「天正4年(1576)、越後の上杉謙信は、能登の名城であった七尾城を攻略し、その余勢をかって奥能登平定に駒を進めた。現在の珠洲市三崎町に上陸した上杉勢は、各地を平定し天正5年、破竹の勢いで名舟村へ押し寄せてきた。武器らしいものがない村人達は、鍬や鎌まで持ち出して上杉勢を迎撃する準備を進めたが、あまりにも無力であることは明白であった。しかし郷土防衛の一念に燃え立った村人達は、村の知恵者といわれる古老の指図に従い、樹の皮で仮面を作り、海藻を頭髪とし、太鼓を打ち鳴らしながら寝静まる上杉勢に夜襲をかけた。上杉勢は思いもよらぬ陣太鼓と奇怪きわまる怪物の夜襲に驚愕し、戦わずして退散したと伝えられている。村人達は名舟沖にある舳倉島の奥津姫神の御神徳によるものとし、毎年奥津姫神社の大祭に仮面をつけて太鼓を打ち鳴らしながら神輿渡御の先駆をつとめ、氏神への感謝を捧げる習わしとなって現在に至っている。」
2011年石川県の旅、能登の輪島で「御陣乗太鼓」の実演を見ることが出来るということで、それに併せて日程を組みました。実演場所は「輪島・道の駅 ふらっと訪夢」。生憎の雨ですが屋内開催なので問題は無し。
冒頭の説明は、「御陣乗太鼓」の実演に先立って紹介されたもの。室内の灯りが落とされ、ややあって「おぉぉぉぉぉぉぉっ!!」の声と共に、妖しい人影が躍り出ます。 乱れた髪をおどろに振り乱し、撥を持った両手を振り上げながら、飛ぶように太鼓に近づくのは憤怒の形相から「神の怒り」と形容される「夜叉」。
強く、大きく、高く、低く、短く、長く、腹の底に響く太鼓の音が、天井に吸い込まれていく・・ やがて小さく刻まれる太鼓の音に誘い出されるように、夜叉の背後に現れたのは「土左衛門」とも呼ばれる「幽霊」。
途切れる事無く続く太鼓の音と共に、それぞれの所作で次々と入れ替わる「爺面」。唯一、「仏」の位置づけにある「達磨」。
夜の闇が普通であった頃、荒れる日本海の波音に混じって突如聞こえてくる不気味な音。 迷信が日常の中に生きていた時代、いかに武勇に秀でていたとしても、闇に蠢くおどろの影はとてもこの世の者とは思えなかったでしょう。
演技が終わった後は記念撮影の時間まで用意して頂き、心に残る能登の一夜を終えました。その夜は流石に興奮してなかなか寝付けなかった事も・・懐かしい思い出です。
2015年に能登を訪れた時、偶然「能登キリコ会館」で「御陣乗太鼓」の実演がある事を知りました。 しかもその場所は、今夜の車泊地から歩いていける距離というのですから、何というチャンス(*^^*) 一番前の席を確保するために、時間よりもずっと前に座ってワクワクしながら開演を待ちます。 やがて豪華絢爛なキリコをバックに打ち鳴らされる太鼓の音・・・、その響きは四年前と変わらず心を揺さぶり、息する事さえ忘れさせます。
恐ろしげな面に、櫛も入らぬ乱れた髪を振り乱して、太鼓を打ち鳴らす鬼たち。 一見同じに見えて、でも実際に自分の目で見て、自分の耳で聞けば、そのどれもが全く同じでないと分るのです。
そうしてますますこの素晴らしい演目に魅了され、いつの日かもう一度と思うのです。能登の夜を切り裂く鬼たちが叩く「御陣乗太鼓」は、昭和38年に石川県無形文化財に指定されました。
締めくくりは希望者による記念撮影。おどろおどろしい鬼の筈なのに、なぜか写真に写る鬼の方々の表情はとても穏やかで優しくて・・最高の思い出を有難うございました。
輪島市街地から13Kmほど東にある海沿いの漁村に、「御陣乗太鼓の地」碑がありました。 碑にはここ名舟町が発祥の地である旨がイラスト共に紹介されています。
名舟沖約50kmの日本海上に浮かぶ「舳倉(へぐら)島」。そこに鎮座されるという「奥津姫神社」。鳥居は『奥津姫神』が鎮まられる神域への遥拝所かもしれません。
訪問日:2011年10月&2015年5月23~24日
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