その日は、ホテルのそばの繁華街をぶらつくだけで終わった。日中の陽射しはかなり強い。日なたにいると、たちまち肌が灼けつくようになる。それでも、白人の老夫婦などが道を歩いて感心した。また、上半身はだかになって歩いている白人のバックパッカー達も見かけた。連中はなかなか潔い。しかし、陽焼けして真っ赤になっているので、あとが大変だろう。それまでも、イタリアに入ってから暑かったが、日陰に入ればすっと汗が引くように涼しかったし、風が吹けば心地よかった。しかしその日の午後は、風そのものがひどく熱かった。この熱風は、シロッコと呼ばれる季節風である。アフリカの沙漠地帯で熱せられ膨張した空気が地中海を渡り、シチリアや南部イタリアに吹き寄せる。乾燥していることはまれで、地中海を渡るうちにかなり湿気を帯びていることが多い。一旦吹き出すと数日は吹き続けるという。ぼくらはみんな、このシロッコによる日中の暑さには参っていたようだ。したがって、今日は完全休養日。毎日旅しているとこんな日もある。特に猛烈に暑いこんな日中はそうだ。
シチリアの町並みに、フェデリコ・フェリーニの映画「道」で描かれたような貧困をイメージしていたが、実際に歩いてみると全くちがった。裕福で近代的だった。むろん、ローマに「自転車泥棒」のような父子もいなかったのも確かだが。とはいえ、この南イタリアの貧困イメージのおかげで、シチリアには買い物の観光客がまだ余り押し寄せてこない。日本が地球のどこにあるのか正確に答えられるイタリア人は少ないにもかかわらず、街を歩いていると日本人であるがため珍しがられる。これに対し、ローマの目抜き通りなんて銀座さながら、可愛くない日本のOL達がうじゃうじゃ歩いていて、ほとんど悪夢のようだった。シチリアの方がずっとましである。
夕方になり、暑さがひと段落すると、どこかレストランへ食事に行こうということになった。その時、アヤカが朝のジプシー風の男の件を切り出した。タカオカとニシザキは、フロントからその男に電話してみるようにアヤカに勧める。ぼくらは外出がてら、アヤカにくっついて1階のフロントまで降りて行った。
フロントのまじめそうな中年の男が、アヤカが持っていたメモの電話番号に電話してくれる。呼び出し音が数回で向こうは出たらしく、イタリア語で話し出す。フロントの男は、向こうの男の言葉を英語に通訳してくれる。英語があまり得意ではないアヤカのため、ヨーコがその英語を日本語に通訳する。男の話は<この場にいる日本人みんなで夕飯食いに来い。><1時間後、ホテルまで迎えに行くから待っていろ>とのことらしい。
タカオカとニシザキは、この誘いにどうやら乗り気のよう。ぼくは、どうしようか迷っていた。外国の地で見知らぬ男の招待なんて危なすぎる。それこそタカオカが列車の中で言っていたダルマにされてしまうんじゃないか。ぼくは、この5人の中では一番しっかりとしているように見えるヨーコの様子をうかがった。ヨーコもどうしようか迷っているようで、ぼくと目が合うと<どうする?>って目で聞いてくる。結局、ぼくらは、<赤信号大勢で渡れば恐くない>のとおり、男3人いればそう無茶なことはされないだろうとのタカオカの意見に押され、男が迎えに来るのを待つことにした。
小一時間してから、フロントのそばにある小さなスペース(と言っても普通の家の玄関先に毛が生えたくらいのロビーではあるが)で地図などを見ながら時間をつぶしていると、朝と同じ服装でヤルダワルダはやってきた。快活にフロントの男と挨拶すると、初見のタカオカとニシザキと握手を交わした。とにかく、彼の名前が言いづらい。彼は自分をヤルダと呼んでくれと言った。