昔からバカ正直は損をすると言われるが、このご時世バカ正直だと精神障害者扱いらしい。ああ恐ろしや。 pic.twitter.com/uMW9ZA2ABr
— らじおペンチ (@radiopench8592) 2018年10月31日
まあ、某老害は私に「君、発達障害あるんじゃないの?」と言い放ったからなあ。いやまあ、人格・能力・識見について侮辱誹謗をされて喜ぶのが普通の人間だという思想にはついていけない、ということなのだが。
…合法的に、また当人の精神的負担を低いままに他人を攻撃・排除する便利な言い訳としてこの手の用語が使われることは、はるか昔からかわりない。
…私は純然たる左派的心情から、そういう差別には反するのだが。というか、ゴールドウォーター原則護持者というのは、別に左派的ではないといえばそのとおりだが。
自分をリベラルだとか無前提に信じることができるような無批判な保守反動主義者こそがこういう差別を嬉々としてやりとげるというのも、大昔から変わらぬ姿でもあろうなあ。
…しかしなあ、学術的な正確さをどこまで無視していいか、というのは、学者のプライドに関わるんでなあ。それを発達障害のせいにされてもなあ。
関連:「一般教養の講義に根本的意義があるよなあという実例:香山リカ(2018-08-13)
ところでこの某老害氏と、当時はタッグを組んでいた某不肖の元弟子。…まあまあ周囲から反感を買っているようですが、いやまあ、その片鱗は私とまだ付き合いがあった頃から、うんまあ…。あと大言壮語の癖は昔からあったようで…。
加えて、また
思い出すのだが、2011年11月にトルコのヴァンで大きな地震が起きた。日本から救援のために行ったボランティア、宮崎敦さんという方が余震で倒壊したホテルの下敷きになって命を落とされた。
— masanorinaito (@masanorinaito) 2018年11月1日
トルコ政府は国葬に相当する丁重な扱いで彼のご遺体を日本に送ったが日本ではほんの僅かしか報じられなかった
命をかけて海外で活動した人を敬意を持って迎えろというなら、なぜ、彼が無言の帰国となった時に日本のメディアはこぞって報道しなかった?
— masanorinaito (@masanorinaito) 2018年11月1日
トルコの人はほぼ100%、彼の名前を覚えている。
日本人は知っているだろうか?
これはメディアも、そしてメディアを嫌う単純なネトウヨ・ネトサヨも同様なのだが、「自分が書きたい物語が先にあり、それに適合的な・都合の良い話を超優先して取り扱い、それに不適合な・都合の悪い話については無視する・フェイク扱いにする・侮辱する…という扱いにする」という悪癖がより根源的だろう。
もちろん、「知らないものは伝えようがない」ということと、「顧客のほうをむいて商売する」と言う原則もある。
もしメディアの中の人ががこの宮崎氏の件を知っていても、1) 「普通の日本人」だと、「普通の日本人の偉大さ」を称揚するネトウヨ(主たる顧客と見做さない)にウケるので出したくない、2) そもそも著名人ではないので、売れるネタにするには相応の努力が必要(そのようなコストを払いたくない)、などという問題があるだろう。
メディアについてのメモも出てきた。
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