「もちろん買わなくて見ていただくだけで問題ありません」
なんてことを言いながら、その舌の根も乾かないうちに、
「もし欲しいとすれば、いくらぐらいなら買いますか?」
とか言われる。・・・欲しくはないと言ってるのに。
タージマハルのあるアグラ。アグラ城の見物を終えれば、お約束の大理石工場。ガイドに大理石加工品の作り方と卸値販売をするところに連れていかれる。
アグラの町に大理石の土産屋が軒を連ねるのは、タージ・マハルを作るためにペルシャやアフガニスタンからやってきたイスラム教徒の職人たちの秘伝の技をその子孫たちが継承したことによる。
大理石のテーブルとか手の込んだ香炉とか、日本人の庶民には高すぎ。置く場所もないし。英語をたくみにあやつる凄腕のエリート販売員と応戦。
商売上手な彼と、お互いの顔色を窺いつつ、双方ともに、いかにうまい落としどころを探れるか、というスリルを楽しむ。
なんだかんだ言ってるけど、結局は何かを買ってるのね。クレジットカードで支払いを済ませたぼくに、ツアーで一緒になった女性が笑いかけた。優秀な販売員の手練れの売り込み、駆け引きの妙に加えた心理作戦を駆使されれば、ぼくの買わない決意など赤子の手をねじるようなものだ。
値札の半額。儲け度外視と言われつつ、ふと我に返れば、得をしたのかあまり必要じゃないものを買わされて損をしたのか。さりげなく恩を着せ、商品を買うように誘導する見事なテクニック。
・・・円形の白色大理石のディスクに螺鈿細工によってネコの姿が描かれてある。聞くと日本の沖縄の貝だという。久米島の夜光貝だろうか。。
丁々発止とやりあったわけでもないけど、長い交渉を終わってみれば気心知れた相手にいつの間にか変わる。インドの人々の感覚では、人間関係と金銭関係は完全に分離され、相互に影響しあうことはほとんどないように見える。
それは、街角に立つ物乞いもそう。喜捨をせずとも、話しかければ陽気に応じてくれる人々が多い。。
人が異文化を端的に意識するのは、そこに住む人間のメンタリティに触れた時だ。人の金銭感覚は、ある文化における、人間関係の集約された表現形態なのかもしれない。日本が慎みの文化であるのなら、インドは自己主張。
したがって、インドの人々との付き合いには、しょせん、異文化だからといった諦観が必要となる。極論すれば、異文化の尊重とは、異文化間の総合理解を、限られた範囲の中で断念することが必要だ。
ご訪問&最後まで読んでくださりありがとうございます。
お帰りの際、ひとつクリックお願いします。
お手数かけてすいません。
↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村
最新の画像[もっと見る]
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます