AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

(旧)スキャンダル謝罪禁止条例 (修正後)スキャンダル報道無視条例 (ナッキー)

2014-12-30 00:00:39 | アイドル論
(旧)スキャンダル謝罪禁止条例 (修正後)スキャンダル報道無視条例 (ナッキー) アイドルが守るべき所作。

このブログは毎日1000人も読者がいる割りにはコメントが少なく、その主犯はコメントに反応しない私でしょうか。それとも、いいコメントを、記事にしてしまうから?まさか。

こちらの記事「アイドルの所作=虚構をつらぬくべき。スキャンダル謝罪禁止条例(ナッキー)」には、7つのコメントを頂いた。自分の文章を再読して、キャッチコピーがまずい。

本文で渡辺美優紀を、「エッチをしたかもしれないけど、アイドルとして魅力的。」と感じたナッキーが書いているから、
「世の中には、エッチしたら謝罪しろという(アイドルの価値を理解していない)愚かな人たちが大勢いるが、エッチしても謝罪しないのがアイドルだから、アイドルは謝罪禁止」だと教えてあげようという先入観をタイトルにしてしまいました。

しかし、山口百恵、桜田淳子のように、エッチしていないアイドルも、スキャンダル報道されるわけだから、スキャンダル謝罪禁止条例ではなく、スキャンダル報道無視条例と書くべきでした。

本当はエッチしたことが見つかって報道されたアイドルも、
本当はエッチしていないのに、エッチしたと誤報されたアイドルも、同じ対応するのが、アイドルの所作である。

質問: 週刊文春の報道は事実ですか。
アイドル:読んでないのでお答えできません
質問: あなたがお芝居で共演した男優とホテルから出てくるところを写真にとられています。
アイドル:私はアイドルですよ
質問: アイドルとしてのあなたに、事実はどうなのかを聞いているのです。
アイドル:そういう質問に答えないのがアイドルの所作なのです
質問: 指原莉乃や峯岸みなみは、アイドルなのに、エッチした事実を認めたでなないですか。
アイドル:大相撲の力士はガッツポーズをしないのが所作ですが、朝青龍のようなヒールはガッツポーズします。私は、指原さんや、峯岸さんのようなタイプのアイドルではなく、きちんと所作を守るアイドルをめざしています
質問: 事務所の方針ですか。
アイドル:記者の方も、アイドルという文化の所作を、勉強されてから質問したらいかがでしょうか

基本的に、具体的な質問に対して、理念を繰り返してほしいですね。アイドルには
二つめの質問は、私が、峯岸みなみの、パルコ劇場朗読芝居を生で見たので、ついこれが頭をよぎりました。

ナッキー
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現代がアイドルにとっても、ファンにとっても、素晴らしい時代だと思う(ナッキー)

2014-12-28 21:10:21 | アイドル論
4人のアイドルの共通点。現代がアイドルにとっても、ファンにとっても、素晴らしい時代だと思う(ナッキー)

次の4人のアイドルは、いずれも、私が今月、一列目で鑑賞したアイドルですが、外見上のある共通点があります。
ヒント1:中森明菜
ヒント2:石野真子・伊藤つかさ

AKB48に比べると知名度が低いので、ツイッター、CHEERZの写真を引用します。

劇団ハーベストの川畑光瑠(かわばた・ひかる)写真真ん中

アリスインアリスの綾乃彩(あやの・あや) ポスターの左から三人目、黒髪だった綾乃彩

フラップガールズスクールの横山未蘭(よこやま・みらん)

メグリアイの岡崎みさと


答えを先に。中森明菜は、スター誕生を受けた時は歯並びが悪かったのに、デビューの時は歯並びがよくなっていたので、歯を抜いたのかと噂された。
石野真子と伊藤つかさ、ついでに小柳ルミ子も、アイドル現役時代は、八重歯で、その後歯列を直している。(矯正したのか、手術なのか、私は覚えていない。)

メグリアイは、今年ライブを一番多くみたアイドルグループ。そのリーダーの岡崎みさとさん。メグリアイのコアなファンは譲り合いの精神(美徳)あり、ライブ参加率は2割くらいの私でも、最前列で観ることができることが多い。今年10回以上はライブ見ましたが、何回も最前列で見たのに、12月20日まで気がつきませんでした。初めて彼女との物販に参加したから気がついたのですが、その時のことは、別途記事に書きます。

劇団ハーベスト。ソニー系。アイドルの芝居として一番素敵で輝いている。
本ブログで絶賛している、女神座やアリスインプロジェクトより、アイドルの芝居としての質が高いと評価している。12月25日、会社休暇で昼の部当日券で一列目観劇。

アリスインアリス。12月24日。リリースイベントで初めて7人全員のステージ。7人目の綾乃彩さんが、下北沢芝居出演中で、空いていたのがこの日だけだったようです。18時と20時と二回のステージ。1回目は二列目の座席で気がつかず、2回目は1列目で気がつきました。

四人の共通点とは、歯列矯正をしていること。
全員握手会に数回参加しているフラップガールズスクールの横山さんは、珍しく矯正しているアイドルだなあ、と思っていたら、12月20日から6日間で、新規3アイドル。

アイドルが歯列矯正していてもステージに出ることができる世の中は、中森明菜の時代よりは、よい世の中だと思う。
歯列矯正は、目の悪いアイドルが眼帯をしたり、ケガをしたアイドルが包帯を巻いてステージに立つのと、同じ感覚。(一アイドルファンとしての感想)
治療や、ハンディキャップを、お互いに受け入れるという意味でよい世の中。偏見がない(「減った」と書くべきかもしれない)故に、よりよい世の中。
AKB48は、ガチの競争を売り物にするが、競争が激しくないからこそ、アイドルとファンがメリットを享受することもあるのである。一例です。
80年代はアイドルの数が少なく競争が激烈。現代は競争は激しいが、アイドルの数が多いし、長い目で育てる感覚があるから、アイドルに歯列矯正が許されると言えるかも。

