下関市幡生(はたぶ)宮の下町に鎮座される「生野神社」。御祭神は『応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・宗像三女神・彌都波能売神(みづはのめのかみ)』
「旧、幡生八幡宮、第五十六代清和天皇、貞観二年(860)九月の創祀、当時京都大安寺の僧行教、天皇の勅命を受け、九州宇佐八幡宮に趣き、八幡宮の御分神を奉戴して、京都男山(今の石清水八幡宮)に皈る途中、当地が清地であり又、神功皇后ゆかりの地であることから、ここに仮泊し、御分神を奉祀したと伝えられる。又、古来武将の崇敬も篤く文禄元年豊臣秀吉、朝鮮の役に出陣の際、松の木を八本手植し、戦勝を祈願したと云う。往時この附近数ヶ村の総氏神として、地方人の崇敬は篤かった。響灘に浮かぶ六連島も古くはこの神社の氏子であったが海上より遠い為、昭和四年二月、こ御分神を勧請して六連島八幡宮を建立せし。」境内由緒より
一の鳥居の奥にかなり長い参道石段
二の鳥居・左右より神域を守護されるのは天保6年(1835)4月吉日建立。小さな真ん丸お目目にぷっくりほっぺが可愛い狛犬さん一対。吽形さんには小さな角も。
「豊臣秀吉御手植松記念碑」
拝殿左右に奉納された懸崖菊
拝殿前左右より神域を守護されるのは天保6年(1835)10月吉日建立の狛犬さん一対。顎下の梵天の様な毛玉に比して顔立ちがインベーダーっぽい・・・下から見上げる所為か、全体的に鋭い顔つき。
「幸せふくろう:世の中も豊(ホー)に、家庭、家族も皆豊(ホー)、我が身心も豊(ホー)に生野。フクロウの頭をホーホーホーと三回撫でて三度唱え三豊願い。」by宮司様
境内社「人丸神社」。御祭神は『柿本人麻呂公』
「人丸は、火止まる→防火の神、人産まる→安産の神と解し篤く崇められています」現地案内より
人丸神社の御社殿を守る東大寺型狛犬さん一対。阿吽の別はありません。
人丸神社参道を守護されるのは万延元年(1860)8月吉日建立の狛犬さん。吽形さんのすましこんだ顔、対する阿形さんの耳まで裂けた大口。かなり個性的な一対。
人丸神社の右手に「子守り女石 周りの石は大人、中の石は子供等、大人が囲み子供を守るサークルストーンです。」
「幡生(旧生野村)の火山伝説と溶岩 往古、此の地に火山の噴火が有ったと伝わる。(ペディオニーテ火山)大正5年(1916)椋野に火山弾の集積が発見され、一里山(石神)から戦場ヶ原(忠霊塔)にかけて、溶岩質の玄武岩地層が確認され、昭和46年(1971)戦場ヶ原公園造成の際、玄武岩層を発見~」案内より
「宮山古墳 当神社神域には14~500年前と推定される、下関市指定文化財前方後円墳が保存されている。」
「幡生古代地図」by宮司様
参拝日:2012年11月15日
どうぞお大事に・・
ありきたりの言葉しか出てこない事が口惜しいです。
歩けなくなると色んな事が出来なくなります。
義姉の母が骨折から歩行困難になり、施設に入所。
歩行訓練をするより車椅子で大人しくしてくれる方が、双方にとっても楽だったのか・・
驚く速さで痴呆が進み、家族の顔も分らなくなりました。
どうぞ、お母様が良い意味で回復されますように祈っております。
色々と手続き諸々、大変とは思いますが
全てつつがなく終わらせてのお帰り、お待ちしています。
コメント有難うございます
旅の途次途次で見聞きした思い出
ブログに残す事で、
思い出はより鮮明になる気がします
小さな画像ばかりで恐縮ですが
また是非 ご訪問いただければ嬉しいです
今後も見学じゃなく取材が多くなるので、なかなか更新はできません。
今日から20日まで奈良に帰省します。
昨年末に骨折した母が歩行困難となり2月から施設に入っています。
今回はそれにかかわるあれやこれや・・・・
実家の持ち山の境界の確認や田畑の耕作の請負云々…
何かの際には役立つ資産かもしれないけどこれからの日本を考えたら現実には「陳腐化資産」
まあ、石油か金でも出れば話は変わるんですが…
帰宅後にまとめて拝読させていただきます。
ご紹介、ありがとうございました。
見せていただき、とてもsiawase気分です。
いろいろ情報交換、・・・・・。
コメント交流、いいものですね。
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ももちゃん、ご卒業おめでとうございます
少しずつパパの手から巣立ってゆくお嬢様
猫かわいがりできるのは、
今のうちですよ~~~(⌒∇⌒)
今日はももちゃんの中学の卒業式なので
仕事をお休みしました。
今日も色んな狛犬がいて面白い!!
最後の狛犬はスタイルがいいですね!