空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

要は能力の差

2018-09-13 18:54:54 | Weblog



 並みの理系教員をはるかに上回る研究費をとり、並みの理系教員をはるかに上回る論文を書き、並みの理系教員をはるかに上回る学会発表をするんですな。

 なお、本気の超トップ研究者であれば、そこらの強要される教養講義なんぞぶっ飛ばして仕事できますので、そのように。ハイゼンベルクが行列を知らなかったとかいうオモシロエピソードを参照。まああれはあれでプラトンを読む教養人だが―

 ―というわけで、そこらの並みの半端エリート程度が、『ああ、オレはあの無駄な講義を受けさせられなかったならもっと…!』できるようになってあのアイツよりもうちょっとできたかも…という恨み言とでも思っておけば概ね間違いないと思われる。なにしろ私だってこういうことをおもうのだ、立派なソースである。

 とはいえ、その『オレよりできるアイツ』というのも『無駄な講義で時間を無駄にさせられたオレ』と同じカリキュラムで生きてきたのであり、

 …要は文系が無駄であるかどうかというより、これは能力の差である。

 つーか、たかがぱんきょーの内容程度を日常の知的生活に適用できない程度の水準であるだけだとも。

 だってさ、四則計算を無駄とは言わないでしょう。でも中学理科あたりから「こんなの無駄だよ」と言い出す人々が出てくるでしょう。そのあたりの成績の子たちを、ふつーのエリートさんたちは軽んじてきたでしょう、「こんなのも難しいとか言ってんの?」とかいうふうに。

 同じように、ぱんきょー水準を楽しむ知的水準にないということをさらけ出すのは、高級知識人ワナビー君としてはどうかと思われる。ぱんきょー水準だと、一般のひとたちも楽しむ水準であるわけであり。



 そういうこともある。理論水準Aで話して「解らない」と言われ、下げたB水準で話してもダメっぽく、そこで可能な限り下げた―そこらの学部生にもわかるだろうという水準まで下げた水準Cまで落としたら、なるほどそういうことなのか、そんなことなら自分にだってわかる、と理学博士に主張されたことが。解るように喋ったんだよ。あきれ果てたが。




 まあ、いろんなひとがいるさ。
 自分が知っている限りの文系知識なら敬意を持つ、というパターンもある。それから外れる場合、自分のマウンティングが利かなくなるので、拒絶したりすることになる。これは自分の認知を優先するタイプ。

 まあ、だから、一流を目指そうね、一流を尊敬しようね、ということにする。

 でまあ,一流を気取って,そんな一流の自分に理解されない程度の低水準など相手にしないぞ,という人も発生し―

 ―うん,まあ,浜矩子を称揚することを拒絶した私は無能扱いされたりしたのである。
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