AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

アイドルシーン全体の利益(ナッキー)

2015-08-02 06:02:51 | アイドル論
アイドルシーン全体の利益

ある音楽関係者のツイート
@supportista: 以前取材で、@ JAMプロデューサーの橋元さんが言っていたのだけど、いまのアイドル界には自分のところの利益だけでなく、シーン全体の利益を考えて動く人がすごく多いと。それは確かにその通りだなと思う。
@arai1046: @xex01 @supportista 協力して広げていこうってならないと、たぶん人が集まらないんだと思います


東京ではよくわかりませんが、地方にアイドルを見に行くと、アイドル同士がライバルではなく、
同じ商店街で、お店を出している同士、という運命共同体のような、感覚があります。

新潟のRYUTistは、さらに、
他の地方に遠征したり、(北海道)
他の地方アイドル、東京アイドルを新潟に読んで、ツーマンライブをやったり、

アイドル同士の協業、アイドルシーン全体を盛り上げる姿勢を感じます。

昔は少数のアイドルで大きなパイを奪い合う構図、
今は無数のアイドルが小さなパイを作る、新しいファンを開拓する、そのパイを長持ち・大きくするために協業。

昔はアイドルのスキャンダルが週刊誌に載ると、そのアイドルの人気を落として自社のアイドルの人気を上げようとする、「ライバル会社の陰謀」と解釈していたが、
柏木由紀のスキャンダル@週刊文春がAKB48の人気を落とそうとする陰謀には見えず、週刊文春の売上至上主義に見えるのは、巧妙なすり込みなのだろうか。

ナッキー
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汗を見せない、アイドルという伝統文化(アイドル)

2015-07-20 15:25:56 | アイドル論
汗を見せない、アイドルという伝統文化(アイドル)

シュルエットだけでも、魅力的なのが、アイドルという記事を書いた意図は、

アイドルとは可愛いだけの文化ではなく、アイドルにはアイドルの「様式美」がある

ということ。今日ミライスカートという京都のアイドル四人組を初めて見ましたが、アイドルの「様式美」には、「汗を見せない」もあるとの感想をいだきました。

今日は18時から、元TAKENOKO、7.4-期間限定ソロ活動中の葵叶望(うたの)に行くので、その前にアイドルを見ようと、
選択肢はたくさんありましたが、AKIBAカルチャーズ劇場なので座って観戦できる、初見の地方アイドルとの判断でミライスカートへ。

どんなグループかそれほど予備知識なかったので、13時にステージに登場して、白い靴下に、黒い靴、が目に入り、顔を見る前にファンになりました。

「汗を見せない」のがアイドルの伝統、と書いたのは、象徴的表現で、今のアイドルは、ダンス系でなくても、実際には振り付けだけで汗をかく。

乃木坂46、生で見たことないけど、汗をかいているはず。
美少女グループ、X21も汗をかいていた。
ミライスカートも、客席からは見えなかったが、終演後ロビーのモニター(ステージ映像)でアップで映るメンバーは汗をかいていた。

昔の可愛いだけのお人形さんアイドルとは違い、今のアイドルは実際には汗をかく。
でも、AKB48、ももクロに代表される現代のアイドルは、汗をかくことを売り物にしている、ファンがアイドルが汗をかく姿を期待している。

伝統主義者アイドリアンとしては、そういう主流派に対するアンチテーゼのアイドルを応援する。

白い靴下をはいて、ダンスできない衣装を着ると、必然的に、曲がアイドルらしくなるから、ますます応援する。

応援する、とは、また見に行きたい、という軽い意味です。ナッキー
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シュルエットだけでも、魅力的なのが、アイドル(ナッキー)

2015-07-16 20:31:33 | アイドル論
シュルエットだけでも、魅力的なのが、アイドル(ナッキー)

可愛いだけなら、歌うアイドルでなくても、芸能界には大勢いるでしょう。
美人なら、アイドルよりも、女優、 かっこいいなら、アイドルよりも、モデルに多いでしょう。

アイドルの本質的な魅力は、可愛い、美人、かっこいいとは違うのではないか、と考えてしまいます。

毎日のようにライブハウスという現場を中心に、たくさんの歌うアイドルを見て、時には、

シュルエットだけでも、魅力的だというアイドルに、出会います。

ステージを後ろから見て、可愛い顔が見えなくても、体全体からアイドルらしさを発散している、

例えば、振り付け、手の動き、顔の傾け方
例えば、歌のリズムに合わせた足のステップ

当然のことながら、ダンスするアイドルに、こういう感慨は湧きませんので、私は伝統文化としてのアイドルが好きで、最新鋭のアイドルはちょっと?です。

今日見たライブの出演アイドル、
KOTO / リナチックステイト / 遠藤遥(from ナト☆カン) / loop /伊藤桃 / 安島菜々(Barbee)

安島菜々は、シュルエットだけでも魅力的。
特に足がよかった。
右足の靴ひも?がほどけそうになっていたけど、淡々と歌い続けた。
曲も、アイドルらしくて、好きになりました。

安島菜々の魅力に、今まで気がつかなかったことを反省して、彼女のツイッター写真を見ているが、ほとんど上半身の写真で、足がはっきりと映った写真がないのは残念。本人が自分の魅力に気づいていない可能性あるかも。ナッキー


想像上のシュルエットのみならず、ルックスもアイドルらしい安島菜々。物販が、チェキと写真一枚撮影。距離的に全身写真は撮れませんでした。


安島菜々のツイートに、今日の衣装


ツイートをさかのぼり、全身写真を見つけました。

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AKB48の理念の「うさんくささ」と、アリスインアリスの「すがすがしさ」(ナッキー)

2015-06-08 21:54:48 | アイドル論
AKB48の理念の「うさんくささ」と、アリスインアリスの「すがすがしさ」(ナッキー)

AKB48の理念とは、「メンバーは将来の夢を実現するためにAKB48で活動している」という秋元康の発言を意味する。
「AKB48というアイドルは、メンバーの夢であってはならない」という理屈になる。

「AKB48メンバーとして成功することが夢」「アイドルとして輝くことが夢」というメンバーもいるだろう。いや、いて欲しい。

もしいたとしたら、その本音を胸に秘めて、「AKB48以外の夢を求めてAKB48として頑張る」という建前を述べる。アイドル本人にとっては屈折したグループ。

私のような単純なアイドル好きにとっては、本音と建前が違う(可能性がある)「うさんくさい」グループに思えてしまう。

AKB48メンバーの夢の多数が、女優になること。
アリスインアリスのメンバーは、すでに女優になるという夢を実現している。

女優という夢を実現したのに、さらにアイドルグループという夢。
これがすがすがしい。

いや、ファンとしては、屈折した気持ち。
「アリスインアリスのメンバーは女優なのに、アリスインアリスというグループとして、私たちにアイドルとしての姿を見せてくれるのは、彼女たちが、本音から、アイドルとして輝きたいから」と理解できる。

彼女たちが女優でなかったとしたら、
「本当はアイドルが夢ではないのに、本当は女優(またはアーティスト)になりたいのに、そのためのステップ・手段として、私の前でアイドルをしているのかもしれない」と、疑うことになる。私がAKB48の理念なる害毒に犯されているから。

アリスインアリスのメンバーは女優だから疑わなくてすむ。

故に、アイドルとしてのステージで楽しんでいるアリスインアリスの姿を見て、アイドリアンとして私も、心から楽しむことができる。

「もっと多くの人に、アリスインアリスを知って欲しい」とステージの高橋明日香から言われた。
今までも、アイドル好きの友人には、アリスインアリスを勧めイベントに誘ってきた。

でも、アリスインアリスがあまりにも有名になると、切符が買えなくなるというジレンマはある。

この心配は杞憂ではない。

アリスインアリスのアイドルらしさは、ライブの素晴らしさは、パフォーマンスの良さは、世の中に知れてしまうと、一挙に雪崩打つレベルの高さ。

こんなブログ記事を書いていると、自分で自分の首を絞めているような気になってくる。
まあ、アリスインアリスが売れて、切符が買えなくなったら、諦めればよいのである。
AKB48の切符が買えなくなって、シアター観戦を諦めたように。

