tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

小説 デジャ・ヴ(グロ注意)

2006-12-14 20:43:22 | エッチ: よい子は立ち入り禁止
7.吹き寄せるシロッコ -熱風の中で-
その日は、ホテルのそばの繁華街をぶらつくだけで終わった。日中の陽射しはかなり強い。日なたにいると、たちまち肌が灼けつくようになる。それでも、白人の老夫婦などが道を歩いて感心した。また、上半身はだかになって歩いている白人のバックパッカー達も見かけた。連中はなかなか潔い。しかし、陽焼けして真っ赤になっているので、あとが大変だろう。それまでも、イタリアに入ってから暑かったが、日陰に入ればすっと汗が引くように涼しかったし、風が吹けば心地よかった。しかしその日の午後は、風そのものがひどく熱かった。この熱風は、シロッコと呼ばれる季節風である。アフリカの沙漠地帯で熱せられ膨張した空気が地中海を渡り、シチリアや南部イタリアに吹き寄せる。乾燥していることはまれで、地中海を渡るうちにかなり湿気を帯びていることが多い。一旦吹き出すと数日は吹き続けるという。ぼくらはみんな、このシロッコによる日中の暑さには参っていたようだ。したがって、今日は完全休養日。毎日旅しているとこんな日もある。特に猛烈に暑いこんな日中はそうだ。
シチリアの町並みに、フェデリコ・フェリーニの映画「道」で描かれたような貧困をイメージしていたが、実際に歩いてみると全くちがった。裕福で近代的だった。むろん、ローマに「自転車泥棒」のような父子もいなかったのも確かだが。とはいえ、この南イタリアの貧困イメージのおかげで、シチリアには買い物の観光客がまだ余り押し寄せてこない。日本が地球のどこにあるのか正確に答えられるイタリア人は少ないにもかかわらず、街を歩いていると日本人であるがため珍しがられる。これに対し、ローマの目抜き通りなんて銀座さながら、可愛くない日本のOL達がうじゃうじゃ歩いていて、ほとんど悪夢のようだった。シチリアの方がずっとましである。
夕方になり、暑さがひと段落すると、どこかレストランへ食事に行こうということになった。その時、アヤカが朝のジプシー風の男の件を切り出した。タカオカとニシザキは、フロントからその男に電話してみるようにアヤカに勧める。ぼくらは外出がてら、アヤカにくっついて1階のフロントまで降りて行った。
フロントのまじめそうな中年の男が、アヤカが持っていたメモの電話番号に電話してくれる。呼び出し音が数回で向こうは出たらしく、イタリア語で話し出す。フロントの男は、向こうの男の言葉を英語に通訳してくれる。英語があまり得意ではないアヤカのため、ヨーコがその英語を日本語に通訳する。男の話は<この場にいる日本人みんなで夕飯食いに来い。><1時間後、ホテルまで迎えに行くから待っていろ>とのことらしい。
タカオカとニシザキは、この誘いにどうやら乗り気のよう。ぼくは、どうしようか迷っていた。外国の地で見知らぬ男の招待なんて危なすぎる。それこそタカオカが列車の中で言っていたダルマにされてしまうんじゃないか。ぼくは、この5人の中では一番しっかりとしているように見えるヨーコの様子をうかがった。ヨーコもどうしようか迷っているようで、ぼくと目が合うと<どうする?>って目で聞いてくる。結局、ぼくらは、<赤信号大勢で渡れば恐くない>のとおり、男3人いればそう無茶なことはされないだろうとのタカオカの意見に押され、男が迎えに来るのを待つことにした。
小一時間してから、フロントのそばにある小さなスペース(と言っても普通の家の玄関先に毛が生えたくらいのロビーではあるが)で地図などを見ながら時間をつぶしていると、朝と同じ服装でヤルダワルダはやってきた。快活にフロントの男と挨拶すると、初見のタカオカとニシザキと握手を交わした。とにかく、彼の名前が言いづらい。彼は自分をヤルダと呼んでくれと言った。

小説 デジャ・ヴ(グロ注意)

