車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

灘五郷(御影郷)菊正宗&瀧鯉 in 兵庫県神戸市東灘区

2023年06月20日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

神戸市東灘区・御影地区の酒蔵地帯・御影郷「菊正宗」・「白鶴」・「剣菱」・「福壽」・「灘泉」・「泉正宗」・「大黒正宗」などの銘柄が醸されています。

神戸市東灘区魚崎西町にある「菊正宗酒造記念館」。館のテーマは、「酒造りの原点を知ること。酒造りの過程から用具類に至るまでの知識や現物とのふれあい、灘の酒を醸す技・水・米・風土、酒造りの情熱や伝統にまつわるこだわり、また日本酒をめぐる新しい楽しみ方や文化の姿・・・など現在・過去・未来を自在に駆けめぐる日本酒の世界を展開し、「知るは楽しみなり」をあますことなく感じ取れる空間です。」公式HPより

旧酒造記念館は、万治2年(1659)に神戸・御影の本嘉納家本宅屋敷内に建てられた酒蔵を、昭和35年に現在の地に移築。国指定・重要有形民俗文化財の「灘の酒造用具」や小道具類566点等を展示する「酒造記念館」として一般開放されました。

しかし阪神淡路大震災によって旧酒造記念館は倒壊。幸いにもがれきの下から手作業で拾い出した酒造用具や小道具類は、ほとんどが無事、あるいは修復可能な状態であった為、全面建て替え工事の末、4年後の1999年1月に復興オープンしました。

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神戸市東灘区御影石町にある「瀧鯉蔵元倶楽部・酒匠館」。門を入った私たちを出迎えるのは、宝暦8年(1758)の建築とされる「木村酒造:長屋門」

当時のパンフレットには「今でも機械にたよらず、杜氏や蔵人の手仕事で酒造りが行われている」と紹介されていました。杉玉と注連縄がこんなに似合う佇まい・・さすがに某TV局がロケ地として目を付けただけのことはあります(笑)

漆喰壁やマホガニーを多用した洋館風の内装が施された応接室は、阪神淡路大震災で被災するまでは、事務所として使用。震災以降は、有料で試飲ができるサロンとして開放。酒匠館ショップでは、保冷貯蔵タンクから目の前で瓶づめをした旬の酒の量り売りもやっています。

しかしながら、2009年に廃業により閉店。【瀧鯉】の銘柄は「桜政宗」に引き継がれましたが、歴史ある素晴らしい建物は取り壊され、更地となったと聞きました。

訪問日:2006年9月23日

 

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灘五郷(西郷)沢の鶴 in 兵庫県神戸市灘区

2023年06月19日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

神戸市灘区新在家・灘五郷の一つで大石地区の酒蔵地帯・西郷。ここでは「沢の鶴」・「金盃」・「富久娘」などの銘柄が醸されています。今回お邪魔させて頂いたのは、神戸市灘区大石南町にある「昔の酒蔵:沢の鶴資料館」

「昭和53年11月、古い酒蔵をそのままに酒造りに関する民俗文化財を収蔵・展示した資料館として公開。昭和55年には酒造り道具とともに兵庫県重要有形民俗文化財に指定。平成7年1月に発生した阪神淡路大震災で大石蔵は全壊。1999年3月に最新の免震システムを施した2階建の沢の鶴資料館が再建され、「西郷」における酒造りの歴史を伝える民俗資料館として公開されています。」公式HPより

入口を入って最初に入館者を出迎えるのは、東大寺館長『清水公照氏』の作による「酒精円座」。酒の精霊と言うにはあまりにも迫力がありすぎるような、不思議な強さを与えてくれる作品群。

資料館の再建にあたって、過去の酒蔵の構造を解明するために神戸市教育委員会による発堀調査を実施。その結果、半地下式の「槽(ふな)場(醪から酒を搾る作業場)」が発見されました。地下構造の槽場は、全国でも珍しい構造だそうです。

