つらすぎわろた pic.twitter.com/6fyIu8wN2z
— とば (@toon0227) 2019年2月18日
私は甥っ子に、「いやあ、子供の頃以来、釣り、してなくてよかったよ! (浮きが)ピクリともしない! そういえば僕は釣りが好きだったけど、全然釣れなかったんだった! 釣りを続けてたら、自分に才能があるだなんて思えなかっただろうよ!」とか言い放った。ひどいなこれはこれで。
自分の才能の見分け方。「なんで他の人はこんな簡単なこともできないのだろう」と思ったときの「こんな簡単なこと」があなたの「才能」です。
— ??ロマのフ比嘉?? (@romanovh) 2019年2月5日
納得する点があった。私の才能は、してみると―どこに落ち着くのがいいかなあと思って見たり。今のところだとキッツイのだよなあ。
で、まあ。私のものの見え方は、まあ特殊ではある。先進的すぎて理解できない向きもあるようだが、一面識もなかった旧タイプの専門家が、今後この分野は●●さんを中心に動くことになると思います、だなんてコメントをしてきたりして、まあこれでいこうと思う。
「才能のある人は世界の見え方が違うのかなぁ」と感じる。努力の大切さを語る成功者の言葉に熱くなるけど、「全部才能や」って偉そうにふんぞりかえってる人の方が正直者やと思うときがあるよ。おもいきり頑張ってそれでも無理なら、天寿を全うした際は神様を倒す側の軍勢に加担していいよね。
— 真乃宮 (@manomiya37) 2019年1月21日
僕は最近、才能の差を言うようにもなった。
一万時間理論も努力好きな日本人にウケるから信じられているけど、実際は音楽やスポーツで2割、教育では4%の差しか認められなかったそう。つまり習得にかかる時間は個人差が大きく、マスターするまで頑張った人がプロに成れる、というオチ。
— petty_bonitas (@petty_bonitas) 2018年12月26日
よく凡人は天才の二倍三倍努力だ!みたいな事言う人いるけどじゃあ天才が1日12時間努力していたとしたら人には平等に1日24時間しか与えられていないんだからもうムリという事になるし、見て来た天才は往々にしてそうなのだ、凡人が苦労と思う事を苦労と思ってないんだから(ダークサイド)
— 太古の月(無断転載禁止) (@taikonotuki13) 2018年10月23日
まあそういうことである。
なので私は、「まあとりあえず、他人の三倍くらい努力なさい。そうすれば、多少は勝てる。だが三倍くらいで生物的・現実的に時間的な限界がくるので、そこが才能の限界ということになる。それで敵わない天才には、単に勝てない」というくらいのことで今まで生きてきた。
絵を描き始めた頃慕ってた絵師さんに「絵を描き続ければ上手くなるでしょうか?」と聞いたことがありましたすると「字を何年も書き続けたと思いますが、上手くなりましたか?」と返ってきました絵の初心者の僕でも意味がわかりました「字を上手にするにはどうするでしょうか?」一緒だなぁと
— かびきら 紅楼夢D-23a (@_kabikiller) 2018年7月30日
( 'ω')まあ実際のところ本当に「何も考えずに」写経みたいに描き続けられる機械みたいな人は居ないと思うんで続ければ上手くはなるよその人の才能の限界までは、だけど
— 神無月元史????3日目東Z36b (@Kannaloli) 2018年7月31日
地獄から響き渡るような助言である。
また、才能だけでなく実家の太さも問題で:
すべての人に見て貰いたいんだけど、実家が太いとは「これ」なんですよ。これが埋められない生まれからくる文化格差。https://t.co/Wxovfjphfo
— まっつん2 (@mazda2desu) 2018年9月16日
さらに:
ここぞというときに逃げたり裏切ったりする可能性は、コネのひとよりも、才能や知性のひとの方が高いですからね。
— odg? (@odg1967) 2017年3月23日
なお私は「インテリ」組だろうが、同僚たちとくらべて明らかに出自が劣るので、逃げていくにもその元手がない点、注意が必要。つうかほどほどの給料・報酬で働くんだが、その「ほどほど」のカネもなにも出せない・出したくないというあたり、かなり終わってるのかもしれん、今の状況。
あと世代の問題:
研究者界隈でも世代間格差は確実にある。「ロスジェネ」と呼ばれる就職氷河期世代の先輩たちに比べると、そのひと回り下の世代、つまりは自分たちに対する財政的支援は、確実に充実している。それは「お上」が「若手研究者問題」を認識し、議論し、それへの対処をとるまでに生じたタイムラグの産物だ。
— 朝守飛阿弥 (@heero108) 2018年9月16日
ある先生は、「一度歯車が噛み合うと上手く回りだす」と表現された。つまり一度学振などの支援を得ることができれば、一定期間落ち着いて研究に打ち込むことができ、次の支援を獲得できる確率が高まるのだと。逆に研究に打ち込むことができなければ、状況はさらに悪化していくとも。まさに二極化だ。
— 朝守飛阿弥 (@heero108) 2018年9月16日
昨今この傾向はより強まっているようで、私の周りには修士段階で査読付きの全国誌論文をもつ人が数人いる。これが彼ら/彼女らの才能と努力の賜物であることは言うまでもない。ただ、芽が出るタイミングは研究者やテーマによってかなり差がある。「遅咲き」が許されないこの構造は、やはり問題だろう。
— 朝守飛阿弥 (@heero108) 2018年9月16日
実際、自分が大学院に進学した頃には、さすがに「お上」もまずいと思ったのか、若手研究者向けの支援策が拡充されつつあったし、またそれに関する情報も共有されていた。しかしその支援は本来、苦しい研究者生活を強いられてきた先輩方にこそ向けられるべきだった。年齢制限がそれを不可能にしたのだ。
— 朝守飛阿弥 (@heero108) 2018年9月16日
それについては「生活保護じゃないんだよ」で切って捨てられるだろう…(泣)。
その時々に応じて時代的背景,時代的制約があるんだから,きちんと読みとろうね,とか言われちゃうんだ。
WWIIのときの名将軍たちは,そのまま現代に持ってきても困っちゃうだろう。ヴィットマンは現代に連れてきても戦車キラーであり続けるだろうか。ルーデル神はA-10に乗せておけばいいが(撃墜されても生き返ってくるから大丈夫)。
そんなわけで,自分のスキルはいまどのように使えるか,生き延びることができるか…と問われてしまうのだ…。
映画『ドリーム』(原題hidden figures)のいいところは「数学は差別に勝つ」ってとこだ。正しい方程式は人種なんて関係なく正しい。数学の才能のある黒人は人種差別にも勝てる。つまり人間の作った愚かな制度にも科学は打ち勝てるっていうポジティブさがいいのだ。 pic.twitter.com/4RRqp4c0RV
— Simon_Sin (@Simon_Sin) 2017年10月2日
そういう信仰で生きて生きたいのである。
そうして、なにものにもなれずに人生を終えることもあろうけど、人類史上おそらく99%はそうだったろうと思う(と自らを慰める)。
チャレンジしてても、政変で人生行路がゆがんだり…いろいろと外在的な条件もあったり…
年齢をかさねて、”まあ、それも人生のひとつだろう”と多少達観したふうなことも思うようになりました