安八町西結に鎮座される「結(むすぶ)神社」。古くより生産、縁結びにご利益があるとされます。
鎌倉と京の都を結ぶ「鎌倉街道」沿いに鎮座し、かつては結大明神として、美濃国の歌枕にも古くから知られていました。十六夜日記の阿仏尼や、『一条兼良』らが詠った和歌に「結ぶ神」として表されています。
御祭神は『天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・高御産巣日神(たかみむすびのかみ)・神産巣日神(かみむすびのかみ)・猿田彦命』
創建は平安時代の嘉応年間(1169年~1171)、一説では奈良時代とも云う。明治36年(1903)、揖斐川の河川改修の為、現在地へ移転。このころ、「結大明神」から「結神社」に改称。織田信長はこの結大明神を信仰しており、天正3年(1575)、長篠の戦いの際、7日間の戦勝祈願を行なっている。阿仏尼は建治3年(1277)にこの地を訪れ、和歌を残している。【守れただ 契り結ぶの神ならば とけぬ恨みに われ迷はさで】境内由緒より
参道には『斉藤道三』の重臣『日比野清実』の城であった「結城址」があったと云われており、安八町史跡として指定されています。
もう一点、文政九年(1826)に越前鯖江藩主『間部詮勝(まなべあきかつ)』によって寄贈された手水鉢が、安八町指定文化財に指定されています。
「小栗判官・照手姫」で有名な、照手姫と小栗判官小次郎助重の伝説が伝わる神社。それが縁結びのご神徳に繋がっているのでしょうか? この日も幾組かのカップルが参拝していました。
拝殿前より神域を守護されるのは、いわゆる浪速型の狛犬さん一対、阿形さんは鞠を手に。 吽形さんは子狛にすがり付かれているのですが、なんかデレデレで嬉しそう。多分、画像の角度の加減なのですが、カメラが時折生み出す不思議な一枚。
注連縄に守られた巌は「子宝之神」、縁結びの結果は子宝に恵まれる事・・ですね😊
最後の画像は「さざれ石」、小さな小石が集まって巌となり、やがて苔むすまで・・君がおわすこの世界がいつまでも安らかに続きますように、永久の平和を願う歌。
参拝日:2018年10月11日
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