181種類、2884点にも及ぶ酒造り道具の数々。現役から退いた道具たちは、県重要有形民俗文化財の指定を受け、静かに酒造りの歴史を語り続けています。

二階展示室

展示室の大部分を占有する帆船は、十分の一で再現された「樽廻船」。江戸における大消費地への大量輸送を可能にし、灘酒隆昌の一因となりました。

室を利用した麹づくりの様子

沢の鶴家紋入りの瓦。「※」 は、創業者『米屋喜兵衛』の職業が米屋だった事に由来。

「澤の鶴記念碑」

沢の鶴資料館のすぐ側、神戸市灘区大石南町に鎮座される「住吉神社」。主祭神は『天照皇大神』。『底筒男命・中筒男命・表筒男命』を配祀。

由緒「当社は、「敏馬神社御旅所」として、大石に鎮座。旧記は元文年間(1736~)の大石村の大火により焼失したが、旧聞によると、御神体は天和年間(1681~)に大石村の海中より御出現され、社殿を造営し奉斎した。社殿は、文化11年(1814)と昭和10年に改築したが、阪神淡路大震災にて倒壊、2002年に再建。」兵庫神社庁HPより

拝殿前より神域を守護されるのは浪花タイプの狛犬さん一対。角を持つ吽形さんの顔が何故かにやけて(笑)。

相方がしっかりしてくれないと、阿形さんもいろいろと大変そう(^^;)

訪問日:2006年9月23日

 

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舞子公園と移情閣 in 兵庫県神戸市垂水区

2023年06月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

神戸市垂水区東舞子町、その昔、垂水区の西側あたりから明石市の東あたり一帯の浜は「舞子の浜」と呼ばれており、須磨の浜と並ぶ名所として知られていました。『歌川広重』の「播磨舞子の浜」では、風と波の作用によって自然に「根上り松」のような形となった白砂青松の美しい海岸風景が描かれています。

昭和61年(1986)から始まった「明石海峡大橋」の建設。関連工事によって新しく南側の埋立地が県立舞子公園として整備され、週末には明石海峡大橋などを目当ての観光客も数多く訪れ、市民にも憩いの場となっています。

今回の私たちのお目当ては、舞子公園内に2000年に移築された「孫文記念館 」。旧称は「孫中山(そんちゅうざん)記念館」。大正4年(1915)に建築された日本最古のコンクリートブロック造建造物として、国の重要文化財に指定されています。

建物は、当時神戸で活躍していた華僑の貿易商で相場師の『呉錦堂(ご きんどう)』の、舞子海岸にあった別荘「松海別荘」を前身としています。大正4年の春、その別荘の東側に八角三層の楼閣「移情閣」が建てられ、外観が六角に見えるところから、地元では長らく「舞子の六角堂」として親しまれてきました。

私が初めて舞子の浜で「六角堂」を見たのは、小学生の時・・。夏休みの宿題の題材にと、明石に住む叔母がここに連れてきてくれました。絵が描き終わるまでの長い時間を付き合ってくれた事・・いま改めて懐かしく思い出しています。

海岸に座って写生をした記憶の中の六角堂はこんなに鮮やかで綺麗でなかったけれど、こんなに上から下まできちんと見えなかったけれど・・・「異国風の建物ってなんだか素敵だ」と思ったのは確か。

多分この時の出会いが、日本に残された洋風建築に対する興味への第一歩であったのだと、今ならはっきり断言できます。

本来ならば建物内の見学も楽しみたかったのです。特に八角形の中国式楼閣の「移情閣」・・この別称は「八方どの窓からも違った景色に出合い、我を忘れる」ということから名づけたとも言われています。六甲山地、瀬戸内海、淡路島、四国と「移り変わる風情」を楽しめる、それを自身の目で見て記憶に留めておきたかった・・

それでも、今度はここをメインにまた来ようと言われて納得したのは私。何しろバイクタンデムでの帰省の途中・・。内部の見学なんてし始めたら実家に辿り着くのは真夜中になります。

隣接する橋の科学館も、ほんの入り口だけで終了。広大な公園の散策も明石海峡に架かる大橋を下から見上げて終了。

ああ、そう言えば、本州四国連絡高速道路・本州四国連絡橋のマスコットキャラクター『わたる君』と、ツーショットで写真だけ写したかな。 

綺麗に整備された舞子の浜公園から見る明石海峡大橋、向こうに見えるのは淡路島です。「淡路花博」の為に初めてこの橋を渡ったのは2000年、それから7年後の2007年に「おのころパーク」に。ねぇ、いつかそのうち、明石海峡を渡ってマンホール収集に行こうね・・・そんな風に語らっていたいつかそのうちは、翌年の2010年9月、4度目の車中泊地として実現しました。