2006-12-12 20:18:32 | エッチ: よい子は立ち入り禁止
6.ジプシー
メッシーナ海峡には断層があり、そのためこの町は度々地震に襲われている。建物はそのせいか幾分新しく見えるが、やはり港町。日が高くなるとともに活気があふれてくる。市内の繁華街を目指して歩いているとカイローリ広場にぶつかり、そのそばで比較的駅に近いところに2つ星のホテルが数件見つかった。その中の1軒は、入り口の横に見えたレストランの窓に明かりがついていた。きっと、朝食の用意をしているのだろう。夏の休暇シーズンなので結構にぎわっているようである。入り口を入ってコーヒーの香りの漂うフロントでたずねると、幸運なことに2部屋の空きがあるとのこと。一つはツインの部屋であるが、エキストラベッドを追加して、3人泊まれるようにしてくれるらしい。また、もう一つのダブルの部屋はすぐにでも使えるようだ。その部屋にアーリーチェックインをして、ぼくたちは荷物を預けた。チェックインの際に、パスポートの預け入れを求められたが、ぼくのは銀行でトラベラーズチェックを両替する際に必要なので、その後で預けることで話がついた。部屋は角部屋で、ホテルとしてのランクが低いわりにとても広く、建物の古さもマッチして雰囲気が良い。窓からは、路面電車がみえた。ダブルベッドに体を投げ出したタカオカとニシザキを尻目に、ぼくはアヤカとヨーコを呼びに駅に戻った。
地中海の陽光があふれだした街中を引き返し、駅に着くと中年のジプシーを思わせる男がアヤカとヨーコに話しかけていた。見たところ男は40代と思われる。かなり、なれなれしくアヤカに話しかけている。近づくと、グレーの縦のストライプの入ったボタンダウンのシャツに茶色のスラックス姿のその男は、ぼくにも愛想を振りまいた。シャツを捲り上げた腕に漢字のワンポイントの刺青が見える。恐らく坊主って書いてあるのだろうが、漢字が反転しているので良く見ないと判らない。禿げ上がった広い額に、緑色の目が印象的である。シェイクスピアの「オセロ」では、イアーゴゥが「嫉妬は緑色の目をした怪物~」と言い放っている。この時から緑色は「嫉妬」を表す色になったと言われる。ぼくはヨーコが笑顔で話をしていたこの男に、敵愾心に根ざしたジェラシーを感じていたのかもしれない。ヨーコの話を聞くと、彼女達が駅で待っている間、駅の構内をうろついていた数匹の野良犬に持っていたビスケットをあげたところ、犬にまとわりつかれてしまったらしい。そこにこの男が来て、犬を追い払ってくれたとのこと。そういえば、ぼくが駅に戻ってくる途中、シェトランド・シープ・ドッグの雑種など大型の犬が数匹群れを成してゴミ箱をあさっているのを見た。やせ衰えて、一目で野良犬とわかる。きっと、以前は人に飼われていたのだろう。すごく人懐こく、すれ違う時はしっぽを振ってずっとこっちを見つめている。シチリアにはこうした野良犬が沢山いる。
「このおじさん、夕食を招待してくれるって」
アヤカがぼくに言う。ぼくが男を見ると、握手を求めて手を差し出してくる。ヤルダワルダ・メベルナッチと名乗るその男と握手して、二言・三言英語で話しかけるが、ほとんど向こうの英語が聞き取れない。ひどいドイツなまりがあるようだ。アヤカがたどたどしいイタリア語に通訳して男に伝えてくれる。どうやら彼は、一緒に夕食をどうぞと言っているらしい。男から電話番号のメモを受け取ったアヤカを横目に見ながら、ぼくは二人の大きな荷物を手に取ると、その男を無視してホテルに向かって今来た道を歩き出していた。

小説 デジャ・ヴ(グロ注意)

