感覚というものが希薄になってきている。なんでも分析され技術の集大成みたいに語られて理解されているようだ。光のプリズムをいかに分析し色を導き出したとしても感じるのは眼でしかないのにそれを単語に置き換えて理解しようとする愚かしさ。笑いも感覚でしかないのにシナリオを作り上げ理解させようとする愚かしさ。すべては創りだされるものではなく感じとられるものといった時代はいつ終わったのだろうか。1786年8月7日なのだろうか。この日アルプスのモンブランが征服されアルピニズムが生まれた。ハンニバルがアルプスを越えてローマに入った時より数えて数百年。山は感覚の住処だった。山は征服されようがこの感覚をいまだ宿している。眼が光を感じるから眼であるようにアルピニストが山で感じるのは分析力でも技術でもなく山の気の流れなんだ。そこから風景画が生まれたという話を聞いてなんとなく納得した。これも感覚かな。
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