訪問日:2009年9月19日

 

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神戸市内あちこちウォッチ in 兵庫県神戸市

2023年06月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

神戸市中央区、JR神戸駅東側に位置し、海を見下ろす立地の観覧車が目印の「神戸ハーバーランド」。昭和57年(1982)11月に貨物駅としての営業を終了した旧国鉄の湊川貨物駅や沿岸一帯の工場の跡地約23haを、昭和60年に再開発。1992年9月に街開きされました。

対岸のメリケンパーク側に神戸ポートタワーや神戸海洋博物館といった観光施設が揃うのに対し、ハーバーランド側には神戸モザイクなどの複合商業施設が林立しており、少し大人のお洒落な神戸といった感じでしょうか。

で、今回モザイク側を選んだ理由は、何かのチラシで目にしていた「モザイクジャズフェスティバル」。海を見ながらジャズに触れられるなんて、いかにもお洒落な神戸に似合いのイベント(⌒∇⌒)

と・・・とても楽しみにしていたのですが、すでに演奏者の周囲は黒山の人だかり。軽快な音楽は聞こえますが、人垣の中に立っていると、香水なのか、葉巻なのか、それとも体臭なのか・・・何とも形容しがたい匂いにむせて咳が止まらなくなり、早々に退散(^^;) しばらく海風に吹かれて呼吸が整うのを待つことに。

そんな時、高浜岸壁の南端にちょっと不思議な建造物を発見。側の説明で神戸港に現存する最古の信号所建造物「旧新港第五突堤信号所」と知りました。1990年に新港第5突堤で信号所としての役割を終え、今はハーバーランドのシンボルタワーとして人々を出迎えています。

折角のハーバーランド訪問でしたが、もう一度あの人ごみの中に戻る気力も無いので、早々に帰路に着くことに。バイクに戻る道すがらに見かけた「史跡 明治天皇御用邸跡」の碑。

二つの「稲荷大明神」の鳥居額が掛かる朱の鳥居。祠は清潔にお守りされています。

神戸市内にはかなりの数の歴史的な建造物(ビルディング)が残されています。まだデジカメがなかった頃、ビルディング巡りをして沢山の写真を残しましたが、今はその元気もなく(^^;) 手元にはバイクのタンデム席から通りすがりに写した写真がわずか二~三枚。ここは三宮の高架下、当時大学生だったご亭主殿が二度目のデートで連れて行ってくれた場所ですが、おもちゃ箱をひっくり返したような商店街にワクワクしたのを覚えています。

「神戸朝日ビルディング」は明治44年(1911)旗手組の施工。昭和9年(1934年)に建てられた旧神戸証券取引所の外観部分を低層部に再生利用し、1994年に「旧日豪会館」として竣工されました。アーチ型のファサードが印象的で、クリスマスシーズンには毎年可愛らしいクリスマスツリーが飾られることでも有名です。

「商船三井ビルディング」は、大正11年(1922)に大林組によって、旧大阪商船神戸支店として竣工。大正期のオフィスビルとして唯一現存する建物で、海岸通沿いに面して建つレトロな建物のなかでも、ひときわ目をひくアメリカルネサンス様式の華やかなビルです。

東洋一の貿易港として賑わった神戸の中心部、旧居留地の最南端を走る海岸通。そこには他にもまだ幾棟かの建物があり、ほぼ全部が国の登録有形文化財に指定されています。1995年、未曽有の大震災を経て、それでもなお不死鳥の如く復活した神戸の町並み。その建物をもう一度ゆっくりと見て歩きたいと思いながら、結局・・叶わずに終わってしまいました。

訪問日:2007年5月5日

 

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ご当地マンホール in 兵庫県神戸市須磨区

2023年06月16日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

神戸市須磨区(すまく)は六甲山系西端の鉢伏山・鉄枴山が海近くまで迫る神戸市の西部に位置した町です。「須磨」の地名は隅っこの「スミ」が転訛し、それに当て字したものといわれ、『源氏物語』や治承・寿永の乱(源平合戦)の一ノ谷の戦いなどに、その名を見る事が出来ます。また、須磨海岸は古来より白砂青松の美しい砂浜を持つ海岸として有名で、多くの人に親しまれてきました。 須磨海浜公園の一角には、明治17年(1884)に木造灯台を改築し、日本最古の鉄骨製灯台として国の登録有形文化財となった須磨の赤灯台「旧和田岬灯台」があります。