ナッキー
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指原莉乃 ニュータイプのアイドル(総選挙分析ライター)

2014-12-27 21:15:00 | アイドル論
指原莉乃 ニュータイプのアイドル(総選挙分析ライター)


昨日このブログに投稿した「指原莉乃 AKB新聞2014MVP受賞 感想 141226」という記事のなかで、指原は「裏の部分は見せない」フィクションとしてアイドルとは対極の”素の姿を見せプロデュースもできるニュータイプのアイドル”である、と述べたことについてもう少し詳しく説明したい。

指原はAKB48とANAが特別に組んだ「Challenge for ASIA by ANA×AKB48」presentsという企画の中で「指原莉乃のアイドル論」を語っており、アイドルを大きく2つに類型化している。
指原莉乃のアイドル論 140316

その一つは「キラキラしていて華やかなで裏の部分はみせないアイドル」であり、この例として中森明菜をあげ「ミステリアスなところが人気があった」と言っている。

(以下は筆者の見解)
この「キラキラしていて華やかなで裏の部分はみせないアイドル」は今まで普通一般に言われていたアイドル像であり、実際には存在しないかもしれないフィクション(虚構)としてのアイドル像を所属事務所や運営側が創り、アイドル本人はそのアイドル像にできるだけ近づけようと発言したり行動しようとするものである。したがって、アイドル本人は場合によっては自分の人格とはかけ離れたキャラクターを演ずることもある。

演じるアイドル像が可愛く、清潔で、美しく、気高く、ピュアであればあるほど生の本人との乖離が広がるので、それを演じるのは難しくなるし、アイドル本人にとっても苦痛になる。まず、自分の考えていることが素直に言えなくなる。自分が演じているアイドル像との乖離を恐れるあまり、内部のチェックを受けないと心配になるからだ。行動は1人で行うようになり、あまりメンバーとグループでプライベートを過ごすことがなくなる。それは生の自分の姿が他の人から漏れてしまってはせっかく自分が演じているアイドル像が壊れてしまうのが怖いからである。当然その帰結としてブログ、Twitter等SNSを通じた自らの情報出しは少なくなり、極端な場合はほとんど行わなれなくなる。

こういう従来ながらのフィクション(虚構)としてのアイドル像を演じるアイドルのファンはその情報の少なさ、ミステリアスさが相まって妄想をたくましくしてあれこれ自らの中に「こうあるべし(当為)」という現実には存在しないそのアイドルの偶像を創り上げていく。自分が崇拝するアイドルに何か起こると現実がうそ(虚構)としかとらえられなくなり、現実を受け入れられず現実に起きた事実の責任をアイドルではなく他(のアイドル)に転嫁(他責)し、自ら崇拝している偶像には一切責任がないと頑な行動をとるようになる。酷いときには全く関係ないものまで生贄とするような攻撃を行う。すなわち、実際には現実に存在しない偶像(教条的アイドル観念)がファンの言動や行動を引き起こす原点となる。

こういうアイドルと接する業界担当者は非常に気を使うことになる。アイドル像を守るため所属事務所や運営側が事前に細かいチェックを入れるからだ。一緒に共演する芸能人にもこのアイドルのNGの話題をしっかり伝えておかないとイメージに傷をつけたり、ファンから局宛てに脅迫まがいのクレームが来るリスクがある。共演する芸能人も大変である。普段何気なく使っている突っ込みが使えないからだ。もし仮に間違って使った場合には、そのアイドルのファンから脅されることも覚悟しなければならない。このようなリスクがあるため業界担当者はこういうアイドルを使うことに躊躇してしまうことになる。

マスコミは大変である。情報が少ないため記事が書けないのである。情報を集めるために記者会見場に詰めかけるが、所属事務所や運営側の情報統制が厳しいことに加えて、アイドル自身がほとんど公式見解しか話さないため通り一遍の記事しか書けず、どのマスコミも同じような記事となり、読者の反応も弱く記事を書いている記者のモチベーションは上がらない。


一方で、もう一つのアイドル像は「素の姿を見せてくれるアイドル」という類型であり、これは例えば「冷蔵庫が臭いとか花が枯れているとか、全部見せる」アイドルであり、これは指原によればAKBによって提唱されたアイドル文化であり、マジでガチなアイドルである。

(以下は筆者の見解)
言葉のとおり、このアイドルは「素の姿を見せ」ているので、生の本人にかなり近いか生の本人そのものである。したがって事務所や運営側はあまりに生の姿を見せすぎるとマイナスとなる点を注意するに留まる程度でアイドル像を「創る」という大層なことは行わない。事務所や運営側が行うのは本人が持つキャラクターを活かしたアイドル像を本人と一緒考える程度である。したがって、アイドルが本人の人格とかけ離れたキャラクターを演じることは少ない。

そもそも「素の姿を見せ」れば見せるほど、ファンを含めて周りの人たちは喜ぶので、「素の姿を見せ」るアイドルは自分の考えていることを結構はっきり言う。発言は自己責任で行うので、内部のチェックなどは受けない。行動は1人の時もあればメンバーと一緒のときもあり、プライベートの行動が多少メンバーから漏れてもそれほど気にしない。ブログ、Twitter等SNSはできるだけうまく使いこなして1人の時の行動も含めて支障のない範囲で素の姿を見せて話題の喚起を図る。

