山口市平野に鎮座される「山口県護国神社」。
御祭神は『嘉永6年(1853)以降の国事・事変・戦争で、一身を国に捧げた山口県出身者52,128柱 の御霊。その90%は、満州事変・日華事変、大東亜戦争で戦没された兵士・兵員・軍属・従軍看護婦、国内軍需工場で爆撃の犠牲となった学徒動員生徒』公式HPより
由緒「昭和14年、護国神社制度が整備され、県内一円を崇敬者区域とする護国神社を創建することとなり、社殿の造営に着手、昭和16年8月に現社殿が竣工しました。」公式HPより
拝殿向かって右手に「権殿」。社殿を修理する時に一時的に御神体をお移しするための社で仮殿とも呼ばれます。
「拓魂碑」碑文 「我らは若き義勇軍 我らは若き義勇軍 祖国のためぞ鋤とりて 万里涯なき野に立たむ いま開拓の意気高し いま開拓の意気高し」
「国旗掲揚塔」
「あゝ 特攻」
「歩兵第42連隊史刊行記念碑」
「郷土部隊慰霊碑」
「永遠不滅」
参集殿の横に建立されていた「母と子の像」
「戦争裁判殉国烈士の碑」「~連合国は戦争の責任を問うという名のもとに、戦争史上にかつて例を見ない軍事裁判を強行。この為多くの人々が無実、または誤認のまま罪なき罪を負わされ、家郷を遥かな異国の地で、祖国日本の再建を信じ愛する肉親の幸せを念じながら刑場の露と消えられました。碑は本県出身三十三柱の御霊の永遠に鎮まる事を記念して~」戦争裁判殉国烈士之碑由来記より
大東亜戦争における東京裁判とは、日本人の持つ忠誠心に恐れをなした連合国軍の恐怖が作り上げた、近代稀に見るリンチ(私刑)であったと思います。
11月の空は青く、母の壊の如き白い雲はどこまでも柔らかく・・
拝殿柱に昭和天皇御製「国のため たふれし人の魂(たま)をしも つねなぐさめよ 明るく生きて」
2015年の参拝から二年後の2017年。同行した🐣jさん、たっての希望で二度目の参拝。画像織り交ぜての紹介です。
参拝日:2015年11月11日&2017年11月30日
こう言う神社があったとは、知りませんでした。
亡国の「日本国憲法」が跋扈する戦後の日本で、堂々と「もののふの心」を語る神社が存在していたと言う驚きに打たれます。
身の引き締まる思いが致します。教えて頂き感謝いたします。
山口県と言う土地柄かもしれませんが
境内にたち、拝殿に向かう時、身が引き締まるような空気を感じさせられました。
県内には小規模ですが他に一か所
心温まる思い出を頂いた「護国神社」もあります。
色んな意味で・・・
忘れ難い土地です