2006-12-10 16:59:54 | エッチ: よい子は立ち入り禁止

5.陽光のメッシーナ
列車は空が白みかけた早朝のメッシーナ中央駅(Messina Centrale)についた。島へ渡るため途中フェリーに列車を積み込んだり、原因不明の停止時間があったりと予定より1時間以上遅れての到着だ。メッシーナには、メッシーナ中央駅の他に、メッシーナ・マリッティマ駅が手前にある。全ての電車はマリッティマ駅の後に中央駅を通るが、メッシーナで降りると言っていた隣のコンパートメントの客が手前の駅で降りたので不安になっていると、列車のなかで知り合ったイタリア人が、メッシーナ中央駅はもうすぐと教えてくれた。彼はまた、イタリア南部は治安が悪く、街を歩く時はスリだけでなく強盗もいるので注意すること、メインストリートから外れた路地では肩にかけたバッグをバイクに乗ったやつらがひったくって行くから、バッグはタスキがけにしなさいなどのアドバイスもくれた。
列車を降りるとそこはシチリア。東の空があかね色に染まりつつある。まだ早朝というのに熱風が吹き寄せ蒸し暑い。シチリア島でパレルモに続いて大きい都市のメッシーナ。駅の構内は結構人が多いが、駅のインフォマシオンはまだ閉まっている。ぼくらは女性2人を駅に置いて、ホテルを探すため、駅を出て大きな通りを歩いて行った。市内の道は、あちこちが一方通行のようだ。道の片側にイタリア車やドイツ車がずらっと駐車してある。ヨーロッパの旅行は、毎日ホテル探しの繰り返し。新しい土地に来ると、まずは駅のインフォメーションで安いホテルを探して落ち着く。ホテル探しの合間に、その辺の有名な観光地を回る。ぼくらは、いわゆる観光スポットハンターだった。一箇所に長く留まることはあまりしない。ホテルからホテルへ、列車から列車へ。毎日がこれの繰り返し。

 


小説 デジャ・ヴ(グロ注意)

2006-12-07 21:13:06 | エッチ: よい子は立ち入り禁止

4.うなされて・・・
ぼくはホテルの部屋のライティングデスクで、手紙を書いていた。背後でポタッという音がしてふり返ると、おかしなものは特に見当たらない。顔を元に戻したぼくは、背後にあるベッドのベージュ色の毛布の上に、何か黒っぽいものがあったのを見たような気がした。もう一度、ふり返ってよく見るとそこには確かに3cmぐらいの黒い虫がいる。近づいて良く見ると、それは蠍(さそり)だった。天井を見上げると、その真上に天井からぶら下がる電灯がある。天井裏にいたさそりが,電灯のケーブルの穴を伝わって落ちて来たのかもしれない。蠍は茶色の樹脂のような体をくねらせて動いている。
昔見た映画「汚れなき悪戯?(1955)  MARCELINO PAN Y VINO」で、マルセリ-ノ少年が蠍に刺され幾晩かうなされるというシーンが頭に浮かんだ。その瞬間に、ぼくは机の上に置いてあった聖書を持ち上げると上からなんどか蠍に叩きつけた。蠍はそのままの形でベッドの上で動かなくなった。全然動かないので、死んだように思える。毛布を引っ張って持ち上げて、神に感謝しながら聖書の上に蠍をそっと乗せると、開いていた部屋の窓からその蠍の死体を捨てた。神は罪を問わない。だから許しも必要ない・・・事を祈りながら・・・。
ベッドの上では、毛布にくるまって女が寝ていた。ぼくはその安らかな寝顔をしばらく眺めてから、毛布を持ち上げる。女は全裸だった。毛布の下から形の良い乳房が現れる。さらに、毛布をめくり上げると、女のへそのあたりで何かがうごめいている。そこには数匹の蠍がいた。その時だった。突然、女は第2肢のない両手でぼくにしがみついてきた。ぼくは驚いて、その手を振り払おうとした。女は体を起こし掴みかかってくる。ぼくは逃げようとしたが、足がもつれて動かない。
「やめろー・・・・」
深夜、イタリア半島をローマからメッシーナへ縦断するインテルシティのコンパートメントの座席で寝ていたぼくは、夢にうなされていたらしい。
「大丈夫?うなされていたわよ」
まわりに気を使って小声でそうささやくと、ぼくと真向かい合わせの席に座ったヨーコが心配そうにぼくの顔を覗き込んだ。列車はまだ暗い荒涼としたイタリア半島南部の海沿いの線路の上だ。時計を見ると午前4時。列車の窓のブラインドの隙間から真っ暗な空に三日月が輝いているのが見える。メッシーナ駅に到着するまでまだ1時間以上かかる。
「恐い夢を見ちゃった・・・。」
ぼくは、やれやれと軽く頭を振り、ミネラルウォーターを一口飲んだ。彼女は姉御みたいなところがあって、彼女がそばに居るだけで心が安らぐ感じがする。昨夜、なかなか寝付かれずに、一人コンパートメントを出て、列車の窓の外を見ながら通路でタバコを吸っていると、横に彼女が来た。彼女も寝付かれず気晴らしに来たらしい。ぼくがタバコを差し出すと、一本抜き取り口にくわえた。ぼくは、100円ライターでタバコに火をつけてあげる。
「ねえ、前にどこかで会っていない?」
ぼくが使っていた携帯用の灰皿にタバコの灰を落としながら、ヨーコはそう聞いてきた。四国生まれの彼女は、関西の大学を出て関西に就職し、会社を辞めて去年ロンドンに来たらしい。したがって、栃木で生まれ関東しか知らないぼくとは、接点はどこにもないはずである。しかし、ぼくも彼女とどこかで会ったことがあるような気がしていた。
「ひょっとして、前世では兄弟だったりして・・・」
いたずらっぽく笑う彼女に、こんな素敵な姉貴がいたら人生、最高に幸せだろうと思ってしまう。男ばかりの2人兄弟で育ったぼくにとって、2歳年上の23歳の女性というのはキラキラ輝く大切な宝物のように思えるのだ。

