車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 奈良県葛城市

2023年05月11日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・奈良県

葛城市(かつらぎし)は奈良県中西部にあり、大和高田市、御所市、香芝市、更に県を跨いで 大阪府子町、河南町に隣接。葛城山から二上山に延びる山脈の東麓に位置する市です。 2004年10月1日 、北葛城郡新庄町と當麻町が合併して発足。市名は両町が属していた北葛城郡に由来して決められました。「市の木:イチイガシ&楠」「市の花:牡丹&菊」「市の鳥:ウグイス」を制定。

キャッチフレーズは「悠久のロマンと次代の英知が織りなす爽快都市(シティ)~葛城~」

マンホールは、いずれも中央に市章があるだけの規格品です。

2005年2月19日制定の市章は「上下に配した二つの円は旧新庄町と旧當麻町を表し、二つの円が一つの市へと生まれ変わったことを表します。下部の緑の部分は葛城山系の山並みや緑に茂る葉を表し、豊かな自然を守っていきたいという願いが込められています。上部に赤い円を配し、全体で花が咲いたように見立て、菊やぼたんの花が咲く、うるおいのあるやさしいまちであることを表しています。さらに、大空に大きく手をかかげたようにも見える造形は、葛城市が輝く未来へ発展していくことへの願いをも表しています。」公式HPより

越境蓋:大阪府枚方市(葛城市役所敷地内)

葛城市の公式マスコットキャラクター『蓮花ちゃん』。當麻寺の尼僧であったとされる伝説上の人物「中将姫」がモデル。平城遷都1300年祭の公式キャラクター『せんとくん』の恋人候補として誕生しました。

大和(だいわ)ガスは、大和高田市に本社を置く大和高田市及び周辺市町村をエリアとする一般都市ガス事業者。近畿圏の都市ガス事業者としては大阪ガスに次ぐ規模の企業です。

撮影日:2009年7月11日&2017年4月26日

 

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橿原(かしはら)神宮 in 奈良県橿原市久米町

2023年05月10日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・奈良県

畝傍山の東麓、橿原市久米町に鎮座される「橿原(かしはら)神宮」。御祭神は『神武天皇・媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)』。

第一代の天皇であり我が国建国の始祖となられる『神武天皇』を祀るため、畝傍橿原宮があったとされるこの地に、明治天皇により、明治23年(1890)4月2日に官幣大社として創建。内拝殿の奥に鎮座される本殿(重要文化財)は、安政2年(1855)に建てられた京都御所賢所ですが、ここからではわずかに幣殿の千木が見えるのみ。

素木建:八脚門で切妻造:銅板葺の「南神門」。その向こうに整然と静まる境内。

緩やかな稜線を見せる畝傍山を背景に建つ入母屋造の外拝殿。秋の日暮れは殊の外早く、参拝者の姿もまばらになった境内。日暮れ前の穏やかな光の中に見るその佇まいは、神々しいほどの気に満たされています。

外拝殿回廊 内側より

外拝殿回廊 外側より

神楽殿

北神門は、大正4年に建造された唐破風造の平唐門。もと正門だったものですが生憎と修復中。足場の隙間からわずかに唐破風の一部が見えました。

外拝殿向かって右手に置かれた「さざれ石」

板塀に囲まれ、白い玉石を敷きつめた方形の庭「祓戸」。祭典に先立ち、宮司以下祭員が修祓(しゅばつ)を行う場所です。(修祓=身を祓い清める)

2007年の干支「亥」が描かれた巨大絵馬も、あと二ヶ月ほどで新しい主役に取って代わられます。「亥(い、がい)」は「とざす」の意で、草木の生命力が種の中に閉じ込められた状態を表すとされます。それが日本で猪になったのは、単に動物に置き換えて覚えやすくする為だったとか(^^;)

南神門前広場の南方、奈良時代に造成された「深田池」は面積は約1万5000坪。畝傍山の南斜面から流れ込む雨水を水源とし、鴨やサギなどの憩いの場にもなっています。

第一鳥居と第二鳥居の間に設けられた「神橋」

第一鳥居に沈む夕日に見送られ、橿原の社を後にしました。

参拝日:2007年10月20日

 