ナッキー
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アイドルの隠せない個性(ナッキー)

2015-03-29 22:28:39 | アイドル論
アイドルの隠せない個性(ナッキー)

昔のアイドルと現代のアイドルの一番大きな差は、
昔のアイドルの文章は、出版社か事務所が書いていたのに対して、
現代のアイドルの文章の多くは、特に、ツイッター・モバイルメール・Google+・ブログはアイドル本人が書いていること。

AKB48グループで、本人が忙しくて、誰かが文章を代筆しているメンバーはゼロではないと思うけど、本人が書かない時は更新されていないので、代筆はほとんどないと思われる。
昔のアイドルにどっぷりつかった世代で、現代のアイドルをテレビ以外のメディアで接していない方と話すと、「アイドル本人が書いている」ことを、なかなか信じてもらえない。

では、範囲を限定しよう。AKB48グループには大手プロダクションに所属するメンバーもいるので、少人数プロダクションのアイドル(ライブアイドル・地下アイドル・ローカルアイドル)に議論を限定する。
時にチェキの撮影係や物販の集金までアイドル本人がやっているので、アイドル書く文章を代筆する人など雇っていない。(マネージャー本人がそんな暇はないけど、親や家族が代筆しているケースはあるかも。)

では、アイドル自身はどう思っているのか。

里中アオのツイートを一部編集して引用します。
@ao_nlv: アイドルは、仕事であるから、素でいいわけじゃない。(感情的になるのはいけない)
けど、意図して二面性を作るべきなのでもないと。
ファンに嘘つく職業、ではないと思うのです。
ステージから伝わる個性は、無理矢理作り上げたものより、しまってた内面が溢れ出ちゃってる方が、ずっと深くて素敵じゃないですか


@ao_nlv: ふと気づいて調べてみたら、
こ‐せい【個性】
個人または個体・個物に備わった、そのもの特有の性質。個人性。
つまり目的や下心のために、無理矢理塗り固めて作った何らかの特徴っぽいものってのは、そもそも個性ではないのですね。=


オールドファンからすると、アイドルの個性が、簡単に分かってしまうのは、(ありがたいけど)物足りない。というか、古今集から万葉集に変わった感じ。
里中アオの論理を援用すると、昔のアイドルは、テレビで見せる表向きの「可愛らしさ」と、本人の個性ではなく、虚像であり、作られた人形のようなもの。事実そうでした。
しかし、当時のアイドル鑑賞者は、表向きの「可愛らしさ」に隠れた個性を見ていたのである。

表向きの可愛らしさと、現実のむごたらしさのギャップが激しいと言われた代表例が、中森明菜と南野陽子ではないだろうか。もちろん、メディアにでない情報(噂)を覚えているだけにすぎない。
小泉今日子がドラマ「あまちゃん」でヤンキーのようにどなったのも、アイドルになる前に暴走族だったという噂は本当だったのだと思い出したり。当時は、「元暴走族の女の子が、こんなに可愛くなるのだ」という小泉今日子の個性を楽しんでいた。

里中アオの「個性論」は、アイドルだけではく、会社生活や、家族にもあてはまる。サラリーマンに援用してみると、
「会社員は、仕事であるから、素でいいわけじゃない。(感情的になるのはいけない)
けど、意図して二面性を作るべきなのでもないと。
お客さん・上司・同僚・部下に嘘つく職業、ではないと思うのです。
仕事を通じて伝わる個性は、無理矢理作り上げたものより、内面が溢れ出ちゃってるのではいと、通じない。」
中には、上司に、堂々とおべんちゃらを言う嘘つきもいますけど。


里中アオのツイート後続で、
@ao_nlv:最近ふぁぼ貰えてRT貰えないのは私の言葉が多すぎるのと大して共感は得ないからなのかなとか思ったけど、だから何なのよね。私の言葉が好きな人は、そっとうんうんってうなづいたり、そうかな?って首をかしげたりしてくれてるんだろうなって。

お気に入りにもRTもしていないけど、ナッキーは共感していることを、引用リツイートで表明しました。
@hagurohebi個性のツイート引用させて頂きブログ書く予定。

返事を頂きました。
里中アオ@なちゅらリウム.vivid @ao_nlv

@hagurohebi おおお!どんなことになるのか…ドキドキ


こんな返事は、マネージャーでは書けませんぞ。吉田教授。

ナッキー
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受験生アイドルのイベント予習「東京女子流アーティスト宣言」(ナッキー)

2015-02-13 03:07:09 | アイドル論
受験生アイドルのイベント予習「東京女子流アーティスト宣言」(ナッキー)

2月22日(日)の受験生アイドルの討論テーマ
「【アイドル時事ネタ討論会】
・東京女子流さんのアーティスト宣言について
・NegiccoさんとNGT48について」

が面白そうなのですが、当日参加できるかスケジュール調整自信ないので、AKB48仲間に参加(私が欠席の時は報告)を要請した。
この友人、AKB48は私より詳しいのですが、他のアイドルに疎くて、「東京女子流なんて、地下アイドル知らない」と言い放ち、
アーティストを名乗るアイドルのファンが一番聞きたくない「地下アイドル」と間違えるようではイベント参加が危険につき、現在指導中。指導の内容のうち、基礎情報編はブログ読者にはつまらない内容なので、討論会ネタの中級分析編、以下。

ナッキーが東京女子流アーティスト宣言で、一番期待するのは、「アイドル的CD販売方法を辞める」
これを勝手ながら次のように解釈しました。
1. シングルのカップリング曲を複数出して、同じシングルで曲が異なる販売方法はとらない。(東京女子流が今までこういう販売をしてきたのか、知らないで書いています。)
2. シングルのジャケットを複数出して、同じシングル曲なのに、外見が異なる販売方法はとらない。(同上)
3. シングルを買うと、権利がついてくる、それ故イベントに参加したいファンが、同じCDを複数枚買うという販売方法をやめる。(同上)
4. もしこれまでアイドル的販売方法で売上を伸ばしていたのに、これを辞めると売上は減る。その結果、「昔のように、一種類のCDのみ販売する」のと、「現代のように、複数種類のCDと権利というおまけで販売する」のと、販売枚数に、どれだけ差がでるのかという、(私のようなアイドルの歴史に興味があるアイドリアンにとって)壮大な実験がこれから始まる。

3の権利とは、代表的なものにAKB48の握手会・選抜総選挙投票権があります。
その他に、私も利用しているのに、秋葉原ソフマップのイベントは、CD購入がライブ観戦の権利となっています。30分のライブと物販見学で1000円、それも座れる可能性あり、というのは老人の私にとって魅力です。

これを複数の識者に配信して意見を求めたところ、いただいた意見は、
意見1:ナッキー氏はアイドルしか興味がないから、アーティスト界の事情をしらないようだが、CDに特典をつけているのはアイドルだけでなく、アーティストも同じである。もちろん手法はいろいろで、アイドルと全く同じではない。ざっくり言うと、アーティストファンは、CD売上が落ちるとコンサートが難しくなるので、コンサートを続けてもらうためにCD売上を維持しようとする構図がある。
意見2:CDの売上のほとんどはオマケや特典に対してと割り切り、音楽を聴くための購入枚数はダウンロードデータで分かる