「素の姿を見せ」るアイドルのファンはアイドルから発信される情報量が多いことによりそのアイドルの現実の姿を知っているため、妄想をたくましくしてあれこれ自らの中に「こうあるべし(当為)」という現実には存在しないアイドル偶像を創り上げることはしない。そのアイドルの存在、発言、行動そのものが現実であり、アイドルに何か起こっても、アイドル自身が自己責任で問題に対処するので、そのアイドルに起こった現実と対処することができる。したがって、現実が起こった責任を他に転嫁(他責)したり、そのアイドルには一切責任がないと頑な行動をとるようなことはない。ファンの言動や行動は観念的、教条的ではなく、現実の状況を踏まえたものとなる。

「素の姿を見せ」るアイドルと接する業界担当者は特段の気を使うことはない。アイドルが自身の自己責任で言動、行動をしているので所属事務所や運営側と事前の細かいチェックを入れる必要がないからだ。一緒に共演する芸能人もNGの制約がないため自由に発言や行動をすることができる。ファンがそのアイドルに対する様々な発言や行動に対してアイドル本人の知名度を上げてくれると逆に喜ぶ傾向があるので、たとえそのアイドルに対して過激な発言や行動があってもファンは寛容である。したがってクレームリスクは少なく、仮にクレームをするファンがあった場合はアイドル自らがファンに働きかけて抑えようとする。業界担当者、出演者双方にリスクが少ないため出演依頼はかかりやすい。

マスコミの評判は概ね好意的である。普段から本人の情報が多いため記事にするバリエーションが多いことに加えて、アイドル自身が自己責任でリップサービス的な情報を記者会見で流してくれるからである。所属事務所や運営側の情報統制が緩いため多少脚色をつけた記事を書くことが可能であり、話題となるようなニュースを書いた場合にはアイドル本人、読者の反応もよく記事を書く記者のモチベーションも上がる。


お断りしておくが筆者は学生時代に社会科学を専攻しており、上記の二つアイドル類型はドイツの社会学者であるMax Weberの「理念型」を使ってまとめたものである。したがって現実の事象を多少デフォルメしており、なにか現実にこれに当てはまるアイドルが実在するわけではない。それぞれのファンが推しているアイドルがどちらの類型に近いかを理解する手助けとして使ってもらいたい。

さて、前述のとおり、この「素の姿を見せ」るアイドルは、「キラキラしていて華やかなで裏の部分はみせない」旧来型のアイドル像と比較したとき、情報がオープンになっている比率が高い分、アイドル本人にもファンにも業界関係者にも余計な負担をかける度合が少ないためいろいろな側面で旧来型のアイドル像より優れたモデルであることがわかる。

以前の指原は旧来型のアイドル像を意識していたようだが、最近の指原の言動や行動を見ているとこの「素の姿を見せ」るニュータイプのアイドル類型に近いことがわかる。前述のとおりこのモデルは旧来型アイドルモデルより優れたところが多いので、今後はこのモデルが主流になっていくのではないかと思う。

昨日の記事の最後に「今後、昔ながらの「裏の部分は見せない」フィクションとしてアイドルとは対極の指原のような”素の姿を見せプロデュースもできるニュータイプのアイドル”が人気の主流となっていくような気がするがどうだろうか」と述べたのはこのような理由による。



以上

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若い頃、アイドル雑誌やプロマイドをながめていた感覚がよみがえる。(ナッキー)

2014-12-25 09:24:02 | アイドル論
若い頃、アイドル雑誌やプロマイドをながめていた感覚がよみがえる。(ナッキー)

現代はネット時代ですネットにつながっているパソコンがあれば、アイドルの写真・動画・文章を、いくらでも見ることができます。
私のように、好きなアイドルがたくさん、新しいアイドルが見たい、嫌いなアイドルでも何故他の人は好きなのか検証するために一度は見たいというアイドリアン(研究家と思っていただければ)は、

無限の時間があっても、無限の時間があっても、見たいだけアイドルを見つくすことはできません。
アイドル鑑賞家としては、まことに嬉しい時代が訪れたのです。

しかし、失ったものがあります。
一人のアイドル、ひたすら見続けること。堪能すること。

AKB48のシアター観戦・モニター観戦を続けていた時は、一つのアイドルグループを、ひたすら鑑賞している感覚はありました。現場だけではく、CD(ウオークマン)、DVD、モバイルメール、公式HPの動画など、大御所ブログ、書斎でも充実したAKB48鑑賞。テレビでのAKB48は、AKBingoしかなく、録画して繰り返して見ていました。
まだ、Google+は始まっていない頃。

その当時でも、同じ写真を、じっくり見つめているということは、推しの平嶋夏海のモバメ写真くらい。

私が学生の頃は、社会人はアイドル鑑賞などしないという規範がありました。学生の頃のアイドル鑑賞の思い出は、コンサートなどの現場より、
雑誌の写真 (GOROの折り込み写真に良い作品が多かった)
プロマイド
レコードのジャケットを、書斎でながめていた感覚がよみがえります。

この失われていた感覚が、アイドル応援アプリCHEERZのTAKENOKO葵叶望で復活。
その理由は、次の記事に書くとして、ここ数日ながめている葵叶望の写真を紹介します。ナッキー


アイドル応援アプリCHEERZで、TAKENOKO葵叶望を応援しています。(ナッキー)

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姫乃たま、卒論(編集ナッキー)

