日根神社には、多くの神社が摂社、末社として合祀されています。これは明治政府の「神社合祀令」によるもので、日根野村の集落毎にあった神社は「日根神社」とは別に、神職を持たず「宮座」が神社の行事を行っています。
旧日根野村字溝口に鎮座されていた、式内社「比賣(ひめ)神社」。日根神社創建の起源となった『日の神:天照大御神』と『根の神:素戔嗚尊』が祀られます。
「古くは『溝口大明神』とも称され、清和天皇の貞観元年(859)に官社に列格。日根神社に遷された頃は本殿と向かい合うように建ち『下の御前』と呼ばれていた。」
「この本殿の創建年代は明らかでないが延喜式内社の日根郡十座のうちに列し、溝口大明神といわれる。一間社春日造で装飾部には桃山時代より江戸末に渉る様式もあるが、身舎には割材が多く使用されていて各部の面も大きく頭貫に木鼻のない点水平の繋虹梁を使用しているなど、また内陣境の扉の引分装置など変った手法が見られる。建立は室町時初期を下るものでないと推察される。」現地説明版より
鳥居の内より神域を守護されるのは、思慮深そうな顔立ちの浪花タイプの狛犬さん一対。こうして並べると、阿形さんの話を熱心に聞いている吽形さん。聞いてもらえるのがうれしくて話が終わらない阿形さんと言った感じ(笑)
旧日根野村井川(ゆかわ)沿いに鎮座されていた「丹生神社(野々宮)」。御祭神は『丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)、丹生高野御子大神(にうつたかのみこのおおかみ)=(狩場明神)』。
「天平30年、和歌山県かつらぎ町上天野にある元官幣大社「丹生都毘売神社(天野大社)」よりの勧請」。
鳥居の前より神域を守護されるのは、文久年間建立の浪花タイプの狛犬さん一対。考え深そうな吽形さんと、対照的な阿形さんのおおらかな笑顔。お似合いの一対。
旧日根野村字野口に鎮座されていた「野口恵比須神社」。御祭神は『事代主尊』。由緒は不詳ですが「天保11年遷宮、以降恵毘須宮を改称、明治41年現在地に丹生神社へ三神合祀される。」とあります。
鳥居前より神域を守護されるのは、浪花タイプの狛犬さん一対。含み笑いをしているような吽形さんの口元がとてもニヒルで(笑)。対する阿形さんは典型的な大阪のおっちゃんタイプ。笑い方も「ガハハッ!」と豪快(笑)
旧俵屋村に鎮座されていた「岡前神社」。御祭神は『須佐之男命』
鳥居の内より神域を守護されるのは、上半身がっちり鍛えてます系の浪速タイプの狛犬さん一対。立派な角を持つ吽形さん、歯医者さんお墨付きの立派な歯をむき出して「い~~~~っ」。思わず顔が後ろに引いてしまった阿形さん(^^;) 中々の迷コンビ。
旧日根野村字辻花に鎮座されていた「赤之宮」。御祭神は『丹生都比売命』。前面に鉄柵が立てられていた為、狛犬さんの画像は諦めました(^^;)
参拝日:2015年10月8日
明日は境内に隣接する元神宮寺「慈眼院」の紹介です。
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御祭神一口メモ
『丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)』。別名「稚日女尊(わかひるめのみこと)」。『天照大御神』の妹神。機殿 ( はたどの ) で神服を織る。
『丹生高野御子大神(にうつたかのみこのおおかみ)』。別名「狩場明神」。「丹生都比売大神」の子。狩人に化身して弘法大師の前に現れ、高野山へと導いた神。
摂社が多い神社はなんとなく、ビビります。
なんかこう・・得体の知れない歴史(人の祈り)が重なっているようで。
ちゃんと神さまとお話できれば、ビビる必要なくなるのになぁ、と残念に思います。
昨日の返信、嬉しく読ませていただきました。
tibinekoさんとは少し意見が違いますが、
tibinekoさんのような真っ当な方の意見を聞かせていただけて嬉しく思いました。
「狩場明神」はたぶん関東ではあまり有名ではないと思うのですが、弘法大師(と最澄さま)の漫画を最近読みまして、そのなかで、「丹生」という不思議な存在が描かれていました。
なので、あの!「丹生」さまがここに!!
とウキウキしました。
弘法大師も高野山も、大大大好きです💖
(あまりご縁はないですが😅)
さすが、西の方はこういう謂れの神社があるんですね🙏
今日ものどかな日をお過ごしください😊
小さい頃からお寺と言えば「お大師っさん」で
数多おいでになる高僧の中では一番好きな方だと思います(〃∇〃)
母が亡くなった時、棺に入れられていた菅笠や輪袈裟を見た時、無事に御大師様にお会いできたら良いなと思いました。
多分・・・不謹慎な!と上の方のお寺さんには叱られるかも(笑)
今日はずっと雨です。
草木もそろそろ芽吹きの準備に入ってきましたね
まかろんさんも柔らかな良い一日を(〃∇〃)