
突拍子もない表と裏の話は散歩途中の出会いから始まった。「今年は柿の裏年、実りが非常に悪い」と梯子をかけて収穫している人を見上げていると、高いところから教えられた。昨年の数分の一ほどのなり具合という。さらに出荷する人らは困っているとも話が続く。確かこの木は昨年は鈴なりに生っていたのを覚えている。
梯子から降りた人は「人にも裏や表があるんじゃけえ不作も仕方ないです」と笑いながら一個持たせてくれた。柿が人の真似をして不作にしたわけではないだろうが、農作物の収穫にはよくあることとして聞いている。柿を手に人の裏と表、表と裏を考えながら歩いた。
人間、誰しも多かれ少なかれ表裏(おもてうら、ひょうり)や裏表(うらおもて)があるものだ。この表裏と裏表ではその意味が多少異なっている。前者は「表面に現れる態度と心のうち」で後者は「表面に現れた部分と隠れた内実。見せかけと内実が一致しない。かげひなた」とある(明鏡国語辞典)。
人に関する使用一例で前者は「幸と不幸は表裏一体。世の中の表裏を知り尽くす。表裏のある人」など。後者のそれは「業界の裏表。言行に裏表がある」。言動や態度が心のうちと異なるという意味では同じにとれる。世間話をしているとこの「表裏」も「裏表」も区別せずに使っている様に思う。まずは政治の世界は表だけにして欲しい、わが身の反省を差し置いて思っている。今日は霜降、秋が一段と深まる、収穫まだの柿は熟れるだろうか。