2014-12-19 19:05:51 | アイドル論
姫乃たま、卒論(編集ナッキー)

http://ameblo.jp/love-himeno/entry-11965818009.html

論文のテーマは地下アイドルです。論文執筆は、研究対象である地下アイドルと共に、自分を客観的に探っていく作業でした。

1ヶ月ほど前から徐々に仕事を減らし、ここ2週間は集中的に自宅で執筆していました。いままで地下アイドルのことも、地下アイドルである自分のことも、客観的に見てきたつもりでしたが、書けば書くほど、まだ新しい発見がありました。驚くような新鮮な発見もあれば、納得することもありましたし、気が付きたくないこともありました。

思えば16才で地下アイドルとして活動するようになってから、こんなに長時間、自宅で家族と過ごすのは初めてのことです。不器用なりに駆け抜けてきたのだと思います。その速度は、他の人よりも随分と遅いものでしたが。最も居心地の良い場所で、立ち止まって、初めて地下アイドルである自分とじっくり向き合えたのです。

とはいえ、あまり頭が良くないので、行き詰ることも多々あり、文献を読むだけでは前に進めず、その度に他分野で活躍されている方々と話し合いを重ねました。
地下アイドルとは、ほど遠く思われる分野から、思いもよらない共通点を見出すことも多かったです。ひとつ、またひとつと多角的に共通点を見出していくうちに、点と点が繋がって、16才からの地下アイドル活動は、私の中で線になりました。

自分から最も遠いと思われていた地下アイドルという職業は、世代的にも、私の性格的にも、環境も、その他様々な要因から、最も近くにある最適な職業だったのです。

さて、その一方で2週間ほど休みをとったことにより、改めて自分が地下アイドルという肩書きを外すと、何も持ち合わせていないつまらない女であることに気がつきました。

何もできない私が活動できるのも、それ以前に私が地下アイドルとして存在できるのは、ファン方々のおかげです。論文には「自称するだけで成立する職業」と書きましたが、本当のところはファンの人がいなければ成り立たない職業であると思います。それは論文の書き方では、伝えきれないことでした。

以上、引用終わり

一人でもファンがいれば成立する職業?? ナッキー
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高橋明日香は、何故素晴らしく、魅力的なのか(ナッキー)#セブンフレンズ・セブンミニッツ

2014-12-18 07:49:48 | アイドル論
高橋明日香は、何故素晴らしく、魅力的なのか(ナッキー)#セブンフレンズ・セブンミニッツ

平嶋夏海のチームB公演を生で見るまで、AKB48は現場ではなく、CDとDVDで鑑賞していた。その当時好きだったのは大島優子。
「軽蔑していた愛情」の握手会、初めて行ったAKB48の握手会は、10人のメンバーから一人選ぶ形式だった。大島優子と握手。
「禁じられた二人」が一番好きで、大島優子のファンになった一因。

AKB48は売れて、大島優子はAKB48の中で、最も人気があるメンバーの一人であるだけでなく、最も実力のあるメンバーと評価されている。特に演技力。

大島優子の芝居を見たことがないので、比較はできないのですが、アイドル芝居に出演の高橋明日香を見ると、「大島優子は高橋明日香にはかなわない」と直感してしまう。

逆に、何故、こんなに演技の上手い女優が、アイドル芝居に出てくれるのだろうか。私は、普通の芝居は見ないのて、高橋明日香が、アリスインプロジェクトという低級(失礼!)アイドル芝居に出てくれなければ、高橋明日香と出会うことはできなかった。

高橋明日香は、世間的評価としては、高級で、芸術的に評価されている「普通の芝居」にたくさん出演している。かなりの売れっ子女優。
何故、おそらくはギャラの低い(勝手に想像)アリスインプロジェクトに出てくれるのか?

こう書き進めて考えた。もし、高橋明日香がチームKで、大島優子がアリスインプロジェクト出演女優だったら、私は、「高橋明日香は大島優子にかなわはいと直感」と感じたのではないか。

今のAKB48はアイドルの魅力が、ファンに分かりにくいグループで、
アリスインプロジェクトは、アイドルの魅力を最大限見やすい形式で見せてくれる。

以上の話を、ブログライター仲間にしたら、「大島優子どうでもよいけど、三銃士のシアター公演か芝居が生で見られるなら、アリスインプロジェクトよりいいぞ」これにも同感。

アリスインプロジェクトとは、AKB48ほど有名でないが故に、鑑賞できる素敵なアイドル芝居。

もう一人のブログライター仲間からは、「高橋明日香と大島優子は女優の素質は同じで、競争に疲弊していない故、高橋明日香が魅力的」と。
これには、「高橋明日香が今の女優力(世間的評価高い芝居に出演する実力)があるのは、女優としての競争を勝ち抜いたから」と反論したが、

「高橋明日香が勝ち抜いた競争は、女優としての意味のある競争。
大島優子が自ら選択したとはいえ巻き込まれた競争は、見ているファンは楽しめたが、女優大島優子にとっては、意味のある競争だったとは思えない。」こう言われると同感。

分類1・演技力があり、アイドルとして魅力的
分類2・演技力があるけど、アイドルとしての魅力がない(あるいはアイドルではない女優)
分類3・演技力がないけど、アイドルとして魅力的
分類4・演技力もアイドルとして魅力もない

母数は、分類4・2・3・1の順で多い。アイドルの数が増えすぎた現代では、4・3・2・1かもしれない。

アイドリアン的には、アイドルは逆説の美学だから「演技力、歌唱力、実力がない方が素敵」であり、理論的には、分類1より分類3を高く評価すべきなるも、高橋明日香の魅力には、この前提が揺らぐ。