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藤原宮跡(ふじわらきゅうせき) in 奈良県橿原市高殿町

2023年05月09日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・奈良県

橿原市高殿町、飛鳥京の西北部、奈良県橿原市と明日香村にかかる地域にあった飛鳥時代の都城【藤原京】。日本史上で最初の条坊制を布いた本格的な唐風都城でもあり、16年後に平城京に遷都されるまで、日本の首都とされた地です。

藤原宮 大極殿院閤門跡:列柱

列柱の後背に見える「耳成山」

持統天皇が飛鳥から藤原の地に都を遷したのは694年。新たな都の造営は、天武天皇の願いであった中央集権国家の確立には欠かせない一大事業でした。その大きさは、東西方向約5.3km、南北方向4.8kmと、平城京、平安京をしのぐ古代最大の都であったと言われています。

今は大極殿基壇跡を残すのみとなりましたが、現在でも藤原宮及び藤原京の発掘調査が続けられています。

歴史的風土特別保存地区に指定された広大な宮跡。10月上旬~10月下旬には、約30,000平方メートルに7種類のコスモス300万本が一面に咲き誇り、古の都もかすむ程の鮮やかな花に埋もれます。

耳成山を背景に

朝堂院東門 列柱と天香具山を背景に

訪問日:2007年10月20日

 

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おふさ観音 in 奈良県橿原市小房町

2023年05月08日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・奈良県

橿原市小房町にある高野山真言宗:別格本山「十無量山観音寺」。イングリッシュローズが咲き乱れる境内の様子から「花まんだらの寺」として知られています。

「慶安3年(1650年)4月、この辺りにあった鯉ヶ淵という池の中から白い亀に乗った観音菩薩が現れ、それを発見した付近に住む娘おふさが小さな堂を建立して比叡山延暦寺北谷にあった観音院の本尊・十一面観音を譲り受けて祀ったことが起源とされている。」Wikipediaより

春と秋、イングリッシュローズを中心に約2,300種類のバラが咲き誇る庭。花を用いて曼荼羅を境内に表現する・・・仏の世界には詳しくないので何がどうで曼荼羅となるのか分からないという罰当たりですが・・ごめんなさい。

境内の一画にバラに埋もれるようにいた亀さん、屋根の上にいた筈なのに、地上に降りたのはバラの香りに誘われたからですか?

バラの花独特の甘い香に包まれていると、ここがお寺の境内と言う事を忘れてしまいそうです。だから時折顔を見せる観音様のお姿に、ああ、そうだ、ここはお寺なんだと足を止め、そうして改めて手を合わせる二人。

ここにある薔薇は、副住職を中心に寺内の方々によって、1995年から少しずつ増やしていったもので、1種類1株を基本に、近年は特にイングリッシュローズを中心に丹精こめて育てられています。美しい薔薇の香に包まれる世界は、仏の曼荼羅にも通じるものとして多くの人に愛されているのだとか。

境内の一画に見つけた鳥居の奥、奉られているのはどのような神でしょう?華やかなバラの花に見守られる狛犬さんたちの表情も心なしか和らいで見えます。

自然界が生み出した美しい花は、神や仏に愛され、人の手を借りてより一層美しく変化し、神や仏の住まう場所を美しく華やかに彩り、人々の心を癒してくれるのです。

境内の奥にはお茶をいただける場所もあり、こんな風にしっとりした庭園を眺める事もできます。バラと言うとそれだけで「洋」をイメージしますが、実は意外とそうでもないのかも・・お寺や神社にとっても良く似合う梅も桜も、考えてみれば「バラ科」の植物ですよね。

参拝日:2006年11月8日

 

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今井の町並み in 奈良県橿原市今井

2023年05月07日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・奈良県

昨日紹介した橿原市今井地区のマンホールに描かれている「今井重要伝統的建造物群保存地区」。今回の訪問の主目的ですが、その散策用の駐車のために訪れた「今井まちなみ交流センター・華甍」が予想外の美しい建物。とても素通りなんて・・・(^^;)。建物は明治36年(1903)に高市郡教育博物館として建てられたもので、昭和4年からは今井町役場として使用。現在は今井町の歴史を解説する資料館とし、今井町の成り立ちや歴史などが詳しく紹介されています。