いまどきジークムント・フロイトなんて非科学的なので信じる人はいないであろう。しかし、その著書によれば「夢」は無意識に発する願望を充足させる機能を持っていて、それが「夢作業」によって加工され、検閲され、そして最終的に隠喩的なイメージとなるとしている。つまり、ぼくは青春期のギラギラ、ドロドロの性的な欲望がデフォルメされた夢を見たことになる。または、夢に出てきた蠍はぼくが幼児期に親から受けた圧力に起因する潜在的な不安の象徴か。いや,そうは思わない。それよりも、このときの悪夢は、昨夜列車の中でタカオカから聞いたダルマの話がイメージとして合成され潜在意識となり、夢となって現れたと考えるほうが合点がいく。ぼくは、人一倍恐がりのほうだ。スプラッタ映画など、画面に血が飛び出るような映画は苦手である。だから、ぼくは間違っても恐いものを見たいと望むことありえない。・・・などと考えていたらまた眠ってしまった。

 


小説 デジャ・ヴ(グロ注意)

2006-12-06 20:20:17 | エッチ: よい子は立ち入り禁止

3.エディーコラ
コンパートメントに5人分の席を確保すると、駅のエディーコラ(日本でいう駅のキオスクのようなもの)に飲み物を調達しに行く。当然、一番年下のぼくが買いにやらされる。750ml入りのペットボトルでサンペレグリノ(炭酸入りのナチュラルミネラルウォーター)が売られている。ぼくの前にレジに並んだ北欧から来たと思われる若い娘達が、ジュースを買っている。しかし、店員がとり出した缶ジュースは彼女達が欲しかったものではないらしい。店員と片言のイタリア語でその缶ジュースを前にしてやりとりをしていた。発車の時間がとうに過ぎていたので、いつ列車が発車するかわからない。だから、こっちも気が気ではない。女の子達は、結局、数分粘っていたもののジュースを買わずに列から離れていった。彼女達の、たかがジュースにしっかりと自己主張する点に感心しながら、750mlのミネラルウォーター2本と、それから、彼女達が購入を拒否した缶入りのオレンジジュースを5缶購入する。1990年代後半のイタリアでは、通貨がユーロに統一される前でまだリラが通貨であったが、リラは比較的弱い通貨で、国内のインフレのため100万リラ札などものすごい額の紙幣があった。トラベラーズチェックで約1万円のドルを両替すると、180万リラくらいある。そして、ひどく分厚い札束になる。しかも、当時のイタリアには同じ金額であっても、何種類も紙幣あるので非常に判りづらい。
両替を兼ねてジュース代金を100万リラ札で支払うと、エディーコラの制服を着た店員は札を光に透かして見たりして、偽札かどうか確かめた挙句、恐らく両替だと思うがお金を持ってどっかに行ってしまった。店員が帰ってくるのを待っていたが、なかなかやってこない。そのうち、シチリア行きの列車が動き出してしまった。
「つりを返せ。(Give the change back to me!)」
