アイドルの隠せない個性(ナッキー)
昔のアイドルと現代のアイドルの一番大きな差は、
昔のアイドルの文章は、出版社か事務所が書いていたのに対して、
現代のアイドルの文章の多くは、特に、ツイッター・モバイルメール・Google+・ブログはアイドル本人が書いていること。
AKB48グループで、本人が忙しくて、誰かが文章を代筆しているメンバーはゼロではないと思うけど、本人が書かない時は更新されていないので、代筆はほとんどないと思われる。
昔のアイドルにどっぷりつかった世代で、現代のアイドルをテレビ以外のメディアで接していない方と話すと、「アイドル本人が書いている」ことを、なかなか信じてもらえない。
では、範囲を限定しよう。AKB48グループには大手プロダクションに所属するメンバーもいるので、少人数プロダクションのアイドル(ライブアイドル・地下アイドル・ローカルアイドル)に議論を限定する。
時にチェキの撮影係や物販の集金までアイドル本人がやっているので、アイドル書く文章を代筆する人など雇っていない。(マネージャー本人がそんな暇はないけど、親や家族が代筆しているケースはあるかも。)
では、アイドル自身はどう思っているのか。
里中アオのツイートを一部編集して引用します。
@ao_nlv: アイドルは、仕事であるから、素でいいわけじゃない。(感情的になるのはいけない)
けど、意図して二面性を作るべきなのでもないと。
ファンに嘘つく職業、ではないと思うのです。
ステージから伝わる個性は、無理矢理作り上げたものより、しまってた内面が溢れ出ちゃってる方が、ずっと深くて素敵じゃないですか?
@ao_nlv: ふと気づいて調べてみたら、
こ‐せい【個性】
個人または個体・個物に備わった、そのもの特有の性質。個人性。
つまり目的や下心のために、無理矢理塗り固めて作った何らかの特徴っぽいものってのは、そもそも個性ではないのですね。=
オールドファンからすると、アイドルの個性が、簡単に分かってしまうのは、(ありがたいけど)物足りない。というか、古今集から万葉集に変わった感じ。
里中アオの論理を援用すると、昔のアイドルは、テレビで見せる表向きの「可愛らしさ」と、本人の個性ではなく、虚像であり、作られた人形のようなもの。事実そうでした。
しかし、当時のアイドル鑑賞者は、表向きの「可愛らしさ」に隠れた個性を見ていたのである。
表向きの可愛らしさと、現実のむごたらしさのギャップが激しいと言われた代表例が、中森明菜と南野陽子ではないだろうか。もちろん、メディアにでない情報(噂)を覚えているだけにすぎない。
小泉今日子がドラマ「あまちゃん」でヤンキーのようにどなったのも、アイドルになる前に暴走族だったという噂は本当だったのだと思い出したり。当時は、「元暴走族の女の子が、こんなに可愛くなるのだ」という小泉今日子の個性を楽しんでいた。
里中アオの「個性論」は、アイドルだけではく、会社生活や、家族にもあてはまる。サラリーマンに援用してみると、
「会社員は、仕事であるから、素でいいわけじゃない。(感情的になるのはいけない)
けど、意図して二面性を作るべきなのでもないと。
お客さん・上司・同僚・部下に嘘つく職業、ではないと思うのです。
仕事を通じて伝わる個性は、無理矢理作り上げたものより、内面が溢れ出ちゃってるのではいと、通じない。」
中には、上司に、堂々とおべんちゃらを言う嘘つきもいますけど。
里中アオのツイート後続で、
@ao_nlv:最近ふぁぼ貰えてRT貰えないのは私の言葉が多すぎるのと大して共感は得ないからなのかなとか思ったけど、だから何なのよね。私の言葉が好きな人は、そっとうんうんってうなづいたり、そうかな?って首をかしげたりしてくれてるんだろうなって。
お気に入りにもRTもしていないけど、ナッキーは共感していることを、引用リツイートで表明しました。
@hagurohebi個性のツイート引用させて頂きブログ書く予定。
返事を頂きました。
里中アオ@なちゅらリウム.vivid @ao_nlv
@hagurohebi おおお!どんなことになるのか…ドキドキ
こんな返事は、マネージャーでは書けませんぞ。吉田教授。