ナッキー
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資料、新聞記事(編集ナッキー)

2014-12-16 17:27:41 | アイドル論
朝日新聞記事を引用。
地下アイドル、ライブアイドルは、身近すぎて、燃え上がる対象になりにくい。その辺の心情を、書いてみたい。ナッキー


地下アイドル、萌える大人 握手会やチェキ会、身近さ魅力
2014年11月22日16時30分

 AKB48やももいろクローバーZらが脚光を浴びる裏側で、ライブハウスを拠点にする地下アイドルたちの世界が盛り上がっている。追っかけのファンには年配の社会人の姿も目立つ。地下で燃える(萌〈も〉える)大人たちを追っかけた。

 平日の夜8時、渋谷のライブハウス。会社員のまっちーさん(46)は、スーツからTシャツ姿に変身した。アイドル、みきちゅのライブが始まると、300人ほどの群衆をかき分けステージの真ん前に立ち、ミックス(応援のかけ声)を打つ。ジャンプをしたり、振りをまねしたり。ライブが終わると、さわやかな汗が流れていた。「自分一人の力で歌手の道を進む姿に心が打たれる」

 会社員わっちさん(23)は「僕の力でみきちゅを有名にしたい」と意気込む。年100枚近く購入するCDは人にも分け、みきちゅの本拠・仙台でのライブにも足しげく通う。趣味は会社にも知られ、上司から「ボーナスの半分は貯金したほうがいい」と忠告され、実行中だ。

 ライブが終わると、出演したアイドルたちが直接、グッズを売ったり、インスタントカメラでチェキ写真を撮影したりする物販会がある。そこにはみきちゅと仲良く写真を撮るまっちーさんらの姿があった。

 みきちゅのようにライブハウスを中心に活動するアイドルは、「地下」や「ライブ」アイドル、さらに地方が拠点の場合は、「ご当地」や「ロコ」アイドルと呼ばれる。ファンにとって魅力は身近さにある。メジャーなアイドルに比べ、小さな会場で間近に見られる上、ライブ数が多い。握手会やチェキ会など接触の機会も十分にあり、親しくなりやすい。ただ、回数を重ねるには費用がかかり、自然と大人のファンが幅をきかせている

 地下アイドルの裾野が広がった背景について、アイドルライターの岡島紳士さんは「AKB48以来、女の子たちがアイドルになれると感じるようになる一方、録音技術の進歩やインターネットの浸透で、大手企業でなくてもアイドルを売り出しやすくなった」と話す。

 一方、元々、音楽ファンだった人がはまるケースも少なくない。

 ロック系アイドルの「BELLRING少女ハート」を応援する40代のいくぞーさんは、往年のインディーズロックファンで、今はアイドルとライブで盛り上がる。娘とライブに行くこともある。「妻はさておき、娘は理解してくれています」

 会社員のキンバさん(46)は元々ソウル音楽が好きだったが、ももクロでアイドルにはまり、愛媛県の人気アイドル「nanoCUNE」に至った。土曜日、メンバーを追いかけ午前中に東京・台場、午後は赤坂と会場をはしご。翌日は松山市でライブがあるため夜の間に仲間のファンとレンタカーで現地に向かい、月曜日の朝に東京に戻る。国内だけでなく来月には台湾遠征にも同行。月に20万円ほど出費したこともあるが、いつも応援していることを知らせたい。「正直、しんどいです。すごく人気が出て手の届かないところに行くか、解散して欲しい

 休日の新宿・歌舞伎町で、地下アイドルが集まるライブがあった。フロアの客は30人程度しかいない。飲食店を経営する「おでん屋」さんは3カ月前に初ライブをしたばかりの「Lyric Holic歌劇団」を追いかける。「好きなのは、おれに優しいから。自分がついていないと解散してしまう心配もある

 アイドルはいつか卒業する。だが、大人たちがアイドルから卒業する日は来るのだろうか。

 (大西元博)
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アイドルの所作=虚構をつらぬくべき。スキャンダル謝罪禁止条例(ナッキー)

2014-12-15 00:01:00 | アイドル論
アイドルの所作=虚構をつらぬくべき。スキャンダル謝罪禁止条例(ナッキー)

歌舞伎でも、落語でも、相撲でも、伝統芸能は、所作が大事である
相撲の行司がレフリーだったら相撲ではなくなるし、力士のガッツポーズは原則不可。
アイドルも所作が大事。具体的にはいろいろあるが、「アイドルは虚構の存在」という原理原則から所作が決まってくる。

AKB48SHOWで、渡辺美優紀の新曲を見ました。素晴らしいアイドルの振り付けと歌詞。
ときめき研究家さんの評を再読。

下の方を見ると、コメント欄に、「汚れたアイドルの曲なんて聴きたくない…ってのが本音です。渡辺美に関しては、先に謝罪と釈明をすべし。」

渡辺美優紀のスキャンダルの詳細まで読んでおらず、覚えていませんが、
もし謝罪してしまえば、恋愛やエッチをしていないという虚構のアイドルとしての渡辺美優紀が崩壊してしまうので、謝罪はすべきではない。

ガチで謝罪したのが、平嶋夏海、指原莉乃、峯岸みなみ。秋元才加も。
この手法は、異形であり、アイドルとしては邪道。
スキャンダル報道があっても、謝罪しなかったのが、柏木由紀、渡辺美優紀。
正しい。アイドルの伝統に従った正統な所作。

謝罪すると、報道が合っていて、アイドル本人が恋愛かエッチをしていることがファンに分かってしまう。指原と峯岸は、恋愛かエッチを経験しているアイドルというキャラで生き残ろうという戦略があったから、AKB48のガチ戦略にのった。