意見2は、自分が購入した経験がないので、私にとって盲点でした。識者が送ってくれたネット記事を添付します。

東京女子流について過去記事。
アーティスト論 資料 20世紀から脈々と続く謎。なぜ“アイドル”は“アーティスト”になりたがるのか。

(問い)東京女子流はアーティストか?
(答え)絶対アーティストである。何故なら全てのアイドルは、アーティストという分類の小分類だから。


ネット記事「AKB48の勢いは落ちているのか?iTunesの売れ行きで検証してみると…」 リンク

CDシングルの売上枚数ばかりが注目される日本の音楽業界だが、CDシングルランキングは、アーティストの人気ランキングとイコールとは言い難い状況となっている。CDシングルランキングからは、名を連ねているアーティストが今世間にどれだけの影響力を持っているかを測ることが難しくなってしまった。
 そんなCDシングルランキングで毎回ミリオンセラーを記録し、ぶっちぎりの勢いと評されるのがAKB48である。毎年CDシングルランキングで勢いを評価すると「毎年ミリオンセラーを記録」しているので、長年ずっと人気を維持しているように見える。しかし、果たしてそれは本当なのか?という疑問の声は少なくない。
 そこで、当サイトでは独自に集計している「オリジナル週間iTunesトップソング」の指数を使い、2013年~2014年のAKB48の作品が記録した成績を並べ、勢いの変化を分析してみた。その結果を見ると、これまで見えなかった事実が姿を現す。
AKB48の勢いは徐々に落ちている?
 下のグラフをご覧頂きたい。以下のグラフは2013年~2014年に発売されたAKB48の楽曲(表題曲)のiTunes指数を並べたものである。

(指数は「The Natsu Style」の独自集計。2015/01/18までの累積点。)
 グラフを見ると分かるように、2013年初頭に発売された「So long!」では約8万ptあった指数が、2014年の最新作「希望的リフレイン」では約2万ptまで落ちている。指数の推移から判断すると、2013年初頭の約1/4まで勢いが落ちていると言える。
「恋するフォーチュンクッキー」で新規ファンは獲得できなかった?
 また、先のグラフを見ると、1作品だけ「恋するフォーチュンクッキー」の指数がずば抜けている。同作品がいかに爆発的に売れたかが一目で分かるグラフだと言えるだろう。
 しかし「恋するフォーチュンクッキー」の次の作品「ハート・エレキ」では再び指数が元通りとなり、「恋するフォーチュンクッキー」より前の作品に比べて下がっていることが分かる。あれほど爆発的に売れたにもかかわらず、「恋するフォーチュンクッキー」は次作以降の売れ行きに殆ど好影響をもたらさなかったと言えるようだ。
 唯一「恋するフォーチュンクッキー」と似通った路線である「心のプラカード」では多少注目度が上がったが、2番煎じの路線が受けず、結局大ヒットとはならなかった。その次の「希望的リフレイン」では指数が急落した。
■ 配信ではごまかしが効かない!
 以上の分析から、AKB48の勢い、さらにAKB48への関心は、この2年でかなり早いペースで落ちているように見える。CDシングルの売上はイベント回数・種類の増加によって維持できるが、おまけに頼めない配信ではごまかしが効かないと言えるだろう。
 ただし、これはAKB48に限った話ではない。今後もCDシングルの売上枚数を維持して「見た目の人気」を保ちながらも、配信ではずるずると勢いを落とすアーティストが続出することが予想される。真に世の中への影響力を持った音楽作品を見極めるには、配信のランキングに目を向けることが必要だろう。(引用終わり)

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アイドルの発言、アイドルファンがアイドルにお金を使うことに関して(ナッキー)

2015-02-12 00:30:36 | アイドル論
アイドルの発言、アイドルファンがアイドルにお金を使うことに関して(ナッキー)

白鵬の審判批判と、アイドルの恋愛発覚(ナッキー)という記事は、タイトルを「白鵬の審判批判に対しては、冷静に事実として受け止める(羽黒蛇)」と相撲ファンを刺激しないように変えて同じ文章を相撲ブログにのせた。

世の中には、
相撲は伝統文化であり、アイドルなどという低級と、「同じ土俵」で論じることは許さない。
歌舞伎は芸術であり、アイドルは芸術でない。
クラシックは音楽であり、アイドルは音楽でないから同列に論じることはできない。
東京女子流はアーティストで、アートと言えないアイドルより高い。

というように、自分が愛好する文化芸術アートを「アイドルと比べて欲しくない」という人が多数いるので、ブログが炎上しないように、気を使いました。

相撲ファンから、上手ななぞらえのコメントを頂きましたので紹介します。
Quote
アイドルに詳しくないので、的外れなことを書いてるかもしれないが、
「横綱の審判批判」というのは、プライベートな恋愛というより、
「推しメンの番付上げるために、投票券付きのCDを何百枚もオタに買わせるシステムは間違ってると思いますよ秋元先生」という、オマエそれ言うたらアイドルのアイデンティティが崩壊するやろ、タブーを口にするな現役のアイドルが、ってことじゃないのかな?
一昨年の総選挙で、指原莉乃の隣に地元大分の県知事か市長が立っていたのを見て、
「これって、力士なら化粧まわし贈るタニマチやな」と思った。
大相撲とアイドルって、案外似ているのかもしれない。
Unquote

コメント返事としては、
その1:相撲のタニマチをして破産する人もいるし(15代横綱梅ケ谷のタニマチが無一文になる講談「幸助餅」が有名)
その2:テレビではアイドル産業の集金システムについては、ほとんど発言がないでしょうが、ライブの現場では、
アイドルが「ファンに大金を払わせて申し訳ない」とか、
ファンに「もっと金を投資して欲しい」とか、
「(自分に)お金を使いすぎで、栄養失調にならないように」
という発言は、本音から、自嘲まで、耳にすることはあります。

これは、実際にお金を使って、経済的効用(アイドル鑑賞による享楽)を得ているファンを相手に、「アイドルは大金を使う価値がある」という売り手(アイドル)と買い手(ファン、ヲタ)の間に共通認識があるから成立する会話

共通認識がある場で、「アイドルがファンにいたわりの言葉をかけた」事実が、
共通認識がない新聞に報道されると、アイドルは、その言葉を消去せざるをえない


KCさん(現テッド・KCさん)のAKB48松井咲子の例(当ブログの過去記事)を再録します。ナッキー

―――
朝日新聞記事の是非を考える。松井咲子のファンへの思いやりを感じた。(KC)

テッド氏によると、
鈴木紫帆里の握手会一ループが終わるたびに、会場に待機しているナッキー氏に、記憶のうすれないうちに、会話の内容を伝える。それを、ナッキー氏がiPADで書いて、テッド氏が内容をチェックしてから、ブログにアップ。

ほぼリアルタイムで、鈴木紫帆里発言をブログに記録しているが、彼女が自分の発言を全て覚えているとは思えない。覚えていると想定するのは、現実的ではない。

鈴木紫帆里が仮にこのブログを読んだとして、私こんなこと言ったのかしら、と思うことは多いはず。
鈴木紫帆里ファンとしてテッド氏が新聞のインタビューを受けて、過去の握手会でのしほりん発言を引用したとして、「そんな発言はしていない」と言われる可能性は、そこそこ高いと思う。

朝日新聞のインタビューに応えた北沢尚さんが、
本当に、松井咲子から「破産しないでね」と言われた
か否かも、興味はあるが、大事ではない。

大事なのは、北沢尚さんに対して、アイドルである松井咲子が、相手を心から心配したこと、心配してくれたと北沢尚さんが感じたことだと思う。

ここに、アイドルと、アイドルファンの、理想的な関係を感じた。

言ったか言わないか覚えているはずのない記事に、松井咲子がブログで「言っていない」と反論した。これを、事務所の指示に従いブログで否定したという邪推は、アイドル鑑賞の態度として正しくない。彼女が、本当に記憶にないのである。一方、

2700票入れたなんて、新聞記者に話すなよ、

という正直な感情の発露だと感じた。
大量投票があるのは、ファンなら誰でも知っているが、具体的に、2700票、53万円という具体的な数字は、イメージを傷つける。

松井咲子の6058票は、北沢尚さんが投票しなかったら、3358票で、64位の5398票を下回った。生々しい。

朝日新聞の記者は、北沢尚さんには取材したが、松井咲子に握手会で「破産しないでね」と言ったかという裏をとっていない。
全ての発言の裏をとる必要はなく、発言そのものが、北沢尚さんの勘違いであってもよい。

大事なのは、

松井咲子は、ファンに対して思いやりのあるアイドルであるというイメージ、

AKB48とは、(松井咲子のように)思いやりのあるメンバーがそろっているというイメージを伝えることは、新聞記者として間違っていないと思う。批判ばかりするのが、ジャーナリストではないはず。

