泣ける歌としては作っていないんだけどその人の心情にふれるとその人のものに歌がなって流れていくんだね。たった一人のために作る歌ってスタンス間違っていなかった。これからもこう思ってくれる人のためにまた作っていこうと思いました。作れるかどうかはわからないけどこのスタンスがぶれることはもうないでしょう。ありがとう、宝物だなんてテレルね。
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元親の書状

2011-12-17 09:37:22 | Weblog
3.11の震災で被害にあったことから歴史民族資料館に売却された元親の伊予攻めに苦心している書状が展示されると新聞に出ていた。やはり隠し持っている資料はまだまだあるんだ。歴史なんていつ覆されるか分からない。この書状が天正12年1584年のものだからまだ四国制覇は成していなかったのだろうか。それとも長宗我部元親の四国制覇はなかったのか。天正13年には「天正の陣」が起こって豊臣軍と元親軍が伊予で激突。していることを考えると短い間であったが四国制覇していたのだともいえる。ここで伊予金子城の救援に向かった長宗我部元親の家老片岡光綱が戦死している。彼が、法厳城の城主、バジルの遠い祖先。なんというリンクか。秀吉に命を受けた毛利軍3万に対し2000の兵で立ち向かった四国勢。中々激しい抵抗だったときく。これからもいろいろな資料が出て驚くだろうし逆にいろいろな資料が震災で失われたのであろうと思う。いままで密かに守り継がれてきた日本史の秘密、津波が持って言ったかもしれない。暢気に「原発事故収束」だなんていってる場合じゃないぞ。誰もそんなこと信じちゃいないんだから。放射能対策は個人の責任だなんてNHKの番組も洗脳みたいでおかしいよね。いまは、してやったりと思ってるかもしれないけど歴史が真実を暴くよきっと。
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再会(retrouvailles)

2011-12-16 08:41:54 | Weblog
横畠にもう一度行こうという事になって前に車で乗せて下の宮まで運んでくれたおばさんと言ってはいけないのかご婦人にまた会うんじゃないかな菓子折りでも持って行こうかなそんなこと可能性として低いよねなんて思いながら下の宮の仁井田五所神社に来た。旧松山街道の入り口だ。案内板を見てるとワイワイガヤガヤ楽しそうな声が近づいてきた。蜜柑農家の人が5~6人くらいで蜜柑の収穫にでも来たようだ。そしたらその中の一人がこっちに向かって「あれ、この前来た人」って言って近づいてきた。麦わら帽子のようなものを被っていて一瞬誰だか分からなかった。「あっ、この前の人、あのとき」「ありがとうございました」そんなこと気にもかけないといった感じで「今日は蜜柑狩り」と言って笑った。とってもステキな笑顔だった。まさか、こんな偶然があるなんて。うれしいやら、不思議やら。再会を果たして僕らは横畠に向かった。横畠は前に彼女から聞いていたように強い風が巻いているように吹いていた、そういえば外に洗濯物を干しているのを見かけない。そこから黒森へ。途中で道を変えて日の浦へ。寒かったからと言う理由で山はあきらめた。日の浦は初めてだったけどあじさい街道で村おこしに力を入れている村らしい。おもてなしが行き届いているのかイベント広場があってトイレが4つもあってとっても清潔に管理されている。いまはオフで誰も見ることがなかったけどこの広場からの遠景というか山の景色は抜群。雪雲がというか寒気の雲が近づいているのがよくわかる。

日の浦というくらいだから、「横倉山」の後ろなのかな。ここに立つと源平の昔にスリップしたような錯覚を覚える。お金の神様「金峰神社」にお参りをして帰路についた。
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最後の狩人(le dernier trapper)

2011-12-15 08:28:09 | Weblog
映画「犬との旅、最後の狩人」というフランス映画を見た。何故か英語だったけど。吹き替えなのかどうか分からないが。アラスカ、カナダのロッキーにかかるユーコンの流れ沿い流域からのツンドラ地帯での狩人の話だ。映画なんだけど出演者は実際の狩人とその友人。そして犬ぞりを引く犬達はリーダー犬は監督の犬だったりすべて役者じゃないんだ。映画だからドキュメンタリーとは違うけど監督の思い入れが半端じゃないのを感じた。山の暮らしは無駄なものは一つもない。狩人は自然の調和のための手助けをしている。ある種の動物だけが増えるのを防ぎバランスをとる。これが、自然から与えられた人間の役割だというのは説得力があった。狩人は、食べ残さない。君たちのお皿には、食べ残しがある。動物を殺す狩人が自然を守り、動物を殺さない町の人間が、森林伐採や開発、温暖化で自然を破壊している。人間も動物なんだ。自然の循環の中で生きているんだ。北極の自然破壊は深刻らしい。このアウトドアマンの監督の悲痛な叫びをこの映画から受け取った。それでもあの美しいユーコン川を見ることができてよかった。
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新改駅にCDを持っていった

2011-12-14 09:16:35 | Weblog
出来上がった「山の上のちいさな駅」のCDを奉納といった気分で新改駅に持っていった。ここは、いつきてもステキ。秘境の駅だと言われているけど。楽しいイメージがある。僕は、前は3月8日に来たてたんだ駅のノートに残っていた。

すぐのトンネル、スイッチバックの線路


歌の世界がこの景色とオーバーラップしてとけていく。駅の前でカーステレオから歌をながす。無人の駅。でもきれいなんだこの駅。スイッチバック愛好会の人たちが掃除しているんだね。