ナッキー
昔のアイドルと現代のアイドルの一番大きな差は、
昔のアイドルの文章は、出版社か事務所が書いていたのに対して、
現代のアイドルの文章の多くは、特に、ツイッター・モバイルメール・Google+・ブログはアイドル本人が書いていること。
AKB48グループで、本人が忙しくて、誰かが文章を代筆しているメンバーはゼロではないと思うけど、本人が書かない時は更新されていないので、代筆はほとんどないと思われる。
昔のアイドルにどっぷりつかった世代で、現代のアイドルをテレビ以外のメディアで接していない方と話すと、「アイドル本人が書いている」ことを、なかなか信じてもらえない。
では、範囲を限定しよう。AKB48グループには大手プロダクションに所属するメンバーもいるので、少人数プロダクションのアイドル(ライブアイドル・地下アイドル・ローカルアイドル)に議論を限定する。
時にチェキの撮影係や物販の集金までアイドル本人がやっているので、アイドル書く文章を代筆する人など雇っていない。(マネージャー本人がそんな暇はないけど、親や家族が代筆しているケースはあるかも。)
では、アイドル自身はどう思っているのか。
里中アオのツイートを一部編集して引用します。
@ao_nlv: アイドルは、仕事であるから、素でいいわけじゃない。(感情的になるのはいけない)
けど、意図して二面性を作るべきなのでもないと。
ファンに嘘つく職業、ではないと思うのです。
ステージから伝わる個性は、無理矢理作り上げたものより、しまってた内面が溢れ出ちゃってる方が、ずっと深くて素敵じゃないですか?
@ao_nlv: ふと気づいて調べてみたら、
こ‐せい【個性】
個人または個体・個物に備わった、そのもの特有の性質。個人性。
つまり目的や下心のために、無理矢理塗り固めて作った何らかの特徴っぽいものってのは、そもそも個性ではないのですね。=
オールドファンからすると、アイドルの個性が、簡単に分かってしまうのは、(ありがたいけど)物足りない。というか、古今集から万葉集に変わった感じ。
里中アオの論理を援用すると、昔のアイドルは、テレビで見せる表向きの「可愛らしさ」と、本人の個性ではなく、虚像であり、作られた人形のようなもの。事実そうでした。
しかし、当時のアイドル鑑賞者は、表向きの「可愛らしさ」に隠れた個性を見ていたのである。
表向きの可愛らしさと、現実のむごたらしさのギャップが激しいと言われた代表例が、中森明菜と南野陽子ではないだろうか。もちろん、メディアにでない情報(噂)を覚えているだけにすぎない。
小泉今日子がドラマ「あまちゃん」でヤンキーのようにどなったのも、アイドルになる前に暴走族だったという噂は本当だったのだと思い出したり。当時は、「元暴走族の女の子が、こんなに可愛くなるのだ」という小泉今日子の個性を楽しんでいた。
里中アオの「個性論」は、アイドルだけではく、会社生活や、家族にもあてはまる。サラリーマンに援用してみると、
「会社員は、仕事であるから、素でいいわけじゃない。(感情的になるのはいけない)
けど、意図して二面性を作るべきなのでもないと。
お客さん・上司・同僚・部下に嘘つく職業、ではないと思うのです。
仕事を通じて伝わる個性は、無理矢理作り上げたものより、内面が溢れ出ちゃってるのではいと、通じない。」
中には、上司に、堂々とおべんちゃらを言う嘘つきもいますけど。
里中アオのツイート後続で、
@ao_nlv:最近ふぁぼ貰えてRT貰えないのは私の言葉が多すぎるのと大して共感は得ないからなのかなとか思ったけど、だから何なのよね。私の言葉が好きな人は、そっとうんうんってうなづいたり、そうかな?って首をかしげたりしてくれてるんだろうなって。
お気に入りにもRTもしていないけど、ナッキーは共感していることを、引用リツイートで表明しました。
@hagurohebi個性のツイート引用させて頂きブログ書く予定。
返事を頂きました。
里中アオ@なちゅらリウム.vivid @ao_nlv
@hagurohebi おおお!どんなことになるのか…ドキドキ
こんな返事は、マネージャーでは書けませんぞ。吉田教授。
ナッキー