旧引佐郡細江町(ほそえちょう)は静岡県の遠州西部に位置した町です。浜松市、引佐郡三ケ日町・引佐町に隣接。町名は、万葉集・第十四巻に歌われた奥浜名湖の別名「引佐細江」に由来。細江町中川にある県指定史跡「滝峯才四郎谷遺跡」では、埋められた状態の銅鐸9個が確認され「銅鐸の谷」として一躍有名になりました。また姫街道に設置された「気賀関所」でも知られており「細江町立姫街道歴史民俗資料館」では先の発掘された銅鐸なども含めて一般公開されています。「町の木:天台鳥薬(てんだいうやく)」「町の花:サクラ:ソメイヨシノ」「町の鳥:カモ・カルガモ」を制定。
旧キャッチフレーズは「たくましく豊かな町づくり」
天浜線気賀駅で見かけた「町の木:天台鳥薬(てんだいうやく)」
明治22年(1889)、町村制の施行により、引佐郡気賀町・中川村が発足。
1937年、気賀町の読みが「けがちょう」から「きがちょう」に改称。
1951年、気賀町広岡の一部を中川村に編入。中川村中川の一部を気賀町に編入。
1955年、気賀町と中川村が合併、引佐郡細江町が発足。
2005年、浜松市に編入され、細江地域自治区が設置。2007年に北区の一部となりました。
マンホールには、町の花「ソメイヨシノ」と、町から出土した「銅鐸」が描かれています。(天浜線気賀駅前歩道に一枚だけ設置)
一見、上二つと同じに見えますが、下の鍵穴の形状が違っています
細江町では、これまでに弥生時代につくられた銅鐸・九基が見つかっており、滝峯の谷にある「銅鐸公園」には、発掘当時の状態を復元した銅鐸レプリカと資料が展示されています。
小さな制水弁と一緒に、「出土された銅鐸」を描いたタイルが歩道上に設置。
銅鐸のタイルと同じ場所に、「町の花・ソメイヨシノ」「町の鳥・カルガモ」のタイル。
昭和32年(1957)1月1日制定の町章は「古代、航路標識の役目を果たした「みをつくし」を図案化しました。」
この「みをつくし」ですが、ほぼ同じデザインのものが、明治27年から大阪市章としても用いられています。
上下水道関連は制水弁・空気弁・消火栓、量水器。
もうすでに見飽きた感がある農林水産省の蓋。「農水」の文字のみが書かれた規格マンホール。
冒頭で触れた「引佐細江」を読んだ万葉歌には、町章の由来となった「みをつくし」の言葉も出てきます。
【遠江(とほつあふみ) 引佐細江のみをつくし 我(あ)れを頼めて あさましものを】
撮影日:2010年4月17日&2016年12月17日
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