日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

生きること

2020年10月05日 | 生活・ニュース

 寺の前で久しぶりに出会った人に「なんぼうになるんかいのう」と聞かれた。これは地元の言い方で「年はいくつ」「何歳かね」という問いかけになる。問いかけてきた人は私より1学年上でよく知っている。「今月80になる」と答えると「そうじゃったひとつ違いじゃったのう」と笑う。寺の掲示板の「生きるとは出会い続けることである」が笑っているように思う。

 しばらくコロナや新政権の話しの後で「最近、高齢の知人や同期が続いて亡くなったが、コロナでなくてもみな家族葬で何日も過ぎてから知ることになった」とコロナ禍による世相の変わり方を、分かってはいるがと断りながら嘆くように話す。コロナが収束しても家族葬はレガシーとして残るという人もいる。当たり前と思ったことがそうでなくなるかもしれなくなる。

 コロナは百年、百五十年に一度の大変動をもたらすかもしれないとある識者は書いている。それは産業革命やルネッサンスに匹敵すかもしれない変革という。私らはそんな大変化の時代に生きていることになる。寺の掲示の「生きるとは出会い続けること」の証のような状況にいることになる。

 家族葬では人と人の繋がり、交流や集いの方法が変わっている。リモートワーク、Zoom会議、無観客試合など連帯感という形が崩れている。生きることの方法、仕方をどう変えたら「出会い続ける世界」に生き残れるのか、「コロナに負けんように頑張ろうで」と分かれた先輩のひと言を思い出しながら思案する。
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