奈良県橿原市の今井町に残る古い町並みは、中世の環濠集落を発祥とする、称念寺を中心とした寺内町で、江戸時代においても自治が行われてきたという、日本でも極めて珍しい歴史を持つ町です。
ほぼ長方形の区域の中に東西南北方向に方眼状に道路が配されており、現在も町造りが始められた頃の区画がほぼそのまま残っているとの事。町歩きの基点となる路地にはその様子がこのように表示されていました。

中尊坊通りの西よりに建つ「河合家住宅」、重要文化財に指定された建物で、酒造業を営んでいます。今井の町歩きをしていて、思わず足を止めて見入ってしまう建物の数々・・。二階に施された白漆喰塗籠めの壁、それぞれに意匠を凝らした窓。

そして玄関口周りに作られた「駒つなぎ」。その種類の多さもまた見所の一つです。重要文化財に指定されている「豊田家住宅」。こちらの「駒つなぎ」は、かなりの大型のもので、それもまた家の格式を表す目安となります。

豊田家住宅の向かい近くに立つ「称念寺」は、中世末に寺内町として成立した今井町の中核となった寺院で、寺内町の形成、発展を支える町政全般の拠点でもありました。

明治10年の天皇の畝傍御陵行幸の際には、行在所としても利用された格式の高い寺院でも有り、また境内の一角にある「太鼓楼」は、市指定文化財とされています。

東西約600m、南北約310m、面積にして17.4haの地区内に建つ約1500棟のうち、約500棟が伝統的建造物であり、そのうち国の重要文化財が9件、県指定文化財が3件、市指定文化財が5件・・・よくぞこれだけの町並が残されていたものだと思わず感嘆のため息。

長い歴史に裏打ちされた家並み・・町の通りの端々・・この町が見せる表情は、まるで時間の流れが止まったかのような、不思議な心地よさを与えてくれます。

何度も行ったり来たりしたくなる町並み、たった今見た筈の建物にまた新しい発見をして驚き、振り返った先に、さっきまで見えていなかったものが見える・・そんな不思議な繰り返しについつい時の立つのを忘れてしまうほど。

そうそう、楽しいと言えば何種類もある「駒つなぎ」、手を添えて、駒つなぎの大きさが分かるようにして撮り並べて見ました(*^^*)。
最初に紹介する「駒つなぎ」は、今井町の西出口にある今西家のもので、おそらくこの町中では最大のものと思われます。

他にも大小様々、デザインもとりどりの駒つなぎが町歩きに更に趣を添えてくれました。

時間の許す限り、何度も往復して楽しんだ今井町の町歩き、名残は尽きませんがそろそろ帰路に着かなければ、お日様のあるうちに帰り着けなくなります(^^;)

最後は「今井町交流センター」に建立されていた『柿本人麻呂』の歌碑。

明日香皇女が「殯(あらき)宮」に奉られた折に詠める挽歌(巻2:196) 【  明日香川  しがらみ渡し塞かませば  流るる水も のどにかあらまし 】

意訳(明日香川に塞(せき)を渡してとめたら、流れ去る水も皇女の遠ざかることも、ゆるやかになるにちがいないのに)

訪問日:2009年7月18日

 

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ご当地マンホールとマンホールカード in 奈良県橿原市

2023年05月06日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・奈良県

橿原市(かしはらし)は奈良盆地の南東部に位置し、御所市、桜井市、大和高田市、広陵町、田原本町、明日香村、高取町に隣接。奈良市に次ぐ県下第二の都市としても知られています。市域からは「畝傍山・天香具山・耳成山」の大和三山の優美な姿を見ることが出来ます。「市の木:樫」「市の花:くちなし」「市の色:白色 ・緑色・茶褐色」を制定。