朝日新聞の記事を読んで、少し感動していたので、松井咲子がブログで否定したことは、繊細なAKB48ファンとして、傷ついたかもしれない。
―――

相撲のタニマチでも、アイドルへの投票でも、好きなことにお金を使って、破産するなら本望でしょうか。

ナッキー
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アイドルが「女優」に向いていない理由(ピーナッツ)

2015-02-10 07:14:30 | アイドル論
これは、″アイドル(活動)をやっていると、かなりの遠回りをしてしまう″ って 言った方がいいのかな? いや、いいのかもしれないな…ってことだ。そのココロ…
ズバリ!それは、「時間的な問題」だ。キッツキツのスケジュールが 大きな大~きな…要因。″役とゆっくり向き合う″という時間が 圧倒的に少ないアイドル生活だからね…。
大っ変申し訳ないんだけど、格好の材料 & 最適な例なんで、これ、堀北真希と前田敦子を比較させてもらうよ。それぞれが演じた…過去の主演作品『花ざかりの君たちへ~イケメン・パラダイス~』での二人の演技…その差だ。
僕が それ、最も表れてしまっていたと思っているのはね、二人の「走り方」だよ。要するに、そこ…「芦屋瑞希」として、どれくらい 仕上げてきたか?ってことだ。いわゆる、事前準備…。
そんなもん、セリフだけじゃあないからね、「女優」…。「走る」や「歩く」だって、重要な演技なんだ。
ましてや、このドラマの主人公である…この「芦屋瑞希」って女の子は、″走りなら 誰にも負けないっ!″ ていう設定だったんだ。
で、ぶっちゃけ、そこが ないと、″もう一度、佐野を跳ばせたい!″…この感情には繋がっていかないんだな、これ。(ちなみに、佐野 泉役…堀北版では、小栗 旬。前田版では、中村 蒼)…とにかく、お話が 根底から崩れてしまう。
だから、このドラマに関しては、特に、最重要事項!だったはずなんだよ…その「走り方」。
両シリーズとも、わりと1話?2話?ぐらいの…まあ 最初の方で、この走るシーンが 出てくる。
(堀北版は、マラソン大会。前田版は、体育競技大会のリレー種目として)
そこでの差…だよね。
まず、堀北は…ていうか、彼女の作品には、わりと ″走る″ 場面って、出てくんだよね。でも、それ、作品ごと…というか、場面ごとで 全部違ってる。変えてきてる。″走る″も感情表現の1つ…彼女が そう意識してる証拠だ。そして、それは、今作品でも そうだったって(だけの)こと。
この人は、いつも、役柄 〈 作品 なんだと思う。(このことは、彼女出演の舞台『二都物語』…その千秋楽終わりの挨拶を聞いてても そう強く感じた)。
とりあえず、彼女って、バスケ部出身なんだよね。で、バスケ出身ってのは、普通に走ったら(走っても) 出てしまう…2つのクセってのが あるんだよ。
1つは、ヒザを こうなんちゅうか…若干浮かした状態で走ってしまうこと。″そんなに強く蹴らない(風に見える)″と言ったらいいのかな? とにかく、スーッって…。
これは、体育館での スタート & ストップ の反復練習…キュキュッ! 無意識に 自らのヒザを傷めないように身に付いてしまった…バスケ部特有のクセだよ。だけど、彼女の着地から蹴り、それは…。
そして、もう1つは、バスケ部出身って、両肩の動きが カクカクッ!キビキビッ!って、細かく回転というか…前後運動しがちなんだけど(常に、ボールを受けられる体勢をキープしたい!というクセ)、彼女は、その両肩を 根元の肩甲骨とともに大きく大きく使ってる。真っ直ぐ & 大きな回転による推進イメージだ。要は、腰の動きへの連動なんだな。とにかく、陸上選手っぽく見えるように…の動きだ。
僕は、このバスケ出身者特有の2つのクセが 2つとも出ていない(克服? 修正?)ことが なんせスゴいと思って観ていたんだ…当時。
間違いなく、この人は、やってるよ…トレーニング的なことをさ。今度演るキャラクターの全貌が 分かった…たぶん、その日からね。すべては、「芦屋瑞希」になるためなんだ。でも、「女優」にとっては、当たり前のこと…。
だけど、一方の前田敦子の ″走り″は、どう? どうだったか?というと、僕は、テレビを観てて、こう思ったよ…
『Everyday、カチューシャ』のPVじゃんか ?! あれと一緒じゃん!″ってさ…。
完全に、「前田敦子」の姿が あのトラックの中にあった。「芦屋瑞希」なんて いなかった
。だから、あの時、そんな芦屋瑞希を目で追いかけてる(次のランナーである)中村 蒼のアップのシーンが あんなにウソっぽく見えた(映った)んだよ。
監督から、″腕を振って、一生懸命走ればいいから…伝わるから…″以上!の…当日限定キャラクターが そこには あったんだろな?…って、たやすく想像できるレベルの出来、そんな ″走り″…。
堀北版…当時のインタビューで、覚えているものがある。
それは、佐野 泉を演じた 小栗 旬の何気ない一言…
″俺たちもガンバんねぇとな~って…″
小栗が ハイジャンプを跳んでるシーンは、実際、彼自身が跳んでいるという…これの意味すること。そして、堀北版は、そういうシーンが(他にも)…本当に ″引きの画″が 多い。
一方の中村 蒼の方のそういうシーンは?というと、走り出した表情のアップ→踏み切りの右足のアップ→バーを超えるか?超えないか?の下からのアップ→マットに背中から落ちた時の中村…表情のアップ→バーが どうなったのか? という単体アップ…。
″アップの画″の連続が 意味するものとは?…
当時、前田版が 始まった時、
″堀北版の男性キャストは、あんな豪華だったのに、あれでは、あっちゃんが かわいそう…″って、かなり言われたけど…。その視聴率が 発表される度に、毎週 言われてたけど…僕に言わせたら、″違うよ!″ だった。
″男ども…いや、若手俳優たちの心に 火をつけたか?つけなかったか?″…その一点だと思っていた。だって、主演でしょ? 座長でしょ?
でも、同時に、こうも思ったんだな…
″もしも、もし…彼女、堀北真希が AKBのセンターだったら? だったとしたら? そういう生活を送っていたとしたら?″…と。
僕は、あの時の「芦屋瑞希」…その完成度は、なかったと思う
。事前準備なんて…到底 出来なかっただろうからね。
″よし!いついつ クランクイン! からの3ヶ月は、この作品一本な! あ、時々、番宣あるから、そっちもよろしくな…頑張っていこう!″
このスケジュールでないとね…基本的に無理だと思う。
とりあえず、あの「走り方」は、出来ないよ。
あと、僕、前田敦子って人は、″やる″人だと(だった)と思ってるんだよね…時間が あったなら?さ…いろんなこと、取り組みをね。お見受けしたところ…たぶん、彼女は、そうだわ(そうだったわ)。
要するに、「アイドル」で、特に、前田のような「トップアイドル」で いることは、″台本と格闘できる才能″を奪う,奪ってしまう…ってことだよ。
僕、前田敦子のアイドルとしての活動期間を考えると、「女優」…9年 遠回りしていると思ってる。それもふつうの9年じゃないよ。最も多感な時期の9年だ。当然、差は出るわ。ただ…
ただ! その辺は、当の本人も よく分かっているみたいで…。だから、あの発言になるのだと思った。
アイドルなんて、簡単ですよ″…と。
「アイドル女優」→「女優」・・・ 。 前田敦子、只今 もがき中…。武器は、同年代…誰よりも 板の上、それも厳しい目…監視の中での 板の上に立っていたという経験のみ。
直接は、関係ないけど、関連は ありありです。活かすか殺すかは、本人次第…。

