熊毛郡田布施町(たぶせちょう)は山口県の南東部、瀬戸内海に面した町です。光市、柳井市、岩国市、平生町に隣接。北西部は山岳地帯となっており、この山岳に源をなす小河川が合流して田布施川となり、中央部を貫流し、南部の瀬戸内海に注いでいます。瀬戸内海沿岸から内陸に向かって町域が広がり、瀬戸内海に浮かぶ離島の馬島や、内陸部には柳井市と光市、岩国市に囲まれた飛び地の小行司地区が存在します。
第56・57代の内閣総理大臣を務めた『岸伸介』氏、弟で第61・62・63代の内閣総理大臣を務めた『佐藤栄作』氏の出身地としても知られており、田布施町郷土館には、岸信介、佐藤栄作兄弟宰相及びゆかりの人物の遺品が展示されています。「町の木:クロガネモチ」「町の花:コバノミツバツツジ」を制定。
キャッチフレーズは「笑顔と元気あふれる住みよいまち田布施」
明治22年(1889)、町村制の施行により熊毛郡田布施村・麻里府村・麻郷村・城南村が発足。
1921年、田布施村が町制を施行、熊毛郡田布施町となる。
1955年、田布施町が麻郷村・麻里府村・城南村と合併、改めて田布施町が発足。
マンホールには、田布施川の桜と町のシンボル「さくら橋」が描かれています。
水草の輪の中、葉っぱの上に仲良く並んだ二匹の蛙がデザインされたマンホール。上に「山口県」の表記もあります。
昭和35年(1960)1月1日制定の町章は「ひらがなの『た』の字を図案化したもので、円は平和を象徴し、両側の翼は将来に向かって大きく羽ばたく躍進と発展を意味するものです。」公式HPより
草むらの中に「マンホール」と書かれた白いポール。分け入って確認する根性は無かった😔
田布施町では古くからイチジクが栽培され、生産量は県下第一位。ジャムやいちじくワイン等も販売されている、と『イチジクちゃん』が申しております😆
撮影日:2013年4月18日&2015年11月16日
あれこれと手配に奔走している頃でしょうか。
今日の関西は気温も湿気も高く
外での作業は眩暈がしそうです。
どうぞ体調を崩されませんように。
伊予の河野氏とのゆかり
興味深いですね。
古い家系図をたどるのは
上質の推理小説を読むようなドキドキを感じさせてくれます。
自分の今が、どのような経緯を辿って存在するのか・・・
想像するのは、とってもワクワクします😊
実家に一人住まいだった母が年初に大腿骨を骨折し入院から手術へ。
結局歩行困難となり施設に入所しました。
空き家となった実家ですが、近所に住む妹が時々空気の入れ替えなどをしていますが、どうも最近屋根裏にイタチが住み着いたとの一報。
資格のない個人が野生生物の駆除はできませんので、駆除の手続き等も兼ねワーケーションという形で帰省します。
一応ネット環境は整っていますが、たぶんブログの更新やフォロワーさんへのお邪魔はできないかと思います。
お邪魔できないご挨拶を一言。
さて昨日は伊藤博文の記念公園
明治維新の際に活躍した薩長の志士たちですが、薩摩が下級士族が中心なのに対し長州は桂や井上など毛利元就以来の重臣の子孫が中心。
そんな中、伊藤は数少ない下級藩士で松下村塾でも障子を隔て外の縁側で聴講したとか?
そんな伊藤自身が家系に泊をつけるために林氏子孫を名乗っている可能性も大なんですが。
注目すべきはそこではなく通説では林氏の先祖は伊予の守護の河野氏とされる点。
実はわたくしのご先祖も伊予の河野氏とされ、分家したのち居住した地を姓として某氏を名乗り(いわゆる地名姓)、現在もわたくしの苗字が松山市に町名として残っております。
ということで、仮に伊藤が林氏の子孫であるならば、ワタクシとも遠い遠い縁続きということになるという重大事実が判明しました。
真相やいかに?
カエルと言えば
シンボルがカエルの自治体で
カエルサミットが開催されてますね
おはようございます!
カエルの、マンホール
可愛いてすねぇ😄😄