キャッチフレーズは「歴史ロマンあふれる都市 人とともに、歴史とともに、やさしく強いまち かしはら 歴史・文化と人がつくる交流都市」

明治22年(1889)、高市郡八木町・今井町・畝傍町・真菅村・鴨公村・磯城郡耳成村が合併、橿原市が発足。同年、高市郡金橋村・新沢村、桜井市の一部を編入。

1957年、大和高田市大字箸喰、磯城郡田原本町大字飯高・大垣・豊田・新口・西新堂)を編入。現在に至ります。

マンホールは橿原市今井「重要伝統的建造物群保存地区」にのみ設置。「今井町伝統的建造物群保存地区の町並み」がデザインされています。

もう一種類もやはり「重要伝統的建造物群保存地区」のみのマンホールで、「駒つなぎ」がデザインされています。道路に敷設されていた駒つなぎのタイルですが、こうして並べてみると、そのデザインの美しさがより一層際立って理解できます。

今井町伝統的建造物群保存地区内の建物に実際に残されている「駒つなぎ」。駒つなぎとは、この家屋に訪れた武家たちが、乗ってきた馬をこの輪に繋いだ事からつけられた名です。

昭和31年9月16日制定の市章は「市の頭文字「カ」を表象し、上部の羽型はトビの雄飛を表し、下部の円形は融和・平和を表し、平和に発展する古代文化の都を表しています。」HPより

市の花「くちなし」がデザインされた樹木カバー。この花は、古代、耳成山に群生していたと伝えられており、昭和51年10月1日に市の花として制定されました。

撮影日:2007年10月20日&2009年7月18日

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2018年8月11日、第8弾として全国76自治体76種類(計364自治体418種類)のマンホールカードの無料配布が開始されました。 「橿原市」のマンホールカードは、今井まちなみ交流センター「華甍」でいただけます。

1994年に設置開始されたマンホールには「今井町の町並み」がデザインされています。

「橿原市にある今井町の美しい街並みを描いています。 今井町は、天文年間(1532~55年)に寺院を中心に形成された寺内町をはじまりとしており、一向一揆に同調して織田信長に反旗を翻した時代を経て、商工業都市として発展しました。 江戸時代には「大和の金は今井町に七分」と云われるまでに繁栄し、独自の通貨を発行する自治都市として幕府に認められるほどでした。 この時代の建造物は現在も多く残っており、町には今でも江戸時代の風情が漂っています。 平成5年には重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、地区内にある約500棟の伝統的建造物は日本一の数を誇ります。」

訪問日:2018年8月11日

 

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ご当地マンホールとマンホールカード in 奈良県生駒市

2023年05月05日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・奈良県

生駒市(いこまし)は奈良県北西部に位置し、奈良市、大和郡山市、平群町、斑鳩町と、また県をまたいで京都府京田辺市、精華町、更に大阪府枚方市、大東市、東大阪市、四條畷市、交野市に隣接。生駒山地や矢田丘陵などの山々に囲まれ、市街地にも小高い丘や山が点在する、複雑な地形をしています。江戸江戸時代に創建された「生駒聖天:宝山寺」の門前町として発展しました。一般的には観光用として設置されるケーブルカーも、ここでは主に生活路線として利用されています。「市の木:イチイガシ」「市の花:菊」を制定。

キャッチフレーズは「市民が創る ぬくもりと活力あふれるまち・生駒

明治22年(1889)、町村制の施行により平群郡北生駒村・南生駒村、添下郡北倭村が発足。

1897年、平群郡、添下郡が生駒郡に変更。

1921年、北生駒村が町制を施行、改称して生駒郡生駒町となる。

1955年、生駒郡南生駒村を編入。

1957年、生駒郡北倭村を編入。

1971年、生駒郡生駒町が市制を施行、生駒市が発足。

マンホールには「たけまるくん」を中心に、「生駒山」「高山茶筌」等がデザインされています。

学研都市としての市の未来像を明るく描いた「近未来都市」をイメージしたデザイン。背景に「近未来都市」、中心に「IKOMA CITY」の文字が描かれています。

生駒市の都市風景が描かれたマンホール。上部にデザイン化された「IKOMA CITY」の文字があります。

2015年7月27日制定の市章は「生駒の「生」の字を上下に広げて図案化したもので、大地にしっかりと足をふんばり、未来に向かって力強く羽ばたく生駒市の姿を象徴しています。」公式HPより