明治22年(1889)、町村制の施行により、八部郡須磨村が発足。

1896年、須磨村の所属郡が武庫郡に変更。

1912年、須磨村が町制を施行、武庫郡須磨町となる。

1920年、 神戸市に編入。

1931年、神戸市での区制の施行により、神戸市須磨区となりました。

山陽須磨駅前にある「須磨駅前商店街」に設置されたマンホールは。戦国歴史ロマン紀行「一の谷源平古戦場」と、「ようこそ須磨へ」の文字。

「須磨寺 源平の庭」は、平敦盛遺愛の青葉の笛や弁慶の鐘、さらに敦盛首塚や義経腰掛の松など、多数の重宝(じゅうほう)や史跡があり「源平ゆかりの古刹」として知られる寺院。

「敦盛塚」は、源氏の武将『熊谷直実』に討たれた『平敦盛(16歳)』の供養塔。

「現光寺」、江戸時代の地誌によれば、この地が『光源氏』の居住地であると伝えられ、昔は「源光寺」「源氏寺」とも呼ばれていました

「松風村雨堂」、都から流されてきた在原行平(業平の兄)が美しい姉妹「もしほ」と「こふじ」に出会い、「松風」「村雨」と名をつけて愛しました。行平帰京の後も姉妹の想いは変わらず、行平の須磨での住居の傍らに建てた庵跡。

「須磨離宮公園」は、鉄拐山、鉢伏山を含む傾斜地と海岸沿いの松原から形成された景勝地。

「網敷(つなしき)天満宮」は、菅原道真が大宰府への左遷の途上で立ち寄り、その際に里人が綱で円座を作ったという伝承を持つ神社。

「白砂に椰子の木」「ようこそ須磨へ」の文字。

「須磨海岸」の文字と「ヤシの木」、白砂に並ぶ「ピーチパラソル」

「市立須磨海浜水族園」

「ようこそ須磨へ・須磨水族館マンホール」は、JR須磨駅付近の若宮商店街に設置。下の四つのマンホールは、若宮小学校の子供たちが描いた水族館の絵です(*^^*)

須磨海浜公園・須磨海浜水族館路上タイル画

撮影日:2008年5月5日&2009年9月19日

 

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ご当地マンホール:規格蓋編~他 in 兵庫県神戸市

2023年06月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

神戸市は地理的に東京と九州の中間地点に位置しており、明石海峡大橋を介して淡路島や四国にも通じ、交通の要衝として位置づけられています。幕末の開港以来、舶来品や西洋文化の流入する日本の玄関口となり、今なお旧居留地や北野異人館街などの街並みに往時の歴史や影響を見ることができます。明石市、三木市、三田市、宝塚市、西宮市、芦屋市、稲美町、更に海上を隔てて淡路市に隣接。 市域は垂水区・須磨区・長田区・兵庫区・中央区・灘区・東灘区・北区・西区の9区から構成されています。「市の木:サザンカ」「市の花:紫陽花」を制定。

キャッチフレーズは「「ひと」を「たから」とし、新たな豊かさをともに創造する、「協創」のまちへ」

明治40年(1907)5月制定の市章は「 神戸の港は、もともと「扇港」とも呼ばれていました。 また、「兵庫」と「神戸」のふたつの港が扇を並べたような形をしているという理由で、神戸の旧かな遣いである「カウベ」のカの字を図案化したものです。」公式HPより 

