車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 奈良県御所市

2023年06月09日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・奈良県

御所市(ごせし)は奈良県大和平野の西南部に位置する市です。西部に金剛山・葛城山が峰を連ね、東南部の丘陵地から平地の広がる緑豊かな自然に囲まれた田園都市で、市内には数多くの延喜式内社が鎮座され、また、武内宿禰を被葬者と伝える「室大墓(むろのおおはか)」をはじめ、古代遺跡などが豊富に残されています。大和高田市、橿原市、五條市、葛城市、高取町、大淀町に、また県を跨いで大阪府千早赤阪村に隣接。「市の木:楠」「市の花:ツツジ」を制定。

キャッチフレーズは「自然と笑顔があふれる 誇れるまち」

明治22年(1889)、町村制の施行により、葛上(かつじょう)郡御所町・葛村・吐田郷村・葛城村・西松本村・櫛羅村・東松本村・竹田村・鎌田村・小林村・楢原村・三室村・秋津村・掖上村が発足。

1897年、郡制の施行により、葛上郡・忍海(おしみ)郡の区域をもって南葛城郡が発足。

1915年、櫛羅村・東松本村・竹田村・鎌田村・小林村・楢原村・三室村が合併、南葛城郡大正村が発足。

1954年、御所町が秋津村を編入。

1955年、御所町が掖上村を編入。

1956年、葛城村、吐田郷村が合併、南葛城郡葛上村が発足。

1958年、御所町・葛村・葛上村・大正村が合併、御所市が発足。

1977年、御所市大字重阪字内谷の一部・大字内谷字内谷の一部を五條市に編入。

マンホールには「葛城山・ロープウェイ」と「市の花:ツツジ」がデザインされています。

昭和33年3月31日制定の市章は「「ご」「せ」の文字を図案化したものです。」公式HPより

セキスイハイムの住宅街にあった企業用汚水桝

撮影日:2009年6月27日

 


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4 コメント

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地名の面白さ (tibineko)
2023-06-09 22:30:33
奈良県に限った事では無いかもしれませんが・・・
長い歴史を持つ自治体には、本当に不思議な地名がたくさん登場します。
私のブログは、明治の町村制からの紹介ですが、実は町村制以前の地名と言うのは、本当に興味深いものが多いのですよ。
何故、この地名になったんだろうと思うものも少なくありません。
時には不吉極まりない地名に出くわす事もあります(^^;)


腹をくくりましょう!女は弱いなどと誰にも言わせない!言われないように!
正しく、強くなりましょう!
今日は検査の為に2時から病院でした。
二時間弱の検査は、流石に肉体的にも精神的にもダメージキツイ(-_-;)。
今日は大人しく夜更かししないで寝ます(笑)
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Unknown (まかろん)
2023-06-09 21:13:20
ゴショ、でなく、ゴセ。

なんの転訛だろう、ゆかしいな、と思いましたが、
まっちさんが完璧な解説を加えていましたね。

学者はどう言うか知りませんが、
これは完璧ではないでしょうか。


いつも心ある返信をありがとうございます🙏
腹をくくるしかないですよね。

L‥法案に関しては、
私は満州引き上げの際に、男たちが村の女子を
ロシア兵に差し出した歴史を連想します。

気が狂いそうに哀しく、激怒を感じます。

この怒りを選挙でぶつけようにも、
野党はもっとロクでもないのですよね・・。


ともあれ、tibinekoさんの返信が、嬉しいです。
その励ましを胸に握っておきます。
tibinekoさんの言葉は激しく、美しいです。


御所市のマンホールはかっこいいですね!
色付きでないのが残念です。

L‥のことを持ち出しておいてなんですが、
(しかし、日本全国の女性の危機ですからね!)
どうぞ心豊かな週末をお過ごしください。
返信する
地名の由来 (tibineko)
2023-06-09 18:47:45
御所市の由来については諸説があるようですね。
個人的には、まっちさんが挙げて下さった~巨勢山~からの流れの方がしっくりきます。

葛城市・・そうなんですね。
御所市に至るまでの町村合併でも「葛城村」は早々に消えて「葛上村」になったし・・
地名から見えてくる地元の方々の思惑等々・・もっと深く掘り下げれば面白い事実に行き当たるのかも。
古い地名が伝えてくれるものって、実は沢山の歴史を秘めていて、そういう内容に行き当たると「面白さ」も俄然変わってきますね。
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ゴセ! (まっち)
2023-06-09 18:27:10
地元だと御所=「ごせ」と当たり前のように読めますが、知らない人にとっては難読地名になるんでしょうね。
葛城山の玄関口にあり文字通り葛城の中心地。
なぜ市制施行の際に「葛城市」を名乗らなかったのか?大いに疑問です。
新庄と当麻が合併して葛城市を名乗った際には大いにクレームを入れましたが、時すでに遅し。
御所(御所)の由来については、紹介のほか個人的には葛城氏衰退ののち当地に勢力を張った巨勢(こせ)氏に起因するのでは?と考えています。
巨勢氏は蘇我氏と並びヤマト政権下では新興勢力でしたが、奈良時代まで大臣を輩出するなど相応の勢力を維持し、万葉集でも『巨勢山』がしばしば登場します。
『こせ』と『ごせ』
この読みの転移の方がごせの由来にそぐうのではないかと思うのですが。
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