”中でもひときわ目立つのは「げいしゃ」で、伝説的な用途の幅広の帽子(鳥追いの編笠)に半ば
顔を隠した、豪華な絹の上衣姿の実に優美な「げいしゃ」もいます。
けれども、踊るのは「げいしゃ」だけではありません。町の人口の半分が、老いぼれ爺さんも、老いぼれ婆さんも、幼いこどもも踊り、誰もが打ち興じ、死者を賛えるのです。・・・・・
一九一四年九月三日 徳島にて
我が親愛なる友、ベント・カルケージャ様 ”
ヴェンセスラウ・デ・モラエス(Wenceslau José de Sousa de Moraes)。
1854年にポルトガルの首都リスボン生まれ。1899年に日本に初めてポルトガル領事館が開設されると在神戸副領事として赴任。のちに総領事。
神戸時代に芸者福本ヨネと出会い、同棲。モラエス46歳、ヨネ25歳。1912年に病気がちだったヨネが死没すると、職を辞し、ヨネの故郷である徳島市に移住。ヨネの姪である斎藤コハルと暮らす。「西洋乞食」とさげすまされながら、1929年、徳島市で孤独の内に他界。
モラエスは、愛に生きた文学者だ。日本土着の文化の中に自らを埋没させようとした一人のポルトガル人だった。彼は愛した女性たちが亡くなった後に、「ただ愛されなかったことだけが心残りであった」と述べている。絶望的なほどの孤独に悩む異邦人。
情に厚い世話好きの陽気な阿波娘だから、彼の熱情も理解できるような気がする。
ご訪問&最後まで読んでくださりありがとうございます。
お帰りの際、ひとつクリックお願いします。
お手数かけてすいません。
↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村