東工大、学部と修士は知らんけどただでさえ減ってるD進者が学費値上げで間違いなく更に減るんじゃね?9万も学費値上がりすんのにラボは金削られるし文系&キャリア科目とかいう無駄で害悪でしかないもの取らされて研究する時間まで減らされんだから。D進するなら他大の方が絶対いいでしょ
— え じ り ん (@ejirin925) 2018年9月13日
こんな雰囲気のところで語学やその他の文系教員の苦労に改めて遠い目をしてしまう。
— kazy (@gakeau) 2018年9月13日
並みの理系教員をはるかに上回る研究費をとり、並みの理系教員をはるかに上回る論文を書き、並みの理系教員をはるかに上回る学会発表をするんですな。
なお、本気の超トップ研究者であれば、そこらの強要される教養講義なんぞぶっ飛ばして仕事できますので、そのように。ハイゼンベルクが行列を知らなかったとかいうオモシロエピソードを参照。まああれはあれでプラトンを読む教養人だが―
―というわけで、そこらの並みの半端エリート程度が、『ああ、オレはあの無駄な講義を受けさせられなかったならもっと…!』できるようになってあのアイツよりもうちょっとできたかも…という恨み言とでも思っておけば概ね間違いないと思われる。なにしろ私だってこういうことをおもうのだ、立派なソースである。
とはいえ、その『オレよりできるアイツ』というのも『無駄な講義で時間を無駄にさせられたオレ』と同じカリキュラムで生きてきたのであり、
…要は文系が無駄であるかどうかというより、これは能力の差である。
つーか、たかがぱんきょーの内容程度を日常の知的生活に適用できない程度の水準であるだけだとも。
だってさ、四則計算を無駄とは言わないでしょう。でも中学理科あたりから「こんなの無駄だよ」と言い出す人々が出てくるでしょう。そのあたりの成績の子たちを、ふつーのエリートさんたちは軽んじてきたでしょう、「こんなのも難しいとか言ってんの?」とかいうふうに。
同じように、ぱんきょー水準を楽しむ知的水準にないということをさらけ出すのは、高級知識人ワナビー君としてはどうかと思われる。ぱんきょー水準だと、一般のひとたちも楽しむ水準であるわけであり。
下手に身近な事象だからわかりやすく説明するために身近な事例に引きつけて簡潔に説明してしまうと、知識が無い相手は「これは簡単なことなんだ、馬鹿でもできることだ」と考えてしまうんだろうか。 https://t.co/XMPjyInvrV
— ろくた (@PL9P8AzyfbuRgNh) 2018年9月13日
そういうこともある。理論水準Aで話して「解らない」と言われ、下げたB水準で話してもダメっぽく、そこで可能な限り下げた―そこらの学部生にもわかるだろうという水準まで下げた水準Cまで落としたら、なるほどそういうことなのか、そんなことなら自分にだってわかる、と理学博士に主張されたことが。解るように喋ったんだよ。あきれ果てたが。
正直に言うと、自分もそう思っていた理系学生だった。でも社会に出れば経済学、社会学は言うまでもなく、歴史や政治、文章力など、理工系の学問はそのようなベースがあって初めて活きるとわかりました。 https://t.co/TF1n2RN8Z5
— おいでよ地球 (@oideyototuka) 2018年9月13日
一流の理工系の学者は、文系の学問にも敬意を払っている印象があるのだが、ひょっとしたらそうでもないのかな https://t.co/TpLSETwQr4
— 田畑暁生(Akeo Tabata) (@akehyon) 2018年9月13日
まあ、いろんなひとがいるさ。
自分が知っている限りの文系知識なら敬意を持つ、というパターンもある。それから外れる場合、自分のマウンティングが利かなくなるので、拒絶したりすることになる。これは自分の認知を優先するタイプ。
まあ、だから、一流を目指そうね、一流を尊敬しようね、ということにする。
でまあ,一流を気取って,そんな一流の自分に理解されない程度の低水準など相手にしないぞ,という人も発生し―
―うん,まあ,浜矩子を称揚することを拒絶した私は無能扱いされたりしたのである。
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