車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

知立(ちりゅう)神社 in 愛知県知立市

2016年09月19日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県知立市西町に鎮座される「知立(ちりゅう)神社」。「智(池)鯉鮒(ちりふ)大明神」とも称されます。御祭神は『鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)・ 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと) ・玉依比賣命(たまよりびめのみこと) ・神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと)=神武天皇)』。相殿神に『聖徳太子・青海首命 (あおみのおびとのみこと) 』。三河国二宮で、江戸時代には東海道三大社( 三島市の三嶋大社:名古屋市の熱田神宮)の一つとされました。

社伝によれば「第12代景行天皇の時、日本武尊が天皇の命を受けて東国平定の折、当地において皇祖の神々に平定の成功を祈願し、無事その務を果たした故に、ここに建国の祖神であられる四神を奉斎したのが始まりと云う。」公式HPより

大鳥居を潜って境内右手に「国重要文化財:多宝塔」。駒札によれば 「三間二層 塔高約10m 社伝によれば、八五〇年(嘉祥三)天台宗僧円仁が神宮寺を創立し、多宝塔を建立した。後知立神社の別当寺となった。 現存する多宝塔は、一五〇九年(永正六)重原城主山岡忠左衛門が再建した。三間二層の塔であり、正面に桟唐戸を配し、左右には連子窓、他は嵌板張りである。屋根は柿葺で、塔高は約十mあり、室町時代の建築である。明治の神仏分離令の際には、祀られていた愛染明王を総持寺に移し、相輪を除き、瓦葺にかえ、「知立文庫」と名も替えて、取り壊しの難をのがれた。」

参道正面に、享保17年(1732)に造られた知立市指定文化財:石造りの神橋

境内から見る石橋と多宝塔。ひるがえる日の丸が境内の緑に映えてこの上なく美しい。

「神池は江戸時代に当地が「池鯉鮒宿」と表記されていた元とも言われ、今でも多くの鯉が見られます。またこの池の鯉が、眼病を患った長者の娘の身代わりになったという「片目の鯉」の伝説地でもあります。」公式HPより

神橋正面に鎮座される国登録有形文化財の社殿は、本殿・幣殿・祭文殿・回廊・拝殿を縦長に接続する「尾張造り」と呼ばれる独特の社殿配置を形成。

拝殿は桁行六間・梁間三間、切妻造妻入で、屋根は檜皮葺。前面には、間口一間で切妻造の向拝が付属します。

拝殿前左右より神域を守護されるのは「明治三十九年四月 石 工:今井○○○刻」の岡崎天神社系狛犬さん一対。体にはきれいな獅子紋をもち、吽形さんは立派な角付き。阿吽ともに端正な顔立ちをされています。

「寛政七年(1795)江戸と大阪で、職人の為の絵手本『諸職画鏡』が発売され、中に神社の狛犬の絵が出ており、約六十年後、幕末安政期に岡崎ではこの画集を元にした狛犬が現れる。特徴として『阿形』は頭に一角、『吽形』は頭に宝珠を乗せ、体毛は巻き毛で覆われ尻尾は三本捩れながら立ち上がる。これらは安政に現れ明治末に姿を消したが、吽形には角が阿形には何も付いていない。また巻き毛の一部が菊花紋に変更されている」神獣事始めより

摂社「親母神社(うばがみしゃ)」。御祭神は本殿主祭神の母神である『豊玉姫命』。一間社流造の朱塗の社殿は明治期の造営で、国の登録有形文化財に指定されています。

「境内社:小山天神社」。御祭神は『少彦名命』

「末社:秋葉社」。御祭神は『火之夜藝速男之命(ひのやぎはやをのみこと)』。昭和36年に知立神社境内に遷座されました。知立神社の奉納手筒花火はこの秋葉社の祭礼です。

「末社:合祀殿」。明治6年の神社合祀令に伴い、知立神社境内外の「神明社、白山媛社、市杵島社、西山神社、東山神社、稲荷社、津島社、祓戸社、弁天社、荒神社」九社を合祀。

「陸軍大将 松井石根」の揮毫による「千人搭」と刻まれた常夜灯。左右にそれぞれ「武運長久」「献身報国」と刻まれています。

神馬舎

神楽殿

参拝日:2011年9月18日&2015年12月16日

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御神名一口メモ

『鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)』、地神五代の5代目、日向三代の3代目。神武天皇の父神。

『彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)』、「火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)」とも。『伊邪那美』はこの神産みが元で死亡。怒った『伊邪那岐』に「天之尾羽張(あめのおはばり)」で首を打ち落とされて殺される。その血肉から『建御雷神』や『闇淤加美神・闇御津羽神(龍神)』ら十六柱の神々が生まれる。

玉依比賣命(たまよりびめのみこと)』、神武天皇の母神。

神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと)』、神武天皇。

青海首命 (あおみのおびとのみこと)』、碧海地方開拓の祖神


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