空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

タクシーの運転手と選挙運動員と彼らの「感情が害された」こと

2019-07-17 23:34:45 | 本・論文・研究メモ
【LGBT問題】の一環だな。



 あーそーいや、安倍首相はちょっとめずらし目の病気にかかったんで、それをネタにして侮辱発言をさんざっぱらしてたように記憶しますな。下品だと思いますが。



 この「タクシー運転手が言った「同性愛者は気持ち悪い」」という追加情報でようやく理解できた。
 ああ、たしかにLGBTに「気持ち悪い」は、素直な感情の表現ではあれ、適切ではない表現だな。それは反美男子・反美女に正直に「ブス」「ブオトコ」「キモイ」というのが適切でないようにだ。個人ではどうしようもない状態に対する侮蔑的発言は、そりゃあ行儀がよくない。

 …けどこれ政治の場面の話なのよね、という問題もある。LGBTの、社会的パートナー契約を超える結婚の要求といった政治的要求に接しているわけでもあり、微妙なラインに近づいていく。

 このスタッフは相当見事に言葉を操る。タクシーの運ちゃんの勝ち目はなさそうだ。つーか、敗北と断じるほかない。

石川大我と虹色としまの会 先日のタクシーでのスタッフへの発言について(本人投稿) 2019-07-16 14:25:39

公示日を迎えてから10日間、毎日、そんな対応をされ、辛い事があっても頑張ろうと覚悟を決めて手伝っていた私も心への疲弊が積み重なってしまいました。

そんな最中、タクシーという個室空間で

「何が同性婚だ!どうせ落選するあんな候補者、気持ち悪い。あんなに喚きたてやがって!」

というような言葉を投げかけられ(多少省略してますが、ドライブレコーダーでで確認済みとのことです)


 ただなあ、ここで「小さな声を 聞き逃さずに」というような規範的な言葉を思い起こしてもいい。
 男女関係、性をめぐる社会契約のわりと根源に近い感じの変革への運動を前にして、おそらくは無教養と評すべきタクシーの運ちゃんの”必死の声”は、当然に私的に処断されねばならないのだろうか。 



 タクシーの領収書の写真込み。まあ、リアリティは増すのだが、さらしもんにしかねないのであり、犯人探しになりかねないんではあり―



 せやからおまいら、嫌われるの、そーゆーとこやぞ、という気はする。

 無教養で、自分の不満を適切に・公的なふうな言葉で表明することのできないそんなおっさん。その表出した見解は、あからさまに差別的ではある。まあ、それゆえに非難はされるべきではあるんだが、彼に必要なのは真に内発的な理解であって、給料の査定にも響くクレームと大政党の立候補者様から要請された会社から強いられる学習会だろうか?

 実際上給料を人質にとられたうえでの学習会参加は、強制された労働の如くに思われはしないか?
 それをする者たちは圧政者の如く思われはしないか?

 たぶん、この辺の軋轢が動因になって、LGBT運動は日本では勝利しきれないのだと最近は感じるようになった。こうした「新しい倫理事項」の暴虐が西欧~米国で論われ始めたことは、こうした問題で後発のうちの国としてはちょっと厳しい情報と思う。

 それになあ、ウチの国の場合、基本的には衆道等々、本来の文化コードの中に入っているからなあ。「それでいいんじゃね?」という庶民感覚はそこそこあろうところであり、輸入概念としてのLGBTは…受容されるかなあ…。
 …従来型のひとたちの生存領域まで、西欧風味のLGBT運動で主体として目覚めたひとたちの過失で左右されかねないかもなあ、とかちょっと思う。つまりまあ、ethical Veganが最近、微妙にやらかし加減で、体調等々の理由でのVeganがちょいと口をさしはさみたくなりました、的な例をみたが、そんなかんじに。




 とまあ、職業上、当然知っているはずなのだ。そのはずなのだ。だが、彼は言わずにはいられなかった―のかもしれない。いずれにせよ、感情が走りすぎての発言であろう。さあ、かれはどれほどの罪人だろうか。

 運動員の感情を害したというなら、運ちゃんも感情を害した結果の発言であろう。運動員のほうは、当人が受けた暴力の証拠をtwitterに写真入であげて、運ちゃんを全世界のLGBTに対する敵に仕立てて集団的な暴力行為の対象になる可能性を示唆した。では暴力の規模で罪を論じるならどうなるだろう。
 では冷静に、まあ無理筋っぽくとも冷静な言葉で言えばよかったのだろうか。

 …でまあ、結局は運ちゃんの無教養、馬鹿であることに問題を縮約したわけだろうが―

 …私は、知識の足りなさを罪だとは、あまりいいたくない。



 これも考慮すべき小さな声の一例ではある。選挙妨害ということで、そっちのルールに反するので、これはこれで制止対象になろうが(どこまで強制するのが妥当かはまた別の問題)。



「小さき者に寄り添え」と召命されるならば、私は言葉なき小さき者に寄り添いたい。その者は、あるいは強者として描写されているものかもしれない(つまりこの場合、ストレートのシス男性と言う具合に)。しかしそれゆえに言葉を発することをおしとどめられるものであれば、いやそもそも無教養であったり、公的な発言の機会を許されていないものであれば、それは言葉なき小さき者というに値しよう。
 そんなわけで私の研究方針はそのようであるので、そのように。

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