空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

「文系の人には(こう)言ってはいけない」などと

2019-06-04 11:12:51 | Weblog
 -言う向きがあったりするが、実務の上では、「非専門家にはそう言ってはいけない」である。



 まあな。

 まあその、理系のヒトこそ「議論は相手の人格攻撃ではないという認識」がない、と思いたくなる程度には嫌な思いはしましたな。ちょっとこう、議論の仕方をプレゼミとかで徹底するか、とか―思いたくもなったものだ。いや普通の理系は普通に話ができるんだが。あの、スカのひとが。

 面白い現象は観察できるが、わりと普通にスカな”理系のヒト”ってのは、”文系wwwの学問wwwって、感想文なんでしょwww感想文www私はこうおもいましたーってのwwwww気楽でいいねーwwwwww”みたいに思うらしいのだが、他方で理性的で理論的な自分たちの優位性を確信し―まあ、ここまではいい―、そのうえで文系領域について死ぬほど個人的かつ無個性的な感想文をくっちゃべって、”理学博士様が理性的な見解を示してあげましたーwww馬鹿な文系博士は拝聴して受け入れるがいいぞwwwwww”とかやらかすのだ…。

 感想文なんぞ無価値、というなら、この感想文も無価値なのでは、というセルフチェックが利かないらしいのだ。

 我々は個々の領域の専門家としており、しかし他の領域に対しては公衆の位置にいるので、ここの技術者倫理の基礎を忘れてはならぬということである。おい理系、技術者倫理は受けただろうな、おい、とか思うが、ああー…古い世代は受けてないかもなー…。



 ちゃうちゃう。
 別分野のひとに話すときには・事情に通じていないひとに話すときには、ということ。

 別の事例を参照すればすぐわかる。
「いますぐ反日国家・韓国と国交を断絶すべきだ」だの、そりゃ理論的には可能だろうよ。理論的には出来るんだとかにこやかに言ってくる向きもあるわけなのだ。
 しかし現実的にダメだろ、と工学のひとに説明したことがある。

 なお理学部のひとに、工学部差別の感覚があるらしいので―”あいつらは雑だ”という。物事のスケールが大雑把で、世界の精妙な理屈を理解しもしない愚物ということらしいが、それは扱う領域・問題の違いによるだーよ、とは―

 別の例、理学博士の例。
 ほかにもあれこれこまごまと例があるが、「日本は今からでも空母を作れる!」と昔正規空母を作った経験から類推的にいけるはずだと主張する理学博士に辟易した例の場合は明らかに、造船の専門でも軍事の専門でもない理学博士が「理論的には可能」と―そりゃ超勉強すれば建造まではいけるかもしれんが―主張しており、むしろ文系の私が「現実的には無理」と―どう運用するんだ、という―思うという流れ。

 知性と理性の問題ですよ、基本的に。
 アレなひとは、文系理系とわずアレです。

 あるいは、論文(などのアウトプット)を書くかどうかで区別してもいい。わりといい確率で、この切り方は機能すると思う。
 リスク管理ができなくなるっぽいよ、書かないでいると。





 これも左翼か右翼かに関わらない。

 …うん、しかしまあ…bot化するとは…まあ上手い表現だ。ともかく、都合の悪いことは聞こえないことにして、都合のいいことだけ採用しようとするなあ。

 …例の、学生運動を標榜した「シールズ」も「知らない」の一言で済ましたからなあ、私に面倒をかけてきた老害…。あれほどメディアに露出していたのに知らないということはありえるだろうか、政治について延々くっちゃべるひとが…若者の気持ちを理解しないとダメだよと説教かましてくる教育者様が…とは思ったが、スルーしてあげた記憶がある。
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