【堀北メモ】
『男どもとの距離感』
当時の男性キャストのインタビューによると、堀北ってのは、この収録期間…(男どもとは)ずっと 付かず離れずの距離…しかし、いっつも イジられる距離には いたそうだ。
だけど、堀北本人は、自分が イジる側,イジり役だと(最後まで)思っていたらしい。
『黒木メイサとの話』
女優・黒木メイサとは、彼女が結婚するまで、ニコイチのように仲が 良かったらしい。
事務所が 一緒、年齢が(たしか)一緒、寮(最初、住んでたとこも)一緒…ってのが その理由。
この二人…どちらが 男? 女? らしっぽく見えます? たぶん、逆。
黒木のとこに、″付き合ってください!″的な電話や、まあ おかしな電話があったりすると、いつも、″ちょっと代わって!″と、その電話相手を威嚇退治してくれるのだそうだ(黒木メイサ談)。
この人が 男。堀北真希とは、本来の性格が 男っぽいのだ。だから、本人にとっては、男同士っぽい部分…居やすかったのかなぁ~、と。
『田山涼成さんの話』
これは、俳優の田山涼成さんが、関ジャニ∞の番組で話した話。
″その世代、一番スゴいのは、堀北真希だ!″と。田山は、彼女が 初舞台の時の共演者らしい。
千秋楽のせり下にスタンバってた二人…。最後のシーンで、この場所から舞台上にせり上がりマシーンを使って 登場!のタイミングを待ってたんだな。
″共演できて嬉しかった。ありがとう。最後、頑張りましょう!″…田山が こう言うと、堀北は、
そのそばにいた人(安全確認 & そのせりを動かす人)に こう話しかけたんだそうだ…
″すみません、まだ、時間あります?″
そして、時間が あることが 分かると、
″じゃ、すいません、田山さんとのツーショット…それ(ケータイ)で 撮ってもらえませんか? 私の宝物にしたいんです…″
パシャリ!
そして、ほどなく、時間…
″さ、行きますよ!″
その時の堀北のキリッとした横顔と度胸と気遣い,切り替え…それが 忘れられないのだそうだ。あと、意外に男っぽい部分も…。
【前田メモ】
『日傘の話』
これは、「週刊女性」「女性セブン」に書いていた話。どこまで本当?の内容なんだけど、でも まあ…単独では なかったので、半分は 本当なんだろう…。
つまり、そのドラマ収録の裏話…″前田敦子は 孤立している″という。でも、これ、前田本人が 原因ではない。
休憩ー!ってなると、マネージャーが すぐに日傘を持って やってきて、前田の隣にスタンバイ。飲み物とともに日焼け用の日傘で 彼女を覆ってしまうのだそうだ。
もちろん、男どもも 涼しい日陰で 一休み…なんだけどね。でも、僕は、その光景を想像したよ。
アイドルって、マネージャー等…周りの人間が潰してしまうケースって、往々にして…ある!と思っているのよね~。

【堀北メモ(プラス1)】
『六ちゃんの話』
彼女が 『Always ~三丁目の夕日~』で 演じた「六ちゃん」というキャラクター。方言指導が入る前に、もう…ある程度、基本は、出来ていたのだそうだ。で、本番は、その全編方言のセリフの言い回しも含め 完璧で 、とにかく「存在感」に集中していたそうで、作品の中における「六ちゃん」の立ち位置に悩んでいたそうで…。
ていうか、それ、役自体…難しい役だよ。
アイドルの人は、アイドル活動をしながら、あれが 出来るか?…って思うんだよね、「女優」…。
【AKBメモ】
実は、1人だけ…
いい時期に選抜から離れ、いい時期に卒業し(もちろん、AKBの活動は、しっかりとやり遂げた上でね)、今、サプライズ?とかで、「後輩たちのリクアワ」…その成長,巣立ち & 一本立ち,注目度,主役の座を奪うことなく、邪魔することなく、女優道…ものすごく いい環境で邁進し続けている 元メンバーが いる。
この人は、卒業前(だいぶ前)から、たまたま?そういう状態だったんだよなぁ~。
将来は、知んない。でも、「女優」に 最も近い人なんじゃないのかな? とか 思っている。
秋元才加。かなり前から、最も専念出来てる人だと思うな。
でも、AKB的には、彼女が 1番じゃ…まずいんでしょ

基本的に!
女優」になりたいのなら、AKBにいてはイケナイと思っている。
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「アイドル」と「女優」の両立が 難しい理由(ピーナッツ)

2015-02-02 19:45:31 | アイドル論
別に、これ…『「歌手」と「俳優」の両立が 難しい理由』でも良かったんだけどね。ま、ま、ね…。
さてさて、AKB48とは、「歌手」である。「アイドル歌手」である。「グループアイドル歌手」なんだ。
でも、″女優やりたいです!″…これって、将来、なっかなかの苦労をするだろうなぁ~とか思っている部分があってね…。とりあえずは、2つやね。
しっかし、「女優」ね~。

【リズムが、″合ってしまう″という弱点】
僕が、このことを考えるようになったのは、たぶん、あれ…世界の歌姫・マドンナの主演映画を観た時、あれキッカケ。あそこからだ。
″なんだろう? この味気ない感じ…。別に、演技力が?ってことでもないような…、でも、なんでしょう? このサラッと進んじゃった2時間の感じは~?″ ってさ。
でも、それは、それとして、しばらくは 忘れていたんだよ。
だけど、それから、もう ずいぶんの月日が経ってからの ある日、突然、思ったんだ…
″そういえば、今現在、ハリウッドでトップを張っている人(役者さん)で、歌手として、まあ…活動していた人,今、両立している人とか…いないな~って。ウィル・スミスぐらい…か?″ってね。
それから、またまたの 時間の経過…
″今やったら、ビヨンセ???″ って感じ…。
僕は、この頃、思ったんだな…
″それは、歌手 及び…歌手出身の役者さんが、本物の…というか、なかなか大成しないのは、しにくいのは、
もしかしたら「(役者してる時とかでも)リズムが合い過ぎてしまっているからなんじゃないのかな
?」と。
だから、あの時…あの時のマドンナって、そんな悪くないのに、妙にサラッと、でも、退屈~に感じたんだ~″ってね、一人解決。
でも、人って、そんなに音楽的,リズム的に生きてない(生活してない)からね…実は。
ラップのビートが 芯にある2時間とかは、もう そればっかだと、さすがに疲れる(というか、だれる & 飽きる)よな~、と。
そして、当然、AKBの子たちにもあると思ってるよ、そういう兆しがさ。だって、彼女たちも歌手なんだ
正直、″今回は、この役だー!″…って、もう 初顔合わせ & 台本の初読み合わせの時点で、本人以外は分かってると思うな…
″あ、なんか…俺(私)が 気をつけよ″…と。
ただ、芝居にリズムが出過ぎてしまう…これって、いいこともあったりする。
例えば、志村(けん)さんが、ずっと言ってるように、
″歌手の方は、返しのリズムがいいから、コント…やりやすいんですよ″…とか、
松ちゃん(ダウンタウン)が、この前、言ってたように、
″アーティストの方って、みんな…短い時間やったら・・・トークのテンポというか、リズムいいでしょ。だから、『HEY HEY HEY』の時、テロップ出してもうたんや。あれは、面白ポイントの提示としては、成功やったと思うわ″…とかね。
″リズムが合う″、いや、″リズムが揃い過ぎる″といった方がいいのかな? とにかく、
″短い時間だったら持つ″… それが、本業と同時進行で、今現在、俳優活動をしている歌手の方の99%だと、僕は、思っているんだ。
″じゃ、2時間の本編では どうよ?″ってことだよね~。なっかなかの一握り。
まあ、手っ取り早い方法としては、多くのアイドルがやっているように、リズムだらけの現場の中に、職人さんのような俳優さんを数名…仕込むことだよね。錯覚させるためにね…バレないためにね。
だから、特に、アイドルの場合は、さあ!卒業しました!と、それ直後の1発目だよね…大事なのは。そして、本当を知るのはさ。
まあ、99%の人が 諦めて、残りの1%の人が なっかなかの苦労をしながら、自分なりのスタイルを創り上げていくのだと思うな~。
芝居…″合い過ぎるリズム″の(中の)2時間って、結構、気持ち悪いもんだよ…実は

