なんか昔は「日本語で高等教育できて最高!」でたぶんすごいよかったとおもうんだよ。世界の研究スピードが今と比較してゆごいゆっくりだったから、翻訳というバッファーをはさんでもまだアドバンテージがあったと思うんですよ。
— Kemtaros (@oxt23) 2018年6月17日
でも今はすべての新しい最先端の情報が英語で、しかもすごいスピードで流れてくるわけですよ。なんで高等教育、特にサイエンスは英語でやるほうが圧倒的にアドバンテージなんですよ。日本語のメリットとか一ミリも無いんですよ。そういう中で、まだ日本語で高等教育が、っていってていいですかね、と。
— Kemtaros (@oxt23) 2018年6月17日
うん、日本全国全国民がすべてサイエンスで生きていくのなら、さしあたり全部英語でいいんじゃないですかね。で、そんな「選択と集中」にどれほどの合理性がありますかねーとかいうことはお考えですか、という。
北朝鮮の核開発をめぐる技術者養成のお話、というのもあったですわな。
超最上層は、それこそ英語等々を利用しまくらねばならないが、そのちょっと下の辺りの教育には日本語の教科書を使ってました、なんて話がある。言語の構造的にそれが楽だから、と。
要は「必要に応じて必要なことをする」という、おそろしくバカみたいな一般論の話なのである。エリートには、まあ最初っから英語教育でもすりゃあいいんじゃないですかね。しかし全員にそんなこと実施するだけのリソースをどこから持ってこれるかという問題もあり、最上層を育てることはできても、上層・中上層の数が揃ってないと、一般への普及もなにもできませんよ、と。
東大京大慶応…あたりで最先端の成績をあげても、それを利用する応用研究やなんかをどこでどうするか、というお話。
何を言いたいのかというと、英語で高等教育を義務化なりしてしまうと、全体的な学力は低下すると思う。一部のエリートには問題ない。
— pkm (@tkmpkm1_mkkr) 2018年6月17日
ただそれでいいんですかね。この国ってそういう社会構造だっけ?
…上層レベル・中上層レベルの不足をどこかから調達するハメになりますので、ど移民社会になる恐れもあるでしょうね。社会の分断が進みそうです。
英語と相性が悪すぎて受験に失敗したり、なかなかうまく行ってない奴とかいるので、そういう奴らが英語で高等教育とかだったら潰れてたんじゃないかな。
— pkm (@tkmpkm1_mkkr) 2018年6月17日
そういうことが考えられないのかね?いい大学を出てる出羽守先生たちは。
その手の声には「僕だってもっと早くから英語での教育をされていれば」みたいなルサンチマン込みのひとも含まれてるかも。
ともあれ、「ところであなたが科学について知って科学の道に進もうと思ったきっかけはなんですか?」と聞くのは良い手かと思う。自然の何かしらに触れたからだろうか、それの最初期の説明は当然英語だったわけですかね?と。
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