篠山紀信の写真展、HIRIMI YOSHII というギャラリー、
六本木で、AKB48 Team Kishin
清澄で、山口百恵を、ともに1月15日まで、やっています。
今日は、山口百恵を見て来ました。
六本木のギャラリーは、4年前に、AKB48を見たことがあります。単独の立派なギャラリーでした。
清澄のギャラリーは、倉庫を改造したもので、複数のギャラリーのうちの一つ。周りは工場で、文化的な場所では、ありませんでした。
山口百恵の写真は、10枚。
奥の部屋で、「横須賀ストーリー」のPVの映像。
1枚目。デビューの頃の、丸い目で、あどけなくカメラ目線の山口百恵。これは、私の記憶の中の山口百恵と同じ。
残りの9枚は、私の記憶の中の山口百恵とは異なる。もし、私が、篠山紀信の写真から、10枚選ぶとしたら、選ばない9枚が並んでいました。
例えば、2枚目。アルバム「ひと夏の経験」のジャケット裏、とりつかれたような物憂い表情の山口百恵が床に座り、ミニスカートから、ギリギリまで太ももが映っている。
この写真は、二の腕は魅力的なのだけど、15才のアイドルが、こんなに男を欲情させる写真を見せる必要があるのか、と当時高校生の自分の感想を、思い出した。
10枚目、アルバム「曼珠沙華」のジャケット。1979年、引退の一年前、20才。老生した顔。
AKB48には、大人びた魅力のメンバーもいるが、当時の山口百恵のように、貫禄がありすぎるメンバーはいないので、安心して、見ることができる。
一番最初に好きになったアイドルが、山口百恵で、その次に好きになったアイドルが、榊原郁恵。
榊原郁恵に「推し変」してから、世間的にはアイドルらしくなくなった山口百恵を気にしなくなっていた。時々アイドルらしい表情を見せてくれるだけで満足していました。
30年後、世間が、山口百恵を回想する時に、
自分が、熱中していた、ビッグになる前の、アイドルらしい山口百恵と一致しないのは、やむを得ない。
今日、ギャラリーで、写真を見ての感想。
こんな女の子が、AKB48のオーディションを受けても、受からない。
たとえ受かって研究生になれたとしても、セレクションで落ちる。
1976年までは、一推しだったのに、AKB48を見続けて、審美眼のレベルが高まってしまったのでしょうか。
ナッキー
六本木で、AKB48 Team Kishin
清澄で、山口百恵を、ともに1月15日まで、やっています。
今日は、山口百恵を見て来ました。
六本木のギャラリーは、4年前に、AKB48を見たことがあります。単独の立派なギャラリーでした。
清澄のギャラリーは、倉庫を改造したもので、複数のギャラリーのうちの一つ。周りは工場で、文化的な場所では、ありませんでした。
山口百恵の写真は、10枚。
奥の部屋で、「横須賀ストーリー」のPVの映像。
1枚目。デビューの頃の、丸い目で、あどけなくカメラ目線の山口百恵。これは、私の記憶の中の山口百恵と同じ。
残りの9枚は、私の記憶の中の山口百恵とは異なる。もし、私が、篠山紀信の写真から、10枚選ぶとしたら、選ばない9枚が並んでいました。
例えば、2枚目。アルバム「ひと夏の経験」のジャケット裏、とりつかれたような物憂い表情の山口百恵が床に座り、ミニスカートから、ギリギリまで太ももが映っている。
この写真は、二の腕は魅力的なのだけど、15才のアイドルが、こんなに男を欲情させる写真を見せる必要があるのか、と当時高校生の自分の感想を、思い出した。
10枚目、アルバム「曼珠沙華」のジャケット。1979年、引退の一年前、20才。老生した顔。
AKB48には、大人びた魅力のメンバーもいるが、当時の山口百恵のように、貫禄がありすぎるメンバーはいないので、安心して、見ることができる。
一番最初に好きになったアイドルが、山口百恵で、その次に好きになったアイドルが、榊原郁恵。
榊原郁恵に「推し変」してから、世間的にはアイドルらしくなくなった山口百恵を気にしなくなっていた。時々アイドルらしい表情を見せてくれるだけで満足していました。
30年後、世間が、山口百恵を回想する時に、
自分が、熱中していた、ビッグになる前の、アイドルらしい山口百恵と一致しないのは、やむを得ない。
今日、ギャラリーで、写真を見ての感想。
こんな女の子が、AKB48のオーディションを受けても、受からない。
たとえ受かって研究生になれたとしても、セレクションで落ちる。
1976年までは、一推しだったのに、AKB48を見続けて、審美眼のレベルが高まってしまったのでしょうか。
ナッキー