生駒市イメージキャラクター『たけまるくん』。高山の職人さんが、竹のように強い子になるようにとの気持ちをこめて丁寧につくられたそうです。

生駒山上には、近畿広域圏民放および大阪府域のテレビ放送、外国語放送によるFM放送の親局、奈良県域局の親局と中継局が置かれており、かなり遠くからでも電波搭が立ち並ぶ様を見る事が出来ます。

撮影日:2009年4月19日&2018年8月11日

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2018年8月11日、第8弾として全国76自治体で76種類(計364自治体418種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「生駒市」のマンホールカードは、「生駒市アンテナショップ おちやせん」でいただけます。

2018年に設置開始されたマンホールには「生駒山」「たけまるくん」「高山茶筌」がデザインされています。

「生駒市のデザインは、「新!マンホールふたデザイン決定総選挙」と題して2017年10月に実施した市民投票にて、投票総数10,941票の中から2,728票獲得し、見事1位に輝いたデザインです。 電波塔が特徴的な「生駒山」を背景に、市の公式キャラクター「たけまるくん」を中央に配置しています。 その他にも、現存する日本最古のアトラクションである「生駒山上遊園地」の飛行塔、2018年に生誕100周年を迎えた日本最初の営業用「ケーブルカー」のミケとブル、500年の歴史を有する伝統工芸品「高山茶筌」など、生駒市の魅力が詰まった一枚となっています。」

訪問日:2018年8月11日

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大和民俗公園 in 奈良県大和郡山市矢田町

2023年05月04日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・奈良県

大和郡山市の矢田丘陵東部、この地に有形・無形の民俗文化財を収集する「奈良県立民俗博物館」があります。郷土の風俗慣習及びこれに伴う生活用具等、生活の推移の理解に欠くことのできない資料の保存と活用を図り、加えて県民文化の向上に資するため、1974年に開館した」公式HPより

【大和民俗公園は、26.6haの広大な敷地を有する都市公園で、自然との共生の場「里山」を活かしながら、「みんぱく梅林」「みんぱくしょうぶ園」のほか、四季折々の草花や、森林浴・ウォーキングなども楽しんでいただけます。また、公園内には昔懐かしい江戸時代の民家15棟を「町屋」「国中(奈良盆地)」「宇陀・東山」「吉野」の4ブロックに分けて移築復原しており、自由に見学できます。】・・・と言う言葉に釣られ、肌寒い三月の朝、バイクタンデムで「江戸時代の民家」と「梅林」を見に来ました。

園内で最初に目にする建物は、高市郡高取町上土佐に所在していた「重要文化財・旧臼井家住宅」。建築年代は明らかではありませんが、構造手法上、18泄紀前期頃の建築と推定。

土間の一角に半円に配置された竈(かまど)は、主食、副食、湯茶用と幾つにも分けられており、居住者の多さが伺えます。復元されたものなのか、それとも現状で移築されたものなのか・・黒光りする窯が印象的。

大和高田市永和町から移築された「県指定文化財・旧鹿沼家住宅」は、代々米屋を営んだ家。表側の庇部分には格子を飾り、二階の両端には袖壁を付け、中央部に出格子を飾るなど町家特有の姿をよく表しており、建築年代は文化9年(1812)。

時代劇のロケなどにも使われたと言う民家は、橿原市中町より移築された「県指定文化財・旧吉川家住宅」。建築年代は良くわかっていませんが、当家の過去帳によれば、元禄16年(1703)に山ノ坊村より分家した頃の建築と推定。自作農の典型的な農家で、主は代々庄屋を務めたといわれています。

これもまた、そのまま時代劇の中に登場しそうな佇まいの「県指定文化財・旧赤土家離座敷」。もと香芝市狐井から移築されたもので、系図によれば楠木氏を祖とする農家で、庄屋を務めたと伝えられています。正面に屋根だけが見えているのは「県指定文化財・旧萩原家住宅」。桜井市下に所在していた農家で、主は組頭を務めたと言われています。

