空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

日大・相手選手潰しプレー事件:問題群の適切な理解を求めたい

2018-05-19 17:51:06 | ノート








 なぜ運動部関係を「体育会系」と称し、それで一定の意味合いを示すのかといえば、身体トレーニングをしているからではなく、その身体トレーニングを「スパルタ式、軍隊式の組織風土」のもとにしているからであり―「体育会のトレーニング」というのは、身体トレーニングのみを指すのではなく、”スパルタ式”精神風土をも含んでいると解すべきだろう。いずれにしても、その風土のもとで身体トレーニングをするというのは、相当長時間に亙ってその時間を過ごすということで(毎日3時間くらいとかザラに)、相当の精神的影響も当然入ってくるだろう。

 …ひとりでトレーニングマシンに向かってるわけじゃねえんだから。




 遡らせれば戦前の、いわゆる軍隊的なそれでしょうが:



 何れにせよ、運動部はまずは能力・実績第一主義ですわね。それを目的として、それゆえにそのほかの事象は副次的な位置に位置づけられていく。人格的自由もふくめ、一定程度は自発的に放棄する。なぜ自発的かといえば、個人戦での・団体戦での勝利のため、同輩中でより優越的な位置を占めるため、一定のコストを支払う必要があり、その勝利・優越は己の利益でもあるからだ。

 …でまあ、悪い指導者だと、この目的と手段の系列をうまく誤認させたり、操作したりして、選手・学生を奴隷化したりできるわけだ。
 これを排するため、指導者には相当の精神的な高潔さ、人格、が求められる。そのような立派な指導者であればこそ尊敬され、(一定限度の範囲での)服従がなされ、さらにはその指導は(こちらは指導内容の優秀さに係り、人格には関わっていないが、宜しいならば)適切に高い成果を挙げるが―

 ―いつ・どこで踏み外すか、まあ自分でもわりとわかったもんじゃない。

 今回の事件の場合、「勝利」の条件が不可能なほどに高く設定され、そのために無理をせざるを得なくなった。そこでその「無理」の形の一つとして、反則行為で相手チームの選手を潰すという手を考案した、というところではっきり逸脱が始まる。この反則行為は、そりゃもちろん違反行為で、退場とか食らう。それゆえ、試合に必ず必要なbest of bestみたいな選手にはさせられない、しかしそこそこ以上の実力でないと試合にもだせない、だが一定以上のランクの選手なら鉄砲玉として(場合によっては一回限りで)使い潰されることをよしとはするまい―

 …そこで予め半年とか使って―試合に安定的に出られる水準であったが、監督としては「コイツ、まあ、切ってもいーかなー」と思っただろう―選手を精神的に追い詰め、冷静な判断力を喪失しかけたところで「以前のように試合に出たいだろう?」と、「試合にでて勝利すること」という本来の目的を「試合に出る」という目的に誤認させ―

 ―その上で、『もしかしたら、ちゃんとしたプレイをする機会を得られるかもしれない、自分ならその機会を作れる、そして立派なプレイを示せれば、きっと次は…!』という、補欠選手にありがちだろう夢と希望を「ヤレよ。やらないってのはないからな(お前はただの鉄砲玉だ。鉄砲玉は他人を傷害させてナンボだぞ、しっかり理解しろ、勘違いするなよ、おまえは選手じゃなく、鉄砲玉だ)」と打ち砕いて―

 …あの試合の日に至ったと。

 これは人間の道具化であり、しかもその本人の同意を得ない道具化であり、許容できないものなのだ(他方、例えば『若い女の子に椅子にしていただくことで快楽を得る』という変態性欲の持ち主の場合、本人の積極的意志をもって行われ、かつ他者への危害の拡散も低水準に抑えられるだろう限りにおいて許容してよいものと…私はおもう)。



 ともあれ、実のところ、いわゆる体育会系的メソッドは、うまく回れば高効率なのだ。いやふつうシステムってのはそうだろうけど。旧陸軍でも一定程度以上は適切にまわっただろう。というか立派なひとたちがその行動の高潔さゆえに割とさっさと死んでいってるために、割と残りがちだったアレ組の惨状が後々に…という面もあろう。

 さて、ところがこのシステムには、堕落にいたるチェックポイントがやたらあり、そこは適宜クリアする必要がある。いやこれもふつうどこでもそうだろうけど。

 そして、特に指導者側で決定的に堕落すると、そりゃもうエライ悲劇・惨劇になる。旧軍の誰を思い起こすかは人の趣味による。



 今回の課題は、いかにして非人間的な・不合理な支配を阻止するか、再発を防ぐシステム構築はどうか―ということであって、てきとーに問題群に「体育会系」と名づけて、そこから雑に敷衍して『よっし、じゃあ体育会系部活をしばけばいいんだな!』と短絡しても問題群への対処をしたことにならない。

 適切に問題を切り分け、適宜対応をするのがなすべきことであって、自分の恨み辛み、偏見をぶちまけて、対処すべき問題群を放置するのは不効率・不経済であると私としてはメモしておこう。



 しかしまあ、あまりに典型的にいわゆる体育会系的組織の悪い面が出まくった話であり、極めて教材化しやすく、理解しやすいことから皆さんのありがたいお言葉もぞくぞく採取できようというもので:



 鉛のように重い忠告である。



 いやほんと、実際、そう思いますよ。
 特に体育会系に顕著に出がちかとも思いますが、「目上には絶対服従」思想の人、あるいはそうした傾向をむき出しにした人は単に改善・改革の可能性を極小化する愚者であり、それゆえに害悪です。

 忘れちゃいけない、目上様や先輩様、監督様…がえらいのは、その肩書き・地位・位置に相応しい能力・見識・度量…を示し得るところにあるのであり、示せない無能はその位置にいる資格がないのです。

 単純な理屈です。

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