●前代未聞!贈賄で起訴された町長は居座り
相川俊英の地方自治“腰砕け”通信記【第2回】 2010年5月13日/ ダイヤモンド・オンライン
擁護のビラがばら撒かれる福岡県添田町の「見識」
1234 「このような行為は添田町にとって不名誉なことであり、行政運営の多大な遅滞と混乱をまねくことは明白であり、我々としては、断じて許すわけにはいかない」
福岡県添田町で、こんな激烈な内容のチラシが全戸に配布された。現職町長が今年2月に贈賄で逮捕、その後、起訴されながらも辞職せずにいる町である。刑事被告人が町長ポストに居座り続けるのは、極めて異例のこと。政治家の出処進退として首をかしげざるを得ない。チラシはこうした町長の行為を批判するものと思いきや、正反対であった。
山本町長の後援会長は 何も悪いことはしていないと胸を張る
4月21日から町内で始められた町長リコールの署名活動に対し、異を唱えるものだった。「このような行為」とはリコールの署名活動を指し、「大きな汚点を残すことになる」とまで批判している。チラシの差出人として「ほんとうの添田町を考える会」と「山本後援会」の2つの団体名が書かれていた。しかし、代表者名や連絡先の記載は一切、ない。
同様のチラシが、その後も添田町民宅に送りつけられた。町長へのリコール運動を「町民同士の対立が激化し、遺恨が残るだけで、何一つ良いことはない」とし、批判をエスカレートさせていた。そして、「署名簿は町に選挙権のある方ならば、誰でも見ることができます」と、ことわりを入れていた。
一般町民を不安がらせ、署名を躊躇させる意図がうかがえた。「向こうがリコール運動を始めましたが、リコール制度をよく知らない町民も多いと思い、リコールとはこういうものですよと、町民に知らせることにしました」。こう語るのは、チラシを配布した「山本後援会」会長。何も悪いことはしていないと胸を張る。
そして、「町長は町のカネを使ったわけではなく、町に迷惑はかかっていない。大きな罪ではないので、これからも町長として頑張ってもらいたい」と、持論を展開する。贈賄事件は私利私欲ではなく、町のためにやったもので、むしろ、しっかりと町長を支えるべきだというのである。どうやら、目的が正しければ、法律違反などは大したことではないとのお考えのようだった。果たしてそうだろうか。
添田町の山本文男町長が贈賄容疑で逮捕されたのは、今年の2月2日のこと。賄賂の送り先は福岡県の中島孝之副知事。後期高齢者医療広域連合の設立に際し、県町村会に便宜を図ってもらった謝礼として、現金100万円を副知事室で渡した疑いだ。広域連合の分担金割合を町村側に有利に取り計らってもらった見返りだ。山本町長は県町村会長を長年、務め、県庁生え抜きの中島副知事とも昵懇の仲だった。
汚職事件の端緒は、県町村会事務局からの内部告発だった。内容は、事務用品の架空発注などを繰り返して裏金を作り、県幹部などへの官官接待の資金に充てているというものだった。昨年末に裏金作りを担当した事務局職員らが詐欺で逮捕され、不正な公金支出による官官接待の実態が明らかにされた。この時点で接待された側の中島副知事は道義的責任をとり、辞任した。全国知事会の会長を務める麻生渡・福岡県知事の腹心で、実力者だった。
県町村会を舞台にした不正な公金支出の捜査の過程で、贈収賄事件が発覚した。収賄側の副知事と贈賄側の町村会長(山本文男・添田町長)らが逮捕され、福岡県は大騒ぎとなった。主犯の2名とも知事に近い人物で、県政に絶大な影響力を持っていたからだ。
山本町長は保釈後の3月1日、町議会の全員協議会で「町自体に悪いことをした覚えはない」などと弁明した。また、「(副知事に渡した)祝い金が多すぎた」と開き直り、自らの進退については「民意に従う」と言葉を濁した。その直後に開かれた記者会見では「事件の被害者は私だ」とまで語り、公金を不正に使い、政策を大きく歪めたことへの反省は皆目うかがえなかった。
こうした非常識な言動を支えたのが、町民や町議の一部が逮捕直後から取り組んだ山本町長の続投を求める署名活動だ。山本後援会が中心に進めたものだが、「5700人から5800人分の署名が集まった」(後援会長の話)という。町長はこれこそが民意とばかりに、批判の声に耳を塞ぎ、居座りを続けているのである。
議会で不信任案は不成立 町民がリコールに立ち上る
