内田樹は2009年に「日本辺境論」2010年に「街場のメディア論」書いてるのに、2012年にはもういまと変わらんような言論を撒き散らしていて、この間に何が会ったのかと思ったら、2011年に震災、大学退職、神戸の成金道場が完成と、まあわかりやすかった。
— おりた (@toronei) 2018年11月24日
内田樹は大学辞めて学生との交流がなくなって、道場に詣でしてくる人達に囲まれる生活になっておかしくなった、ということ言うてる人いたけど、こうやって時系列並べるとズバリよね。さらに震災と安倍政権もこの時期なわけで。
— おりた (@toronei) 2018年11月24日
思うに我々は教職にあるのであって。
私でさえ、相当に研究者属性が強くても、どうしても教職者なのだ。なので、その実務を離れた場合、下手すると劣化する。
…学会に行って発表するのは、研究者としての劣化を防ぐ一案ではあるが、職業人生活の大半はまずは教職にあるのである。
なので、某老害がはっきりと劣化したのも、教育職たることを忘却・忌避したところにあったのではと最近、疑っていたところ、我が意を得たりというメモを見たので、メモ。
まあなあ、一時、補習学生向けの補習担当教員として(同期のひとたちと同様に)雇われていたんだが、その働き振りをみると、TAにまかせて自分はすみっこで読書なさっており…補習学生の相手など我が責務にあらずという態度であった…まあ、首になるわな。
他方で、ほかの人たちは未だに雇用が確保されており、うんまあ、実入りが少ないのは職務に専念していなかったからだよねとも。
補習学生の相手ではない、高度な任務にこそ自分の能力があるのだということは、まあ私にはその旨、延々愚痴っていたのではあった。
「道場に詣でしてくる人達に囲まれる生活になっておかしくなった」というのもそのとおり。私はyesマンに留まらなかったので嫌われたわけだろう。
まあ、また、崇め奉ってくれる子と一緒になってお話ししてたようだが。
最近、生産物の水準と頻度が落ちましたよねとか。
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