「国中集落」を出て「宇陀・東山集落」へと向う途中にあずまや風の一角を見つけ、ちょっと一休み。そこには「矢田熊五郎狐」が鎮座されており、首には大層な注連縄まで掛けられています。
「昔、この公園の地に、熊五郎と言う名の狐が住んでいました。熊五郎狐は
大和郡山の中でもたいそう神通力を持った狐であったそうです。村人たちが困ったときは、いつのまにどこからともなくやって来ては助けてくれたそうです。それでいつの日からか、熊五郎様、熊五郎様と人々に崇められるようになりました。今でも、この公園の東側にある小高い丘の上には熊五郎大明神と言う石碑が残っております。ここにある熊五郎狐の前にしゃがみ、あなたの願い事を心に念じ手を打って見てください。手を打つとコーン・コーンと言う声が響けばきっと願い事を叶えてくれます。」

さてさて、ご亭主殿は何を願い念じて、手を打っていたのでしょう(* ̄  ̄)b

矢田熊五郎狐さんがいる場所からすぐの小高い丘に「木馬(きんま)道」と呼ばれる通路が敷設。聞きなれない言葉ですが、これは木材を運搬する為に作られた木の線路のようなものといえばわかりやすいでしょうか。吉野の山深い地域に暮らす人々にとって、木材は貴重な財産であったと思います。それゆえに・・山で生きる人の知恵が生み出したものとは言え、随分過酷な労働であったと思うと・・足が止まります。

「宇陀・東山集落」最初の建物は、山辺郡都祁村大字針より移築された「旧八重川家住宅」。代々農業を営んでいたと伝えられており、建物の形式手法上から19世紀前半頃とされています。

どこか懐かしい匂いのする土間、太い梁には職人の遊びでしょうか?弓と矢が象られていますが、もしかしたら何かの呪いなのかもしれません。

八重川家住宅のすぐ隣に位置する、「重要文化財・旧岩本家住宅」。宇陀郡室生村黒岩からの移築で、農業林業を営み庄屋年寄りを務めたと伝えられています。

屋内に展示されていた「糸繰車」を指差しながら、高知の曾祖母の家にも同じようなものがあったと懐かしそうに教えてくれるご亭主殿。蚕の為の「ヤマグワ」も、お蚕さんの蚕部屋も、どれも懐かしい光景だそうです。

最後は吉野郡十津川村人字旭字迫(セイ)より移築された「県指定文化財・旧木村家住宅」。「迫」は吉野山中でも更に山深い峡谷の中にあり、「迫と背中は見ずに死ぬ」と人々に言わしめた程の秘境だったとか・・そのような地にも人の暮らしがあった事に驚くよりも、完成された住環境に感嘆せずにはいられません。

民家集落を抜けて、140本の梅が植えられた「みんぱく梅林」へ。途中の道々には何とものどかな田園や畑の風景が広がり、その都度足が止まり中々先に進めません(^^;)

こちらの梅林は、蝋梅・紅梅・白梅との事ですが、流石に一番早い蝋梅は見られませんでした。ふんわりと漂う梅の香りの中をそぞろ歩けば、時間の流れが殊更に緩やかに感じられ、時折聞こえるウグイスの鳴き声も子守唄のよう。

訪問日:2006年3月21日

 

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大和郡山城址の桜 in 奈良県大和郡山市城内町

2023年05月03日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・奈良県

豊臣政権の中初期の時代、秀吉の実弟『羽柴秀長』の居城となり、その領国であった「大和・紀伊・和泉」100万石の中心地として発展した郡山城(こおりやまじょう)。江戸時代には郡山藩の藩庁が置かれ、柳沢吉里の入封後は、明治維新まで柳沢氏の居城となりました。

