
燃料や肥料を扱う店の軒下、この季節になると薪が高く積まれる。需要先はどんなところか予測つかないが、今も薪需要のあることに日本のある連続性を感じる。そんなことを思いながら通り過ぎるとき思い出した。見学した木造新築の家の暖房は薪ストーブで、インテリアにも見える立派なストーブが備わっていた。屋根を貫いて大きな煙突が庭を見下ろしている。
近所にも同じような大きな煙突の家がある。冬に向かうからか最近薪がびっしりと積み上げられた。そんな立派な煙突ではないが、子どもころにはどこの家にも風呂とかまどの煙突が立っていた。そのころの家庭用燃料は主に薪だった。夕方になると子どもも風呂焚きなどの手伝いをしていた。仁徳天皇の「民のかまど」の話を思い出す。
あるHPに陶芸釜で素焼き用の薪作りの様子が載っていた。1週間近く24時間釜に放り込む量は中途半端ではない。廃材薪について釜主は「再利用されて天寿を全うする木もあれば、焼かれて焼物の模様になって天寿を全うする木もある」と、廃材の力の尊さに感謝する言葉が添えられていた。捨てられるところが薪になれて古材らも喜んでいるだろう。
しかし、薪作りは工具を使う。古材の切断は電動ノコ、それを割って薪にするのは手斧でなく薪割り機で行う。薪を積み上げる作業は人力、これが大変な作業になる。昭和30年代半ばまで我が家の家庭燃料は薪だった。手斧で割り、それを軒下に倒れないように積み上げる、掲載の写真を見ながらあの頃を懐かしく思い出しす。