叫んだが、もうどうしようもないことが分かっていた。ぼくは、ミネラルウォーターとオレンジジュースを抱えると、つり銭を諦めて、走り去る列車に追いつくと、飛び乗った。うまく列車のデッキにしがみつくと、周りで何事かと見ていた通行人から賞賛の歓声があがる。
ヨーロッパの電車は、発車のベルなんて鳴らさない。おもむろにゆっくり走り出す。良く映画でプラットホームを走って列車に飛び乗るのを見かけるが、列車の出だしはかなりスピードが低いので、これが可能だ。
自分のコンパートメントへ戻ると、買ってきたジュースとミネラルウォーターを配りながら、エディーコラでの出来事をみんなに話した。タカオカは、アホちゃうかという目でこちらを見てくる。他のみんなは慰めてくれたが、当然のことながら誰も損失を補填するとは言わない。これが旅行者のルールなのだ。他人の不幸は共有しない。
さて、同乗した2人組の男たち、タカオカとニシザキは、大学の同級生だったらしい。日本を発ってまだ1週間。パリに到着した彼等はスイスに渡り、イタリアへ南下してきた。年齢は聞いていないが、恐らくぼくより4つか5つ、年上であろう。二人とも関西弁でしゃべっている。1年ぐらいの予定でヨーロッパのあちこちを回るとのこと。きっと、会社を辞めて旅しているのだろう。あるいはもともとフリーターか。ぼくらは、個人的なことで余計なことは聞かないし、また自らも話をしない。タカオカは赤いチェックのコットンシャツ、もう一人はジーンズのシャツのいでたちで、二人とも大きなバックパックにアルミのコップをぶら下げている。
アヤカは会社を辞めて旅行に出てきたと言う。コロのついた大きなスーツケースとクレッセント型のショルダーバッグ。当時、流行った大きな輪のピアス、ちょっと余計なものいろいろ付いてるよね、の服、田舎ヤクザチックなサングラス、多少カッコ悪い、かつらと見間違うようなワンレングスの髪、などなど。年の頃は30前後だが、自己主張がかなり強そうに見える。正体不明のおばさんだ。一方、ヨーコは現在、イギリスに留学中で、夏休とのこと。ナイロンのボストンバッグ一つの身軽さで、愛くるしい顔と後ろで結んだ髪がよくマッチしている。二人は、2日前にドイツで合流し、イタリアへ流れてきたらしい。二人とも、日本で見たらどちらかと言えば美女の部類に入るだろう。ただし、西洋人の堀の深い顔立ちを毎日見ていると、東洋人の持つのっぺりとした顔立ちがとても奇異に感じられて、日本で見た時ほどは、ここでは美しくは見えない。
話はそれるが、ヨーロッパを旅すれば日本人の顔立ちを忘れるのだけれども、日本人旅行者と韓国人や中国人など、日本人以外の旅行者との外観の違いは言葉を聞かなくてもどことなくわかる。これは日本人の顔立ちを忘れることと矛盾するし、なぜ識別できるのか不思議だ。恐らく、服装や独特の雰囲気などから判断しているのだろう。ただし、ぼくに関しては、成田空港で搭乗を待っている韓国のおばちゃんに韓国語で話しかけられることが多いから何も言えない。きっと、ぼくは日本人離れして見えるに違いない。そして、どちらかと言うと韓国人に似た顔つきなのか・・・。