中山道六十九次33番目は木曽路最北端の宿場「贄川(にえかわ)宿」。古くは温泉があった事から「熱川」と書かれていましたが、温泉が枯れてからは現在の漢字を当てるようになったとか。また、贄川宿には木曽福島関所の添番所として贄川番所が置かれ、中山道を通る人と物の往来を監視し、「女改め」や「白木改め」の任を担っていました。
「贄川口留番所」とも呼ばれた贄川番所は信濃国伊那郡にあり、その役割は非常に重要視されていました。管理者は尾張藩代官身分の『山村甚兵衛』。慶応3年(1867)明治の政変により関所は「入鉄炮出女」が緩和されましたが、その後の大政奉還に伴い、改めて関所の警衛を厳しくするよう命じられます。それが贄川関所の最期の花舞台だったかも知れません
明治2年(1869)廃関の令によって木曽福島関所を含む全国の関所が廃止され、贄川関所もまた同じ運命をたどりました。
取り壊された贄川番所は、昭和51年に古図をもとに復元され、関所関連の資料等を展示。また階下は「木曽考古館」として縄文時代の土器・石器が展示されています。
「中山道宿村大概帳」によれば、贄川宿の宿内家数は124軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠25軒で宿内人口は545人。宿場は昭和5年(1930)の大火で古い町並みの大部分が焼失しましたが、上町の一部の鍵の手付近に昔の面影が残されています。
関所に向かう道に架けられたJR中央本線の跨線橋「メロディー橋」。橋の欄干部分が鉄琴仕様になっており、順番に叩いていくと木曽節のメロディーが奏でられます。
♪ 木曽のなぁ~中乗さん~~ 木~曽の御岳さんは~なんじゃらほい~♪
余りにもなじみが深い曲なのでついつい口ずさみ、車に戻った後もしばらくメロディが離れず、いつのまにかハモっている二人😄
ちなみに「中乗さん」とは、その昔、木材を木曽川で運搬した際、木材の真ん中に乗った人のこと。木材の先頭に乗る人を「へ乗り」・後ろを「とも乗り」・真ん中を「なか乗り」と呼び、いわゆる責任者的存在だったそうです。他にも説があるようですが、私的にはこの説に100万ペリカ😄
訪問日:2010年10月3日
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