言うまでもないことだが、目的が正しければ法律違反も許されるという理屈は、法治国家では通用しない。賄賂を認めながら辞職せずというのは許されないとの声が町議の中からも上がり、町長への不信任案が提出された。臨時会が3月4日に開催され、採決となった。議員定数は13人。不信任案に賛成したのは岩本泰三郎議員、久保田実生議員、白石英雄議員、竹田善浩議員、田中正議員、松本雄二議員、浦野信義議員の7名にとどまり、成立に必要な4分の3に達せず不発に終わった。つまり、6人(井上孝行議員、上田定議員、緒方裕子議員、白石富雄議員、高瀬知恵子議員、畠田勝廣議員)が、町長の続投を容認したのである。
こうした結果を受け、事態を憂慮した町民たちがリコール運動に立ちあがったのである。不信任案に賛成した7人の町議も加わり、「山本町長をリコールする会」(矢野一義代表・以下リコールする会)が結成された。署名集めは4月21日からスタートし、5月20日までの1ヵ月間に有権者(約1万人)の3分の1署名がそろえば、本請求が成立。住民投票となり、過半数の賛成で町長の失職が決定する。冒頭に紹介したチラシが町内にばら撒かれたのは、リコール運動が開始される、まさにその前後の出来事だった。
「今のところ直接的な脅しはありませんが、住民を不安がらせるようないろんなデマが流されています」。リコールする会の矢野一義代表は、厳しい表情でこう語る。町民から事務所にいろんな問い合わせ電話が入るという。例えば、リコールが成立したら、町営バスがなくなってしまうと聞いたとか、町営住宅の家賃が倍に引き上げられる、なかには生活保護が打ち切られると聞いたというものまで。また、署名簿が役所の前に張り出されるのかといった不安の声などなど。
町民の中に山本町長を崇拝し、かつ、畏怖するようなムードがあるという。それだけにリコール運動へのブレッシャーは生半可なものではない。リコールする会の副代表のひとり、松本雄二町議は「誰も町長に逆らえない状況が続いてきた。すべてが町長のおかげだという“山本神話”なるものまで広がっていた。40年間という長さは人間を腐らせてしまう」と、解説する。
町制100年の記念の年 再生に向けた町民の正念場
山本文男町長は84歳。もともと地元の炭鉱会社の労働組合委員長で、町議を経て町長に当選。以来、10期39年余に渡って町政のトップに君臨している。
人口約1万1000人の小さな町の町長ながら、全国の自治体関係者で彼の名を知らぬ者はいない。1999年に全国町村会会長に就任し、連続して6期務めているからだ。地方の代表、なかでも過疎地や小規模自治体の代表として、政府の様々な委員を兼務。国にズバズバもの申す存在であった。県のみならず、国とも強力なパイプをもつ豪腕町長として知られていた(3月8日に県町村会長は辞任。自動的に全国町村会長も辞任となった)。
地方の代表として国と対峙してきた山本町長は、地元添田町で長期政権を樹立し、他を寄せ付けぬ存在となっていた。10回に及ぶ町長選のうち、6回は無投票。
しかも、最近は3期連続の無投票である。役場内はもちろんのこと、議会内にも睨みを利かせ、議員に有無を言わせなかった。目障りな議員を蹴落とすために町議選で競合する人間を擁立し、つぶしていったという。こうして町内全域に盤石な体制を作り上げ、長期政権を実現させていったのである。
添田町は来年2011年が町制100年の記念の年。1月に町長選が予定されていて、山本町長は11回目の出馬を目論んでいたという。そうした中での逮捕・起訴である。町長の威圧に屈し、長年、沈黙を強いられてきた町議の一部と町民が勇気を振り絞って立ちあがったのが、今回のリコール運動といえる。はたして町制100年を、町の再生とともに迎えることができるのか、添田町民の正念場といえる。
ところで、改革の1丁目1番地に「地域主権」を掲げる民主党政権だが、実態は誠にお寒いものと言わざるを得ない。その実例が添田町の山本町長への評価である。地域主権や地方自治の旗手ではなく、地域ボスの典型といえる彼を総務省顧問に選任していたのである。
さすがにまずいと思ったのか、事件後の3月15日に縁切りとなったが、腰が砕けるような話ではないか。地方自治の実情をどのように捉えているのか。政治主導を掲げる民主党政権の見識が疑われる話ではないか。 |