城下町としての歴史的風土を残す大和郡山。城址は「日本さくら名所100選」に選定。

「日本さくら名所100選」の言葉に釣られてやって来た私たち・・道路も駐車場もかなりの混雑。で・・いつも思うのですが、何故わざわざ込み合うと分っている時期に一箇所に集まるのでしょう。桜なんて何処で見ても綺麗だと思うし、疲れない分近くで見るほうがずっと楽な筈なのに・・・と頭では充分に理解しながら、それでも○○の桜が綺麗なんだってと聞くと、バイクだから大丈夫と根拠のない確信に押されて足を運びたくなるのです(笑)

丁度「桜祭り」の開催と重なったようで、予想以上の人出と賑やかさ。パレードなどもあるようで、装いを凝らした一団とすれ違いました。お囃子から察するに阿波踊りの連みたいですが・・何故に阿波?(笑)後方からはリオのカーニバルの一団も・・何故にリオ??(笑)

城址への通路には露天が建ち並び、雑多な匂いが子供の頃のワクワクを思い起こさせます。人ごみは苦手だと言いつつ有名な花の名所に来るのは、もしかしたらこんなお祭り気分を味わいたかったからかもしれません。

兎にも角にも、一応は桜の名所と呼ばれる場所に住んでいながら、わざわざバイクタンデムでここまで来たのです。楽しまないと、せっかくの一日が勿体無いではありませんか( ̄^ ̄;

城址とは言え復元された建物もあるし、歴史的な建造物だって残されていて、見どころは満載。特にお城と桜は抜群に相性がよく、何所を見ても絵になりますね。

高台から見えていた法印曲輪跡に建つ建物は、明治41年に建てられた「旧県立図書館」。明治建築の粋を集める建物として「県・市指定文化財」になり、現在は「市民会館」として活用されています。

本丸内には、旧藩士等によって創立された『柳澤吉保公』をご祭神とする「柳沢神社」が鎮座。折角なのでお参りさせていただきました。

また郡山城毘沙門曲輪には、柳澤保承(やすつぐ)の発意によって昭和35年に発足した柳沢文庫。館内には柳澤家から寄贈された柳澤家歴代藩主の書画や和歌、俳句などの作品や郡山藩の公用記録をはじめとする藩政史料などの古文書等が所蔵されています。

思いがけず見所満載の郡山城址、沢山の花見客がそれぞれに良い場所に陣取ってお弁当を広げて花見の真っ最中。それでも往時の面影をそのままに残す天守台までくると、流石に花見客も少なく打って変わっての静かさ。

実はこの天守台の裏手、北側の石垣には、奈良一帯から徴用された数多くの石地蔵が石垣に組み込まれたまま残されているのです。こうした石は転用石と呼ばれ、大なり小なり他の城でも見かけることはあるのですが、特に奈良は良質な石材が乏しかった為、石地蔵や墓石、仏塔なども徴発(ちょうはつ)し石垣石として使用されました。その中には、平城京羅城門のものとされる礎石なども使われているそうです。

能の開祖である観阿弥が大和国出身という縁により建立された「観阿弥の供養塔」

城址会館前には「森川許六(もりかわ きょりく)」句碑【菜の花の 中に城あり 郡山】

色々と見所一杯の城址公園ですが、流石に花が美しく見られる場所は人が多くゆっくり座ることもできません。という事で桜御門跡まで降りて来ました。

華やかな桜はもちろん美しいものですが、苔むした感じの石垣には松の緑が殊の外よく似合います。おや?何か曰くありげな石柱が・・何々?「伝承 弁慶足形石」・・・・弁慶さんって、日本の至る所に足跡を残してきたんですね(ーー゛);

水を湛えた堀は、城の影を映しこんで、殊更に美しく見えるものです。そこに満開の桜が加われば、それはどんな名人でも描写できない、一瞬を捉えた絵画となります。春爛漫の桜に見送られて家路に向うなんて、随分と贅沢な事(*^^*)

訪問日:2006年4月9日

 

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ご当地マンホール とマンホールカード in 奈良県大和郡山市

2023年05月02日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・奈良県

大和郡山市(やまとこおりやまし)は奈良盆地の北部に位置し、奈良市、天理市、生駒市、安堵町、斑鳩町、川西町に隣接。柳澤藩の城下町として栄えた町で、また佐保川の東側の稗田集落は、中世的な環濠集落の姿を留めていることでも知られています。「市の木:黒松・シダレヤナギ」「市の花:キク・山桜」を制定。

