tarpin翁のスローライフ

福井県奥越地方、季節のたより、ガーディニングなど、
写真日記・・・そして・・・。

早朝「坐禅会」は、気持よく座れた。

2018年08月19日 | 坐禅会

今朝のすがすがしさ、

先日までの真夏日続きの反面か、気持ちの良い朝、

坐禅の苦しみ?など、感ずることなく快調。

 

禅堂前の梵鐘付近は「高砂百合」が咲き乱れる、

季節の移ろいでしょう。

10分も早く参上、すでに老師と女性3名が坐に着いている、

到着と同時に私も坐に着く。

いつものメンバーがほぼそろった時。

老師から「これから梵鐘を撞きます、その間、屋外にいるも良し、

体の位置などじっくり整えなさい」と。

老師の撞かれる「般若心経の読経と梵鐘の音」は、いつもの通り。

席に戻られた老師は、無言の「検単」。

小鐘3つは正式坐禅スタート、

そして40分・1烓(いっちゅう)は、全くの無言、

坐中のお話が無いと、時間が長く感ずる。

(蝉やキリギリスの声は聞こえず、カラスの鳴き声のみであとは静寂)

鐘1つでおしまい。

 

足を解き、坐蒲の始末途中にお話しが始まった、

どんな姿勢でお聞きするといいのか、

とりあえず胡坐座り。

 

足を解くと、つらさや苦痛が無くなり、いずれそれは忘れてしまう

季節に置き換えると、涼しくなりいずれ寒くなる、と、猛暑のつらさが薄れ

いずれ忘れる、同時に寒さが身にしむ、

仏様は、「この世は、すべて所業無常である」と説かれる。

何事も止まり固定していることはない、四季の移ろいを知り

所業無常を味わう。

すなわち、苦しみはいつまでも続くものでなく終わる、

と、楽しみがくる、また楽しみもいつまでも続くものでなく

また苦しみが訪れる。

行持道環(ぎょうじどうかん)」(参禅者と仏とが坐禅を通じて一体となること)

そうした変化を信じていけるかどうか、

そのことがわかるのが「坐禅」である

自分で納得する生活、道を知る。

それがお釈迦様のお勧めである。

と結ばれた。

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早朝「4.0kmウォーキング」に参加。

2018年08月19日 | ウォーキングの楽しみ

第3日曜日、色々と行事が重なる日。

坐禅会」を済ませた後、

「かっちゃま歩こう会」月例会に参加。

スタートは酷暑のことでもあり午前8時出発、

僅か6000歩、4.0kmのウォーク。

幸いここ2~3日当地も朝の涼しさ、

湿度も低く「すがすがしい」と言う語が当たる日

快適に歩くことが出来ました。

目的地は「梅花藻」探訪

スケールの大きいところを知っているだけに・・・。

 

 

それでも清流にしか育たない草「梅花藻」、

市内のこんな場所にあること初めて知った日でした

全員参加も、僅か18名、完歩。

この牧歌的なコース、

勝山市を取り巻く山々が一望できる場所」でした。

白山、

大日岳・

荒島岳などすべてが眺望できた。

 

 

 

 

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