【表現方法の違い】
「歌」ってさ、例えば、悲しい歌の時は…
悲しい詩を、悲しいメロディー,悲しいバックサウンド、それを 悲しい表情( + 最近は、悲しい感じのダンス)にのせて 表現すると、これ…それっぽく見える(聞こえる)もんだ(もちろん、レベルの違いは ある)。
「歌い手」は、どこか…″自分自身であること″が 求められているものだと思う。もちろん、″今、歌っている…その歌詞の主人公に対する想い″…そこにありったけの感情を投入しては いるだろう…けどね
これは、例えば、五木ひろし新春公演にて、
第1部…「歌謡ショー」
第2部…「清水の次郎長」。
でも、お客さんは、確実に、「″五木ひろしの″ 清水の次郎長」を観に来てる。
大切なのは、″五木ひろしが ″かっこよかった!んだってこと。 要するに、″五木ひろしが どうした?″ …なんだよね…お客さんは。だから、応えねばー!という独特な世界があるんよね…「歌手」には。
AKBも おんなじだよ。
それに、例えば、歌手、特に、AKBの場合。ん~ そうだなぁ~、今度は怒るシーンにしよか。付き合っている彼氏が浮気して、それが徐々にバレ出していくシーンだとしよう。
「怒る」→「もっと怒る」→「もっともっと怒る」→「もっともっともっと怒る」→「もっともっともっと怒る + よく見たら、右手のグーが やたらと強めの握りになってきてるな~」・・・ 。
歌手、特に、アイドルって、このパターン…多いのよね。1つしかない!って。
でも、歌手を経験しないで(あるいは、そこは、もう完全に断ち切ったカタチで、俳優業に専念!ってな人は)例えば、これ…同じシーンとかでも、
「怒る」→「ゆっくりめに怒る」→「笑う」→「半笑いで怒る」→「黙る」→「無視する」・・・ → 「敬語で話し始める」・・・ とかね、そういうこと。
つまり、「歌」を本業とする人って、″怒り″を ″笑い″で 表現すること、″悲しみ″を ″笑って″ 演じること、″喜び″を ″涙″で表すこと…は、ちょっとだけ出来る人いるな? でも、あんまり、そういうのに慣れていない…っていうのがある。
アイドル…特に、そういう(真っ直ぐ & 真っ白な)年代は、演技パターンが、非常にワンパターンなりやすいという下地があるってのもあるな~
ま、『会いたかった』を怒りの表情で歌ってみる…みたいな訓練もしてないだろうしね。『軽蔑していた愛情』を笑いながら歌ってみる…とかもやったことないだろうしね…。
本当に、アイドル…現場で、″すいませーん!今度は違うパターンでお願いしますー!″、
もし、これ 言われたら(俳優同士の現場では、監督と話しながら…でも、わりとよくある 普通のこと)おそらく、パニック起こすと思う。でも、ケツカッチン…。アイドルは、それで 助かってるか? だって、妥協してくれるからね。
ただ、″今の2時間…あの子、ずっと、全部、驚きの場面で、目ぇむいてなかったか? (1個しかないんだ~)″…そういうのは、確実に、確実に、人の印象に残る。
だから、両立って、難しいよ~。もしくは、「歌」時期と「俳優」時期、「アイドル歌手」やってる期間と「女優」やってる期間とか…そこを完全ハッキリと分けることだ。いや、分けた方がいい。まだ、なんとかなる。
でも、「アイドル」やってる間は、無理なんだろうなぁ~?
福山雅治,織田裕二,松たか子みたいなんが、理想やね。
でも、なんか 手を打っとかないと、若い頃のそれって、結構…本当に1個しか できなくなってる、気づいたら…の可能性が 大やからね。
あ、そういや、こないだ、美輪(明宏)さんは こう言ってたな…
″歌,舞台,映像…もう全部やったらいいのよ。日本は、そういう俳優が少なすぎるのよ! オーホッホッホッ…″って。
でも、これって、よくよく考えてみたら、それを高いレベルで出来てるのって、美輪さん自身だな…と。おまけに、この人、声優とバラエティーもやってて、やっぱ、バケモノだな…と。
でも、これ、さっき挙げた3人にも言えることだけど、けっして ″上手い!″ってことじゃない。
押し通すというか、貫き通すというか、とにかく、″強い″俳優なんだと思う。
″強さは あるか?″…結局は、そこなんだと思う。
サプライズ…とかで、いちいち戻っているようじゃあ…ダメダメ。ほど遠いわな~。
「アイドル」と「女優」の両立は、不可能に限りなく近く…難しいことだと思う。ま、周りの大人たちは、その時、褒めてくれるだろうけどね、持ち上げてくれるだろうけどね。
それでも、″私、女優になりたいです!″…この想いを持って、AKBで、今、頑張るんだ!って子は、″できるだけ多くの板の上を経験するぞ!今は!″…そう割りきった方がいいと思う。
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白い靴下は、アイドルの象徴(ナッキー)

2015-01-19 20:50:41 | アイドル論
白い靴下は、アイドルの象徴(ナッキー)

芸能・ファッションに詳しい友人に、「昔のアイドルは白い靴下をはいていたのに、AKB48以降、何故、現代のアイドルは白い靴下をはかなくなったのか」と質問した。

友人の解説によると、
1. 現代のアイドルはダンスアイドルである。白い靴下は昔のアイドルには似合ったが、ダンスの時靴下が白では変。
2. ファッションとして、白い靴下に似合う衣装は、難しい。
3. 前田敦子・指原莉乃に代表される現代のアイドルは、可愛くない。白い靴下は可愛いアイドルにしか似合わない。

実は、友人に会う前に、「最近、ナッキーが気に入っているアイドルの共通点が、白い靴下」という発見があったから、この質問をした。

まずは、アリスインアリス。
女優がアイドルグループで歌手をやっている7人組。歌とダンスと芝居が融合したパフォーマンス。現在リリイベ中の2枚目のシングルの衣装は、白い靴下。

次に、ハコイリムスメ。女優志望の7人組。
歌っている曲は、全て、昔のアイドルのカバー曲。オリジナル曲でCDを売らなくてよいのかと心配していたら、女優志望なのでよいようです。
AKB48のメンバーにいる女優志望と、ハコイリムスメの違いは、
前者がアイドルをやりながら、個々のメンバーが勝手に女優を夢見ているのに対して、
ハコイリムスメは、事務所・運営が、メンバーを女優として育てるために、歌を歌わせている。ライブでは寸劇がある。
女優として育てるのが目的なので、ダンスはない。そこがよい。
昔の歌は、現代の曲より、アイドルらしい。
こういうアイドルグループを見たかったという「伝統的アイドル」の良さにあふれている。
そして、靴下は白。
ファッションに詳しい友人の感想:これだけ可愛い子を集めれば、白い靴下でも耐えられる。

三つ目drop。生で見たことないけどチアチアで写真は見ています。
日本ツインテール協会から誕生したアイドルユニット"drop-ドロップ-"。協会発足以来、全国で数百人もの美少女を撮りおろしてきた日本一美少女に精通する協会【日本ツインテール協会】が満を持して世に出したそうです。
この写真はかわいく見えないが、メンバーのアップの写真は、かなり可愛い方です。

最後に、山田あみ。写真のみ、記事は次回に。


ナッキー


アグネスチャンという70年代のアイドルが、アイドルから歌謡曲歌手に転向しようという時期に、荒井由美時代のユーミンの作詞「白いくつ下はもう似合わない」
歌詞をリンク 「歩道橋の上で寄り添う」男女のカップルの情景が目に浮かぶ歌詞です。

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女優になりたい女の子がAKB48に入るのは、無知であり、無謀ではないのか(ナッキー)

2015-01-19 00:15:12 | アイドル論
女優になりたい女の子がAKB48に入るのは、無知であり、無謀ではないのか(ナッキー)

2年くらい前に、「将来の夢は女優です」というAKB48メンバーに対して、
「女優になりたいなら、AKB48なんかに入るな」という意見と、
「菊池桃子しかり、南野陽子しかり、アイドルとして成功してから女優になる。AKB48もこれでよいではないか」という意見が、本ブログで対立した。