外にバケツが置いてあった。誰でもご自由にとCDを感想ノートに挟んできた。
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横倉山へ再び(アントンを追って)

2011-12-13 08:37:46 | Weblog
先月の15日に訪れた横倉山をバジルと再び訪れた。横倉神社中の宮「杉原神社」からの探索だ。

今日は、工事も終わっていてほぼ山を独占状態。安徳水(生水だから飲まないでとの表示あり)を通って上の宮へここで馬鹿試しというものがあるというのでその岩場に登って見る。馬鹿の顔が映るというからなんだと覗き込むと鏡に映った自分の顔だった。

馬鹿ほどこの先の断崖の突端に行くらしいとのこと。


十分馬鹿だった。足がゾイゾイする。ここから宮内庁の管轄地「安徳天皇御陵指定地」へと向かう。ここは鞠ヶ奈呂と言ってアントンが鞠を蹴って遊んだところ。ここで、アントンは23歳で崩御したと。ご遺体は
この鞠ヶ奈呂に埋めたとされている。ここを言い伝えによって掘り起こした時棺がでてきて言い伝えが正しかったことが裏付けられた。その棺の上に菊の御紋があったから宮内庁の調査となり指定地にここがなったという。なんかアントンの幻影を感じる。




平家の忠臣を祭る住吉神社をここまできたら見ておこうという事になってすすむ。500mとの表示があったがキツイ坂を登って行くととても500mでは着かないと思ったくらい遠く感じた。やっと岩場に出てみると住吉神社は、対岸の岩の上にあった。下を見ると岩場に鎖が垂れ下がっている。ここを降りるのか。足場があるので他の山の鎖よりラクだけど下りたらまた登らないといけないので途中まで降りて神社がはっきり見えるところで手を合わす。エコ参拝。ここから空池にまわると雪が残っていた。

ここを過ぎて帰りを急いだが平家の穴の表示が。ここは源氏の襲来に備えたアントンの避難場所。ここから三種の神器であるアメノムラクモの剣が出てきたとのこと。それを見ないでは帰れないとまたまた急な坂を下りる。途中で岩屋神社と出会う。ここは、さっきの
馬鹿試しの岩の下じゃないのかな。

そうしたら平家の穴って馬鹿の底なのか。平家の穴に到着。入り口にはカモフラージュの岩があって穴が分かりにくい。穴を覗き込むと階段状の石段みたいなものが見えて人口なのか自然なのか分からないけど降りていけそうな雰囲気だった。

でも痩せてないと入れないけどね。僕は無理だ。バジルにロープをくくりつけて下ろせばいけるねと言うと「戻れなくなったらどうしてくれるのよ」と言うから「そのときはさよなら、ごくろうさんだね」と答えると「岩を爆破して・・・」と勝手なことをいっている。女って生命力が強いんだね。
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クリスマスカード

2011-12-12 08:49:50 | Weblog
クリスマスカードを作ろうかなと思って参考までにカードを見に行った。そしたらあるわあるわいろんな可愛らしいカードが。日本にカードを送る習慣なんてあるのかな。宗教的なことは日本教以外興味がないから知らないけど。僕は、カードが好きだから作りたいと思っただけ。だけどこんなにあるんだったら一つ買おうと思って1枚買った。


可愛いね。クリスマスと言えばイエスの誕生日ということだけど本当なんだろうか?宗派によってこの日じゃないという教えもあるらしいが。イエスの墓は日本にもあるらしいが、生まれたたのは日本じゃないから分からないよね。サンタクロースはフィンランドが基地らしいね。コレも本当かな?かもめ食堂からケーキを運ぶらしい。「超熟にしなさいよ」なんてね。
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三十六歌仙の神社

2011-12-11 09:51:55 | Weblog
昨日行った大山祇神社の天井に三十六歌仙の絵を描いたのは深瀬の大原健吉という人だとのこと。旧松山街道はこのあと鈴ヶ峠を越えて黒森山越えで池川に降りて愛媛県の美川へと続いていくんだ。いまでも歴史好きの人があの急な坂道やふかふかした道を探索していると思うと「バカはまだまだいるなと」同胞を得た気分で力強いものを感じる。さて三十六歌仙だが何のために描いたのか分かっていない。明治の話だから土地の人は知ってるかもしれないがここは、鞘堂に収めた長州巧みの彫刻が有名だからはたしてどこまでたどり着けるやら。ここに祭られている「瀬織津姫」に関係があるのかもしれない。女神の慰みにと思ったのかもしれないね。この地区はいまでこそ限界集落なみの体をしているが往時は賑やかな宿場町として栄えたところであり裕福な土地でもあったから都の文化の交流が盛んだったかもしれない。まだまだ見るものが多い地区だから後何回おじゃますることやら。明治15年には坂本直寛らが自由民権の大会をこの境内で開いている。それだけここは、当時豊かで重要な拠点だったのかもしれない。「自由は土佐の山間より出づ」とのスローガンを掲げたと言う。確かに山間ではある。「ここはね、明神山からの風が強くて、よく風が吹くところですよ」と昨日の土地のご婦人との会話を思いだす。帰った後のその日の夕刊に明神山で積雪のニュースが出ていた。なんというリンク。ここは、明神山の裏手にあたる地域になるのかな。これまた面白い。
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