キラキラしたスパンコールに身を包んだ女性。タバコを足でもみ消すと、スポットライトが眩しい舞台中央へ進んでゆく。'50年代のマリリン・モンローを著しく劣化させたような顔とメーク。彼女は、ドラァグ・クイーン、つまり女装のゲイだ。ピアノの音が流れ、かすかに息遣いの音が聞こえ、あの名曲が流れ出す。”自由を求めた、思うままに生きた、その代償は大きかったの。パラダイスには行ったけど、幸せにはなれなかったの・・・”とシャーリーンの切ない歌そのままに、ゲイの想いが映し出されるオープニング。不覚にも、ぼくはここで涙した。なんと、映画で涙した最短時間だった。と言っても、けっしてゲイに共感したわけではない。
この冒頭のシャーリーンの曲「愛はかげろうのように(I've never been to me)」。映画「JAWS」のロバート・ショーのキャラからインスピレーションを得て、最初は男の視点で歌詞が書かれたという。英語の字幕を選択していたので、DVDの画面には歌詞が英語で出てくる。なんども聞いたことのある曲ではあるが、この曲の歌詞の内容を知ったのは、これがはじめてだった。なんて感動的な歌なのだろう。のっけからこんな話をすると映画の主題からそれてしまうので、この曲の話は別の機会に・・・。
誇り高い性転換者バーナデット(テレンス・スタンプ)、バイセクシュアルのミッチ(ヒューゴー・ウィーヴィング)、若く世間知らずなフェリシア(ガイ・ピアース)の3人のゲイ達は、オーストラリア中部の砂漠の真ん中にあるリゾート地でショウを行うため、大都会シドニーからプリシラ号と名付けたバスに乗り3000kmの旅に出る。興行先のホテルではミッチの別れた妻が待っている。元妻は彼がバイセクシュアルである事は知らない。もちろん、田舎に行けば行くほどゲイに対する風当たりは強くなる。そんなバスの中では、新しい振り付けの曲としてGloria Gaynorの「I will survive」が流れる。映画では、場面を補間するためにヒットナンバーが使われることが多い。もし、映画監督を一度だけやらせてもらえるのなら、ぼくの映画作りは曲探しから始めるだろう。この映画でも、まるで曲のために場面が用意されたかと思うぐらい、ぴったり場面にマッチした曲がセレクトされている。ちなみに、「I will survive」を使った映画では、「コヨーテ・アグリー」や「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」が思い出される。曲が場面に対して効果的で、そのシーンが強く印象に残っている。
さて、3人のドラッグ・クイーン達。目的地に着き、ミッチは不安を抱きつつ元妻のマリオンと息子のベンジーに涙の再会を果たす。この時、ミッチは男の服装に戻っているが、その夜、ショーに出演のため女装したミッチは客席にベンジーの顔を見つけ失神する。でも、子供って親が思ってるよりずっと柔軟でしっかりしている。すぐに女装の父親に適応するベンジー。父親がゲイであることに何の偏見もない様子だ。ラストのバスの中で、フェリシアとミッチの息子がABBAの歌に合わせて楽しそうにしてる。
それでもってエンドロールでのヴァネッサ・ウィリアムスの「Save the best for last 」。 “太陽が月の周りを回ることだってある、チャンスはもうないって思ったとき、あなたは手を差し伸べてくれた” とミッチが熱をこめて口パクする。最後にまたこの歌でグッときてしまった。元気をもらえる映画である。
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