芸能について素人である私たちの文章が、プロの女優さんに読まれているとは想像しませんでしたが、「アイドルというには、女優が本職の」女優さんのサイン会に参加した時に、

「AKB48に入るより、女優を目指すべきだ」意見が載っていましたけど、
私はチームBにスカウトされたけど、女優が目標だったので、オファーを断りました。
その時は、断ったことがよかったのか、悩みましたが、今は後悔していません。
ナッキーさんたちのブログを読んで、私の選択はこれでよかったのだと、再認識しました


と言われました。
「チームBにスカウト」という表現が意味深でした。これについては、またの機会に書きます。

アイドルから女優になるのは、過去にも多数例がありますが、女優になるには、その道で厳しい競争もあり、AKB48で活動していては、遅れをとるように感じます。

女優を目指すには、AKB48に加入せず、(AKB48のメンバーはすぐに辞めて)、女優一本で、夢を目指した方がよい、と芸能に素人の私は感じます。タイトルは大げさな表現、筆がすべりました。

ナッキー
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スキャンダルでも、指原莉乃の人気が上昇したのは、「あこがれ」ではなく、「友達」だから(ナッキー)

2015-01-10 00:03:22 | アイドル論
スキャンダルがあっても、指原莉乃の人気が上昇したのは、「あこがれ」の対象ではなく、「友達」だから(ナッキー)

アイドルの歴史において、指原莉乃の最大の功績は、恋愛(セックス)スキャンダルを暴露された後に、AKB48の選抜総選挙で1位になったこと。
「アイドルは処女でなければ人気を失う」という通説を、見事に否定してみせてくれた。

私は、アイドルが積極的にセックスをすべきだとは思わない。
セックスをしないが故に、輝く、(その結果人気を得る)アイドルもいるのだから。

ただ、全てのアイドルはセックスをしてはいけないという教条主義には反対。
次の4分類のいずれも、アイドルとして認めたいから。

分類1:セックスをしないで、アイドルとして魅力的。代表例、CG故にセックスできない渡辺麻友、他のAKB48メンバーで、佐々木優佳里。
分類2:セックスしても、アイドルとして魅力的。代表例、HKT48に左遷の指原莉乃、坊主になって詫びたのでAKB48を辞めずにすんだ峯岸みなみ。(セックスしたことを公表していないけど、渡辺美優紀)
分類3:セックスをしないけど、アイドルとして魅力がない。
分類4:セックスをしていて、アイドルとして魅力がない。

何故、指原莉乃は、セックスしたことがばれても、人気が上昇したか。
指原莉乃が、「あこがれ」「疑似恋愛」の対象ではなく、「友達」「妹」「娘」のような身近な存在だったから、のような気がする。

クラスメイトで、恋愛対象ではないけど、友達関係の女の子。彼女がセックスをした男性と失恋したとする。
恋愛対象ではないのだから、友達関係は継続。失恋したことに同情して友達関係は深まる。
指原莉乃のスキャンダル後の人気上昇は、こんな構図のような気がする。

ただの友達ではない。話が面白く、一緒にいると楽しい友達。
そんな異性の友達から、「深い関係になるほど愛した彼と別れた」と言われたからといって、友達をやめる(アイドルのファンをやめる)ことはない、そんな構図。

芸能人能力の高いアイドル、タレント性の高いアイドル、ダンスまたは歌唱力が抜群のアイドル、総じてアイドル力以外の能力に長けているアイドルは、「友達」として応援して、スキャンダルが起きても、ファンは離れない。(指原莉乃の場合は、増えた。)

一方、「あこがれ」の存在、「疑似恋愛」の対象として人気のアイドルは、スキャンダルには弱い。

アイドルは、抱きたい(セックスしたい)存在ではなく、抱きしめたい存在

というのはアイドルファンの心情を見事に表しており、伊藤つかさ・松本伊代を想定しての名言。
抱きたい存在のアイドルは「疑似恋愛」の対象で、抱きしめたい存在が「あこがれ」の対象。

現代のアイドルは、指原型(友達対象)が全盛で、
一発のスキャンダルで失脚する「あこがれ型」は少ないように見えるが、
逆に、「あこがれ型」アイドルの価値が高まり、それを求めるファンは、強く支持する。

指原莉乃の人気が継続すればするほど、非指原・非友達型のアイドルが輝くという、伝統的アイドルファンにとって、好ましい構造も生じている。

繰り返しになるが、友達型アイドルとして、テレビで活躍するのが指原莉乃、同じような能力を持ち、ライブと物販で活躍する「友達型アイドル」は多数いて、それを「多数の友達アイドル」の「氷山の一角」が指原莉乃と称した。

ナッキー
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指原莉乃はアイドルか(ナッキー)

2015-01-08 20:33:19 | アイドル論
指原莉乃はアイドルか(ナッキー)

(問い)東京女子流はアーティストか?
(答え)絶対アーティストである。何故なら全てのアイドルは、アーティストという分類の小分類だから。

(問い)指原莉乃はアイドルか?
(答え)もうアイドルと言えない。タレントか、芸能人に、レベルアップしたと言ってもよい。
(問い)でも、全てのアイドルは、芸能人という分類の小分類だから、アイドル時代の指原莉乃も、今の指原莉乃も、芸能人ではないのか。
(答え)以前の指原莉乃はアイドルだったけど、今の指原莉乃は「アイドル」という枠を超えてしまった、人気者。

(問い)アイドルは音楽家か、否か?
(答え)例えば、サザンオールスターズは、アイドルではないけど、明らかに音楽家である。
音楽家に分類できるアイドルもいる。松田聖子、中森明菜、河合奈保子、松浦亜弥。
しかし、ほとんどのアイドルは、音楽家ではない。何故なら、アイドルのレベルの高低は、音楽の高低ではないから。
小分類1:音楽のレベルも高く、アイドルのレベルも高い。
小分類2:音楽のレベルは高いけど、アイドルのレベルは低い。
小分類3:音楽のレベルは低いけど、アイドルのレベルは高い。
小分類4:音楽のレベルも、アイドルのレベルも、ともに低い。
アイドルを愛好する者の多くは、小分類3を、小分類1より高く評価する。
いや、一つ前の文章は論理が逆転している。アイドルを愛好しないものは、小分類1を小分類3より高く評価する。

最初の問いの「アーティスト」の定義は、文化の継承を目指す者。
アイドルという文化を継承しようとするアイドルは、アイドルというアートを表現するアーティストなのである。
アーティスト東京女子流は、アイドル以外のアートを表現・継承しているが、それも当然アーティスト。

中には、アイドルを名乗っているが、アイドルという文化を継承する意志なく、アイドルの所作を守らない自称アイドルがいるので、「全てのアイドルがアーティスト」は、誤り。

ナッキー
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アーティスト論 資料 (編集ナッキー)

2015-01-08 19:52:01 | アイドル論
アーティスト論 資料 (編集ナッキー) コメントを(ナッキー)ではさんでいます。


資料1 http://blogos.com/article/103031/   

“アイドル”が“アーティスト”になりたがるのは、アイドル版“アタリショック”の予兆か


20世紀から脈々と続く謎。なぜ“アイドル”は“アーティスト”になりたがるのか。

旧世紀からの話題を21世紀にもなってする事になるとは思いませんでした。とはいえ、現状において、こういう話が再度出てくるというのは、昨今のアイドルシーンを見えばやむを得なかったのではないか、とは感じています。
そもそもが、“アイドル”も“アーティスト”も、言葉の定義は無きに等しいです。辞書的に言えば、アイドルは偶像で、アーティストは芸術家・演奏家、のようです。ですが、芸能シーンにおいては、アーティストと呼ばれる人も偶像化されているし、アイドルが楽器を弾いたらアーティストと呼ばれるようになるでしょうか。そういう言葉の意味は、本件の主題ではないでしょう。
「日本のアイドルのレベルが低いと言われるのは日本人の大半がアイドルに高スキルを望まないから」なのか - SKiCCO REPORT
私の経験上では、「アイドルに高スキルを望まない」というよりは、観る側も売る側も「高スキルなエンタメをアイドルと呼ばない、呼びたがらない」というような気がするんです
(ナッキー)アイドル好きとしては、アイドルに高スキルなダンスも、高スキルな歌唱も、高スキルな演技力、そのいずれも求めないが、高スキルなアイドル力は求める。