キャッチフレーズは、「平和のシンボル 金魚が泳ぐ城下町」

明治22年(1889)、町村制の施行により、添下郡郡山町・観音寺村・野垣内村・柳町村・高田村・南郡山村・新木村・北郡山村・九条村の区域をもって、添下郡郡山町が発足。

1897年、添下郡が生駒郡に変更。

1941年、生駒郡筒井村を編入。

1953年、生駒郡矢田村・昭和村・添上郡治道村・平和村を編入。

1954年、生駒郡郡山町が改称・市制を施行し、大和郡山市が発足。

1957年、生駒郡片桐町を編入、現在に至っています。

マンホールには青海波を背景に、伝統産業である金魚が鮮やかに描かれています。

こちらのカラーマンホールは、郡山城址に向う坂道の途中に設置。

こちらは、市役所近くの商店街「菊屋老舗」の前に設置。

名産の金魚をモチーフにした「やめようポイ捨て」のデザインストリーマー(デザインプレートを貼り付けたマンホール)で、二種類あるそうです。

大和郡山市における金魚養殖の由来は、享保9年(1724)に柳澤吉里候が甲斐の国から大和郡山へ入部のときに始まると伝えられています。幕末の頃になると藩士の副業として、また明治維新後は、職禄を失った藩士や農家の副業として盛んに行われるようになりました。市内に数多く見られるため池は、金魚の養殖池として用いられているものです。

昭和49年1月17日制定の市章は「大和郡山市は江戸時代の中期享保9年(1724)以後明治まで代々柳澤藩治下の城下町でした。市章はその柳澤藩の紋所「郡山花菱」を図案化したものです。」HPより

柳澤藩の紋所「郡山花菱」

2002年8月18日制定のマスコットキャラクターは「かわいい「金魚」が「城下町」の澄んだ水の中を、気持ちよく「泳ぐ」姿をイメージしています。また江戸時代、金魚は木の桶で飼われ、当時ほとんどの人々は、真上から、その姿を観賞していたといいます。この真上から見た金魚の姿も、「城下町の金魚」を表しています。」HPより

撮影日:2009年4月29日&2017年4月26日

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2006年4月、冒頭の金魚のモニュメントの近くで偶然見つけた「金魚のマンホール」。金魚の町と言うだけ有ってマンホールまで金魚、こんなのって他にもあるのかしら?と・・・その時面白がって写した写真が、私とご当地マンホールとの初めての出会いでした。本来なら、写し方の下手なマンホールは、撮り直しの機会が有れば入れ替えているのですがこれだけはどうしても捨てられない、大切な記念の一枚です。

ちなみに大和郡山の観光案内所では、このような金魚の飾りが訪れる人の目を楽しませてくれます。

撮影日:2006年4月9日

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2016年8月1日、第2弾として全国40自治体で44種類(累計64自治体74種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「大和郡山市」のマンホールカードは、「大和郡山市上下水道部庁舎2階下水道推進課」でいただけます。

1989年に設置開始されたマンホールには、青海波を背景に「金魚鉢で泳ぐ金魚」がデザインされています。

「大和郡山市の代表的な地場産業である「金魚養殖」の金魚が、金魚鉢の中を元気よく泳ぐ姿を図案化して製作したマンホール蓋です。 美しい水環境のシンボルとして、1989年から使用しています。大和郡山市の金魚養殖は享保9年(1724年)、柳澤吉里候が甲斐から 大和郡山へ入部したことに端を発すると伝えられ、幕末には藩士の副業として盛んに行われるようになりました。 それ以来歴史を積み重ね、今では毎年4月上旬に金魚品評会が桜花爛漫の郡山城址内の柳澤神社で行われるほか、 8月下旬には金魚スクエアで「全国金魚すくい選手権大会」が開催されるなど、大和郡山の風物詩になっています。」

第2弾までの全国マンホールカード配布一覧

訪問日:2017年4月26日

 

コメント (4)
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