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 すごく仲が良かったわけじゃないけれど、波長があって、30年以上も同じ方角に向かう道を歩いてきた仲間で、日本のスケート(ボード)界の重鎮だった大瀧が死んじゃった。


 自分より若いのに。。。。

 
 スケートボードはそれなりにメジャーだったけれど、社会的にはアウトローだった頃、BMXも似たようなもので、マイナー&アウトローだった。だからいつも一緒につるんで遊んだりしていた。

 僕と友人たちで作っていたスケートボードとBMXのマガジン「MOVIN' ON MAGAZINE」でも、準備刊から手伝ってもらったり、大瀧は仲間たちと「DAAAA!」というスケートマガジンを作っていたりした。

 そのころから独創的なスタイルを持っていて、ユーモアにあふれた、ほかの人が思いつかないことをやらかしたり、周囲を楽しませてくれた。

 

 
 アメリカにいた頃の爆笑話をはじめ、いつも楽しい話をしてくれた。

 
 自分もマウンテンバイクの方でがんばったりして、つかず離れずな感じで時は流れた。


 大滝はスケートボードにとどまらず、数年前のピストバイクブームを作ったのも彼とその仲間だったし、ブルックリンマシンワークスのバイクを有名にしたのもそうだし、東京のアンダーグラウンドストリートカルチャーの中心に彼がいた。


 お店が世田谷にあったころは、大瀧の会社の事務所が近かったのもあって、よく遊びにきたり、バイクの整備をしたり、昔から「この世界」のことを知っている人にはわかるような話の華が咲いたりしたり、とにかくユニークでおもしろくて。


 大瀧を知らない人からみたらアウトローにみえたかもしれないけれど、根底は実に常識的でフラットな考え方をする社会性を持っていた。だからこそみんなに好かれた。



 早いよね、逝くの。



 たまに電話かかってきて、「ハジメくん、こんなパーツないっすか」とかって、もう聞けないじゃん。



 あっちでも安らかに吠えていてほしい。



 合掌。


 ※写真は、仲間たちで作っていたMOVIN' ONの大瀧のコラムとハウツー。 この頃からなんら変わってないスタイル。