謝罪しなければ、報道が間違っていて、生身のアイドル本人は恋愛もエッチもしていない可能性が残る。

指原・峯岸と同じようなキャラで芸能界を生き残ろうという戦略がなければ、伝統的アイドルの手法にのっとって、肯定も否定もしないことが、ファンにとってもありがたい。

謝罪も釈明もしないアイドルに憤慨するファンは、そのアイドルのファンを辞めるだけのこと。

スキャンダルくらいで、ファンを辞めてしまう程度の思い入れなら、そんなにそのアイドルのことが好きでなかったということ

ナッキーは、スキャンダルでAKB48を辞めさせられた(形式的に本人が辞退した)平嶋夏海のファン継続中。

大相撲のガッツポーズは原則禁止。
アイドルのスキャンダル謝罪も原則禁止。
大相撲でガッツポーズが許されるのは、朝青龍のような悪役キャラだけ。
アイドルのスキャンダル謝罪が許されるのは、指原・峯岸のようなキャラだけ。

芸の伝統・型・所作とは、そこから逸脱することで新しい芸が生まれることもあるので、100%守るべきとは思わない。しかし、みんなが逸脱してしまうと、文化としての核を失う

四つの分類のうち、あなたにとっての渡辺美優紀はどれですか。
エッチをしただろうから、アイドルとして魅力がない。
エッチをしたかもしれないけど、アイドルとして魅力的。
エッチをしているとは思わないけど、アイドルとして魅力がない。
エッチをしているはずがない、アイドルとして魅力的。
こういう想像を楽しめるのも、渡辺美優紀がアイドルの伝統的所作を守ってくれたから。

ナッキー(私は、二番目です。)
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現実を見せる「ガチ」は邪道、虚構という古典に回帰しないとつまらなくなる(ナッキー)

2014-12-13 06:32:48 | アイドル論
現実を見せる「ガチ」は邪道、虚構という古典に回帰しないとつまらなくなる(ナッキー)

映画「超能力研究部の3人」の感想を再録。
「あまちゃん」は虚構だからアイドルらしくて、
乃木坂46の映画は、虚構であるのは分かっているけど、現実のような映像であるところがつまらない。

AKB48は、それまでのアイドルが虚構を演じていたところに、選抜総選挙に代表されるアイドルの現実を、「ガチ」というキーワードで提供してきた。
確かに「ガチ」は面白い。でも、アイドルという文化は、虚構であることが核であり、「ガチ」は文化の縁を広げる異形として排除するものではないが邪道

世の中にはAKB48のよくないところを真似するアイドルグループがたくさん。
例えば、CDを何枚売れなければ解散とか、ワンマンライブに有料入場者何人以上でなければ引退とか。「甘い股関節」一万枚売れなければ大堀恵引退の二番煎じ。
アイドルファンのツイートに、「チャンスがあればCD買おうと思っていたアイドルに、売れないと辞めさせられますと言われると、とたんに買いたくなくなる」。
私は、「解散すると見られなくなるから、買ってあげよう」と思う派なのだが、このファンの心情には共感。

「ガチ」はつまらないし、「ガチ」を演じるアイドルもつまらない。
「ガチ」が面白いのは、AKB48選抜総選挙のような、ごく一部の例外だけ。

「虚構」を演じるアイドルは、美しく、可愛く、素敵なのだがそれだけでは飽きられてしまうという商売としての脆弱性と背中合わせ。だから、たまには、「ガチ」を演じるのもよい。

しかし、「ガチ」を見せようするアイドルが、
「AKB48は危機感が足りない」という理由で卒業宣言した高橋みなみ、
ドキュメンタリー風の乃木坂46の映画、
売れなかったら辞めさせられるという作り手に翻弄される、ライブアイドルにも、
ここにも、あそこにも、どこにでもあふれてしまうと、

アイドルは、虚構を見せるという、古典主義が復興することを望みたい

ナッキー
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アイドルの価値について秋元真夏は理論武装できていなかった(ナッキー)

2014-12-11 23:12:29 | アイドル論
アイドルの価値について秋元真夏は理論武装できていなかった(ナッキー)

朝日新聞の見出しが「アイドルの本質をえぐる怪作」により、映画を見に行く気になった。
映画評論家が生々しい演技ができない秋元真夏に対し、山下の指示で不良役の女優2人が罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせかける場面である。「アイドルって何?」など容赦ない言葉の責めに、半泣きになりながら応戦する秋元。そこでは「演じる」ことと「本当の私」が複雑に反転し、アイドルというペルソナをかぶった女の子の素顔が顕(あら)わになっていくと論じた場面は、たいしたことがなかった。ペルソナなペルソナのままだった。というか、素顔の秋元真夏が最後まで素顔だったというべきか。

この後で生田絵梨花にインタビューする男性に、「スーパーの(秋元真夏ケンカの)場面がOKになった時に、生田さんは納得いかない顔をしていました」と言わせたのを聞いて、作り手もあのシーンは不十分と判断していたのだなと。

不良二人が秋元真夏に、「歌が下手」「踊りが下手」「ただ可愛いだけで(アイドルは)誰でもできる」「中途半端で何もできない」「演技ができないで女優を目指すなどと言うな」と罵倒。

これに対して秋元真夏は、「歌が下手かもしれない」「踊りが下手かもしれない」「だけどがんばっている」と反論。
「アイドルって何」との罵倒には、「人を笑顔にする存在」と。
理論武装が甘い。まあ、理論武装などできない役を演じているのだから、やむをえないのである。

