空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

「才能」

2019-03-01 22:21:19 | Weblog


 私は甥っ子に、「いやあ、子供の頃以来、釣り、してなくてよかったよ! (浮きが)ピクリともしない! そういえば僕は釣りが好きだったけど、全然釣れなかったんだった! 釣りを続けてたら、自分に才能があるだなんて思えなかっただろうよ!」とか言い放った。ひどいなこれはこれで。



 納得する点があった。私の才能は、してみると―どこに落ち着くのがいいかなあと思って見たり。今のところだとキッツイのだよなあ。
 で、まあ。私のものの見え方は、まあ特殊ではある。先進的すぎて理解できない向きもあるようだが、一面識もなかった旧タイプの専門家が、今後この分野は●●さんを中心に動くことになると思います、だなんてコメントをしてきたりして、まあこれでいこうと思う。



 僕は最近、才能の差を言うようにもなった。





 まあそういうことである。
 なので私は、「まあとりあえず、他人の三倍くらい努力なさい。そうすれば、多少は勝てる。だが三倍くらいで生物的・現実的に時間的な限界がくるので、そこが才能の限界ということになる。それで敵わない天才には、単に勝てない」というくらいのことで今まで生きてきた。





 地獄から響き渡るような助言である。
 また、才能だけでなく実家の太さも問題で:



 さらに:



 なお私は「インテリ」組だろうが、同僚たちとくらべて明らかに出自が劣るので、逃げていくにもその元手がない点、注意が必要。つうかほどほどの給料・報酬で働くんだが、その「ほどほど」のカネもなにも出せない・出したくないというあたり、かなり終わってるのかもしれん、今の状況。

 あと世代の問題:









 それについては「生活保護じゃないんだよ」で切って捨てられるだろう…(泣)。
 その時々に応じて時代的背景,時代的制約があるんだから,きちんと読みとろうね,とか言われちゃうんだ。

 WWIIのときの名将軍たちは,そのまま現代に持ってきても困っちゃうだろう。ヴィットマンは現代に連れてきても戦車キラーであり続けるだろうか。ルーデル神はA-10に乗せておけばいいが(撃墜されても生き返ってくるから大丈夫)。
 そんなわけで,自分のスキルはいまどのように使えるか,生き延びることができるか…と問われてしまうのだ…。



 そういう信仰で生きて生きたいのである。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 単位認定をめぐるお話:再試... | トップ | ヴェネズエラ政治メモ:援助... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
スヌーピーだったっけ (hilowmix)
2019-03-02 11:15:58
「配られたカードでプレイするしかないのさ」って奴なんじゃないですかね。
そうして、なにものにもなれずに人生を終えることもあろうけど、人類史上おそらく99%はそうだったろうと思う(と自らを慰める)。
返信する
> って奴 ()
2019-03-02 14:05:26
ですわね > って奴
チャレンジしてても、政変で人生行路がゆがんだり…いろいろと外在的な条件もあったり…
年齢をかさねて、”まあ、それも人生のひとつだろう”と多少達観したふうなことも思うようになりました
返信する

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事