いわゆる「アイドル・アーティスト論争」(こんなのが21世紀にもまだ続いてるとは想像もしませんでしたが)においては、アイドル=レベルの低いもの、という前提で話されているように感じます。
21世紀の、とりわけテン年代においては、広義のアイドルとかアーティストとかにあてはまらない活動してきたアイドルが登場してきました。

それは、元々アイドルとは何にでもなれる、という間口の広さもありましょう。さらに2014年前後の時点においては、アイドルと冠したほうがマスコミの注目も集まりやすい、という現実的な判断もあるでしょう。そして、そうしたマスコミの注目を集めた時に、アイドルと言っておいたほうが、パフォーマンスの稚拙さには目をつぶってもらえる。そうした発想が、「アイドルなんて名乗ればだれでもなれる」というアイドル粗製乱造という現在の状況を招いたのです。
その結果、歌やダンスと言ったステージ上のクオリティにこだわりを持ってきたグループが、『名乗ればなれるようなアイドル』と一緒の尺度で比べられても困る、と考えるのは、想像に難くないです。アイドルと名乗れば、客は、ペンライト振ったり、ライヴでジャージャーいったりしてもいいんだな、と受け止めてしまう。しかし広義のアイドルにおいてはそれは全てではない。
となれば、、現行アイドルマスコミに受けの良い、さらに言えば慣用句としてわかりやすい狭義のアイドルという単語が流通してしまえば、「いやうちのアイドルはそういう芸風じゃないしそれ期待されても困るんすけど」というアイドル(運営)が出てくるのは必然でしょう。

少なくとも21世紀の「アーティスト宣言」とはつまり、「アイドルみたいに、金さえ払えばいくらでも握手できるとか、おっぱいとかケツとか脚とかだけをウリにしたりとか、テレビバラエティで粉かぶったりとか、ジャージャー言いやすい楽曲とか、そういうの期待されても困るんすよ、お客さんにもマスコミにも」という意味ではないかと推測しています。
(ナッキー)アイドルでテレビのバラエティ番組に出演できるのは、全アイドルの1%以下。

ファンの期待と運営の齟齬というのは過去にいくつもの悲しい歴史を繰り返してきたので、21世紀のアーティスト宣言が、こうした忌まわしい記憶を払拭してくれることを願わずにはいられません。
「アイドル・アーティスト論争」なんてのがまだ続いている背景には、いつまでたっても自力で自分の好きなものを発見できない人が多すぎるということにつきます。今はアイドルと名づけたほうがメディアに出やすいという状況であり、なんでもかんでもアイドルと名づけて出てきます。結果、テレビや雑誌でアイドルと紹介されるから、アーティストとして紹介されるから、という、誰が貼ったかわからないレッテルに左右される人の多くは、アイドルかアーティストかという、何の意味もない二元論にとらわれてしまう。

(ナッキー)アイドルが好きなのに、「アーティストと名乗ってくれない、アイドルに似ている」歌手を、アイドルと間違えて鑑賞し、無駄な時間を浪費するリスクを考えると、アイドルかアーティストかの二元論は意味がある。女子流を鑑賞して無駄な時間(その時間は他のアイドルを鑑賞すればよかった)愚か者の反省でもある。

それは、アイドル=「金さえ払えばいくらでも握手できるとか、おっぱいとかケツとか脚とかだけをウリにしたりとか、テレビバラエティで粉かぶったりとか、ジャージャー言いやすい楽曲とか」を期待され、そうでないものはアイドルとは呼びづらい、わざわざレベルの低いものを選んでアイドルと呼んでいると言う偏ったモノの見方が、こうした現状をが招いたのです。
(ナッキー)高レベルのアイドル、低レベルのアイドル、この二つの分類しかない。小分類として、
ジャージャー言いやすい楽曲を歌い、かつ高レベルのアイドル
ジャージャー言いやすい楽曲を歌って、やっぱり、低レベルのアイドル
ジャージャー言いやすい楽曲を歌わないので、やっぱり、高レベルのアイドル
ジャージャー言いやすい楽曲を歌わないけど、低レベルのアイドル  この4分類。


これはアイドルファンの敗北です。狭義のアイドルブームとなってからおよそ5年、その間さまざまなアイドルが登場して変革を起こそうをしてたのにもかかわらず、アイドルファンの消費行動はまったくと言っていいほど変わることなく、結局20世紀に逆戻りする状態すら観察できるのが、2015年現在のアイドルシーンです。
(ナッキー)さまざまなアイドルが登場したのは変革を起こそうとしたからではないが、さまざまなアイドルが登場したことで、いつでも、どこでも、素敵なアイドルが鑑賞できるという変革は起きている。

このような、粗製乱造が闊歩する世界の行く先は、崩壊です。
(ナッキー)粗製乱造できるのは素晴らしい。AKB48そのものが粗製乱造である。何故、粗製乱造がよいのかというと、粗製乱造していなかった頃は万人に受ける子しかデビューできなかったが、粗製乱造故に、自分の好みにぴったり一致するアイドルがデビューしてくれるようになった。例えば、AKB48チームA(のちにチームB、スキャンダルで辞退)の平嶋夏海。2005年12月7日までのアイドル界では、アイドルとしてデビューできなかった(けれども、私にとっては、アイドル史上一番熱狂した)アイドルだった。
粗製乱造時代でなければ、史上最大のアイドルと出会えることがなかったと考えると、粗製乱造BANZAI!!!


かつてゲーム業界では「アタリショック」と呼ばれる現象がありました。かつてアメリカでアタリ社の家庭用ゲーム機が大ヒットしました。それに乗じてソフトメーカーがアタリ社用ゲームソフトが大量に発売されましたが、その多くは粗製乱造と呼ばれクオリティ的に消費者を失望させ、やがてアタリ社及び家庭用ゲーム市場全体を崩壊させました。
そういう粗製乱造と一線をひくため、今現時点でわかりやすいワードとして「アーティスト宣言」がなされたのであれば、過去の「アーティスト病」とは違った道を歩んでいけるかもしれません。
同時に、粗製乱造アイドルが市場にあふれた結果、結果的に「アイドルは注目も集めないし儲かりもしない」という認知がなされ、アイドルという呼び名が再び忌避される状況になるなら、またアイドル冬の時代が来るでしょう。
とはいえ、“アーティスト”って呼び名だけはなんとかならんかったのかとは思います。有史以来、アイドルがアーティストという呼び名にこだわって成功した人は寡聞にして存じませんので。
(ナッキー)河合奈保子と島田奈美は成功例。

そういやラ・ムーもMINAKO with WILD CATSもアイドルブーム末期でしたね。あの頃はバンドブームの嵐吹き荒れてたので、生き残りを賭けた選択だったとは思いますが。
(ナッキー)生き残りのためではなく、自殺するためだったように見えました。ファンとしては。

ナッキー
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指原莉乃は氷山の一角(ナッキー)

2015-01-08 00:01:27 | アイドル論
指原莉乃は氷山の一角(ナッキー)

本ブログで能力を絶賛されている指原莉乃。研究生として「ただいま恋愛中」に出演していた時は、ダサい子だった。MCがダサい。特に、自分の好きなアイドルの話をする時。
よく評価すると、ダサかった子がトーク能力を磨いて、のし上がった。
しかし、
指原クラスの能力のアイドルはいくらでもいる。
いや、地下アイドルを見ていると、聴いていると、指原など、たいしたことないと思えてくる。
指原莉乃に好意的な言い方をすると、「能力のあるアイドルは多数いるけどその能力をライブと物販でしか発揮できない。テレビでその能力を見せることができる指原は、氷山の一角」

総選挙分析ライターさんが、指原莉乃を絶賛するたびに、指原より有能なアイドルが褒められている気分。TAKENOKOの二人も、その中に入っています。

ナッキー
コメント (4)
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