「歌が下手だけど」輝いている存在、その輝きにファンがお金と時間を費やす。
つきつめると、アイドルの価値は、技能ではなく、存在そのものがお金になること。これをストレートに言うと、はしたないので、

どんなに「歌が下手でも」「踊りができなくても」ファンをときめかせる存在と反論して欲しかった。
歌が上手で、躍りが上手でも、つまらないシンガー・ダンサーは世の中にはアイドルの数以上にいる、と長年思っていたが、
これだけアイドルの数が増えると、数では逆転しているかもしれない。

ナッキー
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高橋みなみの「危機感」とは何か(ナッキー)

2014-12-10 23:34:25 | アイドル論
高橋みなみの「危機感」とは何か(ナッキー)

日刊スポーツに載っていた高橋みなみ発言によると、
「これまでも大島優子とともにAKB48イズムをみんなに伝えてきました。それでも…、やっぱり今のAKBには危機感がない!! きっと、いなくなってみないと分からないものなんですよね。だから、私は今夜、卒業としか言ってないけれど、無言でみんなに課題を与えたんです。手荒いやり方だし、うぬぼれに聞こえるかもしれないけど、私の卒業をリアルに言わないと、始まらないこともあった」

私にとっての高橋みなみは、AKB48が解散するまで、総監督を続けている存在であった。平嶋夏海が恋愛で辞退(実質的には解雇)していなければ、高橋みなみと平嶋夏海の二人が、AKB48解散まで現役メンバーを続けていた。

でも、危機感発言で、高橋みなみの(私にとって)イメージは地に落ちた。何故なら、アイドルらしくないから。

AKB48の危機とは何でしょう。
アイドルグループは、いつかは人気がなくなります。
人気がなくなるのは、自然の摂理であり、危機ではない。
モーニング娘。のように、人気がなくなっても、グループが存続することが大事。
モーニング娘。が残念なのは、存続はしたが、曲がアイドルらしくなくなったこと。
アイドルらしい歌を世に出し続けることができるかが大事。出せなくなるとしたら、それが危機。できるかAKB48。

以上は私の感想ですが、高橋みなみの抱く危機感を、斟酌すると、
「気が緩んでいる」「必死に努力していない」「自分は最高のパフォーマンスを見せているが、他のメンバーは見せていない」であり、「他のメンバーが危機感を持って、高橋みなみのように、なって欲しい」

アイドルグループに、高橋みなみのようなリーダーは必要であるが、アイドルが危機感を持つ必要はない。
危機感を持ってアイドルを育てる(アイドルを演じさせる)のは、作り手である。

危機感を持ったアイドルは、それだけで、魅力なし。
アイドルは、人形でなくては。

ナッキー
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TAKENOKOの振り付けは歌舞伎をイメージしているのかも(ナッキー)

2014-11-25 23:59:17 | アイドル論
TAKENOKOの振り付けは歌舞伎をイメージしているのかも(ナッキー)

歌舞伎の本を読んだばかりなので、気がついたのですが、TAKENOKOの歌には、歌舞伎を想起させる振り付けがある。

とは言っても、ナッキーは歌舞伎を知らない。2回だけ見たことあるが短い時間で、歌舞伎の劇場に行ったというだけ。

私にとっての歌舞伎のイメージは、子供の頃繰り返して読んだ漫画「鉄腕アトム」の「ZZZ総統の巻」に登場する歌舞伎の場面。
「いや・・・じつによかった。科学文明がどんなにすすんでも、こういう芸術は永久にほろびないでしょう」 歌舞伎を見たフランス前大統領のセリフを鉄腕アトムから引用。

アイドルもほろびない芸術なのだと、TAKENOKOを見ると思えてくる。

ナッキー
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本日対バンライブ(ナッキー)

2014-11-25 23:36:30 | アイドル論
本日対バンライブ(ナッキー)

「 duo SUPER LIVE 2014 vol.9.5 」 Presented by duo Music Exchange ~早割無銭スペシャル~
18:20着
COCORO♥ODORU / 初見、可愛くない。
sora tob sakana / 初見、可愛い、中学生5人組
絵恋 / 初見、ソロ
TAKENOKO
君と僕、ときどきメランコリック / 初見 (TAKENOKO物販)
SnowDrops / 二回目、4人組3人出演、可愛い。一番可愛いメンバーが自己紹介で大学1年生と。少し驚く。
ナト☆カン  (TAKENOKO物販)
パー研
スライムガールズ
Honey Squash / 数回見ている、可愛いとは思わないが物販の列長い。チェキの時腕を組むのが特典なのか。
平成琴姫 /
アンダービースティー/ 初見
21:40退場

ライブハウス滞在中に見かけなかった。
jewel*mariee / Mineproduce / ふらっぺidolぷろじぇくと生 / 百花繚蘭/柊木りお /
物販のみ見かける
fine /
苺りなはむ /本人の物販ではなく、りなはむがTAKENOKOに参加しているところ。

平成琴姫は、7月の京都以来。ナッキーを認識していて京都ではライブ会場で名前を呼んでくれた桃屋さん。あの時にチケット買ったライブには行けなかったのだが、物販会場で目が合って、「あ、久しぶりに来て下さったんだ」と、一瞬の表情。

TAKENOKO、ステージ登場のオープニングで、「私たちも中学生、物販のお客さん、中に来て下さい」という趣旨のMC。それまで大勢いたお客さんが、二つ前出番のアイドルの物販で減ったことを指摘。
「中学生(アイドル)好きな人はロリコン」とMC。
私の前に物販並んでいたお客さんが、「TAKENOKOのファンはロリコンなんですか」と真顔で質問した。やさしい顔のマネージャーが、「あれはあくまでMCで本心ではない」という趣旨のフォローをしていた。

ロリータコンプレックスの定義は幼児に性的興奮を抱く男性で、普通のアイドル好きな人はロリコンではない。が、広義には、中学生アイドル好きはロリコンというのが社会通念かもしれない。

ナッキー
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歌舞伎とアイドル「様式美と呼ばれるデフォルメ」「まことらしいうそ」(ナッキー)

2014-11-21 00:13:38 | アイドル論
歌舞伎とアイドル「様式美と呼ばれるデフォルメ」「まことらしいうそ」(ナッキー)

「歌舞伎を救ったアメリカ人」岡本嗣郎著を読んだ。
第二次世界大戦後、GHQに多くの演目を禁止された歌舞伎が、どのように復活したかというルポルタージュ。歌舞伎を愛好するパワーズというマッカーサーの副官が主人公。

アイドルが、歌舞伎のように、日本の伝統文化になることができるのか、いくつかのヒント。「 」が引用で、< >がナッキーによる、なぞらえ。

「シェークスピアの『ハムレット』に『芝居は世をうつす鏡』というせりふがある。欧米では誇張した不自然な演技をいましめ、舞台ではあくまで現実を再現しようと試みる」

欧米では歌唱力の不足をいましめ、歌唱はあくまで音程を合わせ、大きな声量を試みる

「欧米では、演劇は現実の忠実な再現であって、自然主義的リアリズムが主流」「歌舞伎はこの対極にある。表現形式はリアリズムではなく、様式美と呼ばれるデフォルメ(変形)を基本としている。」

欧米では歌唱力至上主義が主流。アイドルはその対極にある歌唱力不足というデフォルメ(変形)が主流であり、様式美となっている。様式にあわず歌唱力を備えたアイドルも出現するが、様式を崩しても尚アイドルという美を体現していないとアイドルたりえない。>

「近松門左衛門は『虚実皮膜の間』と言った。歌舞伎の芸は決して本来のリアリズムではないが、その根底にある役者の心は写実の心でなければならない。その場合、あまりにも虚をついたうそであってもいけないし、あまりに実つまり写実であってもいけない。『まことらしいうそ』が、芸の神髄なのだ。」

アイドルの芸は、その根底にある恋愛禁止でなければならい。あまりに虚をついたうそ、本人の実態とかけはなれたキャラであってもいけないし、あまりに実つまり本人そもものであってもいけない。『本当の○○ちゃんはこういう女の子であるとファンに勝手に思い描かせる、まことらしいうそ』が芸の神髄なのだ。>

補足:恋愛禁止という世に広まっている用語をつかったが、プラトニックな恋愛はアイドルでも否定されていないので、厳密に定義すると性行為未経験。
アイドルも「まことらしいうそ」が芸の神髄と、私は考えるのだが、指原莉乃「逆転力」を評した濱野智史(11月16日朝日新聞)によると、ネット時代のアイドルはうそを構築しないで成功した。

「指原莉乃は『逆転力』で、自分でキャラを作ろうとせず、他人から与えられたキャラはひたすら受け入れるべしと主張する。要は「自分なんて捨てろ」と言っているわけで、常識的に考えれば驚くような主張だ。
 しかし、これこそがネット時代のアイドルの適応形態なのだ。いくらメディア越しに自分のキャラを作り上げても、AKB48グループのように握手会で「会いに行けるアイドル」である限り、嘘で塗り固めた自分の姿はすぐファンにバレる。ボロが出たら即座にネットで書かれてしまう。それなら、自分なんて下手に作らないほうがいい。筆者はここに、ネット時代における新たな「無我の境地」を見る。
 つまりネット時代の今日、もはやアイドルは「偶像」ではありえない。それはいま、メディア環境の変化に最前線で晒(さら)されている、リアルな「具体像」として存在しているのである。」

ナッキー
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アイドルが文化として崩壊するとしたら (ナッキー)

2014-11-12 00:50:44 | アイドル論
アイドルが文化として崩壊するとしたら (ナッキー)

一つ前に資料としてアップした資料は、旧名テッドさんから教えてもらったネット記事。
読み始めて、前半は新しいことが全く書いてなく退屈でしたが、最後の歌詞論と、「素敵な歌をたくさん聞きたいだけ」には同感。

アイドルが文化として継承されていくか、蹴鞠のように断絶して後世では見られなくなるのか、

アイドルが文化として崩壊するとしたら、アイドル自身のアイドル表現能力と、鑑賞者のアイドル鑑賞能力が衰えた時だろう。

「女性の気持ちをストーリー性豊かに描いた歌詞を理解できない若い子は、教育の問題。」

文部科学省は、道徳を必修にする時間と金があるのなら、アイドル文化を継承する国民の能力を高める情操教育に力を入れて欲しい。

ーーーーーー

クリス氏の「いい曲が減ったのはグループアイドルが増えたから」という論理は、細かく言うと、
「グループアイドルが増えた」 「グループはダンスを競う」 「ダンスミュージックが増えた」 「いい曲が減った」のである。
グループが理由ではなく、ダンスが理由。

グループアイドルのメンバーが交代でソロ歌唱の曲は、ダンス曲ではなく、いい曲が多い。

アイドルのいい曲を増やすためには、中国の批林批孔にならって、批GEM、批東京女子流、反(一部の)AKB48のダンス至上主義を唱えたくてはならならい。東京女子流は、ルックスがアイドル的だったので、曲の悪さ(アイドルらしくないという意味で、音楽的には高級)はより罪が重い。


ナッキー
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