「神戸・下水道の歩み館」展示マンホール

中央に神戸市市章、C.C.BOX(電線共同溝)マンホール。

中央に「水の字を図案化した・六剣水マーク」の神戸市水道局徽章付き「遮断弁室」カラータイプ親子マンホール。

長い髪の部分を山並みに見立て、神戸の街並み、街路樹、風見鶏、ヨットが描かれた消火栓。

ポートタワーと神戸海洋博物館、うろこの家、ガス灯、神戸港と神戸大橋、 中央に風見鶏の館が描かれた消火栓。

神戸港、ポートタワー、六甲山のぶどうとワイン、ベーカリーショップ、神戸大橋、花火、 風見鶏の館、ロープウェイ、布引の滝、中華街が描かれた消火栓。

市章と神戸市水道局徽章付き消火栓

「KOBE」をデザイン化した空気弁

神戸大橋と神戸タワー、カモメが描かれた測量基準点の蓋。

三ノ宮市民の花:紫陽花、神戸大橋、ポートタワー、六甲山、チャイナタウン、風見鶏が描かれた側溝蓋。(三ノ宮駅高架下の商店街入口設置)

「神戸・下水道の歩み館」旧御影町展示マンホール。中央の町章は昭和4年1月制定。「御影の松」に因んで3本の松葉を組み合わせたもの。」

神戸市長田区「長田のげんきくん」

神戸市基準点

阪神高速PAに設置された電気マンホール、中央に「h」とあります。

三ノ宮駅のすぐ近くにあった観光タイル、メリケン波止場や市章山が描かれています。

神戸ハーバーランドの一角にあった方位タイル、操舵輪が描かれています。

撮影日:2007年5月5日&2008年5月05日

2009年9月19日&2017年11月17日

 

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ご当地マンホール:デザイン編 in 兵庫県神戸市

2023年06月14日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

神戸市(こうべし)は兵庫県南東部に位置し、兵庫県の県庁所在地及び最大の都市で、政令指定都市。市名は三宮・元町周辺が古くから生田神社の神封戸の集落「神戸(かむべ)」であったことに由来。海と山の迫る東西に細長い市街地を持ち、十分な水深のある扇状の入り江部に発展した理想的な港湾・神戸港を有する日本を代表する港湾都市です。大正から戦後の高度経済成長期にかけて、東京市・横浜市・名古屋市・大阪市・京都市と共に六大都市の一角を担ってきました。また、市内各所には歴史的な名所旧跡が数多く残されており、日本有数の観光地としても知られています。

1868年(慶應4年)、八部郡神戸村・二ツ茶屋村・走水村が合併して神戸町が発足。

1872年(明治5年)、八部郡神戸町が生田宮村・中宮村・花熊村・北野村・宇治野村を編入。

1879年(明治12年)、郡区町村編制法の兵庫県での施行により、八部郡神戸町・兵庫町・坂本村の区域をもって神戸区が発足。

明治22年(1889)、町村市制の施行により神戸市、八部郡湊村・林田村・須磨村が発足。

菟原郡都賀浜村・都賀野村・六甲村・御影町・住吉村・魚崎村・本庄村・本山村が発足。

明石郡垂水村・伊川谷村・玉津村・櫨谷村・平野村・押部谷村・神出村・岩岡村が発足。

八部郡山田村、有馬郡湯山町・有野村・八多村・道場村・大沢村・長尾村、美嚢郡淡河村が発足。

1895年、都賀野村が改称し、菟原郡西灘村となる。

1896年、八部郡湊村・林田村および須磨村大字池田を編入。有馬郡湯山町が改称して有馬町となる。同年、八部郡と菟原郡を武庫郡に統廃合。

1912年、 須磨村が町制を施行、武庫郡須磨町となる。

1914年、都賀浜村が町制施行・改称し武庫郡西郷町となる。

1920年、武庫郡須磨町を編入。

1928年、垂水村が町制を施行、明石郡垂水町が発足。

1920年、湊村・須磨町・西郷町・西灘村・六甲村・垂水町・有馬町・御影町・魚崎町を編入。

1929年、武庫郡西郷町・西灘村・六甲村を編入。

1931年、 区制を施行。葺合区・神戸区・湊東区・湊西区・林田区・須磨区・灘区を設置。

1933年、湊西区が兵庫区に改称。

1941年、明石郡垂水町を編入。須磨区の一部となる。

1945年、区を再編し、生田区、長田区を新設。翌1946年、垂水区を設置。

1947年、武庫郡山田村・有馬郡有馬町・有野村・明石郡伊川谷村・玉津村・櫨谷村・平野村・押部谷村・神出村・岩岡村を編入。

1950年、武庫郡御影町・住吉村・魚崎町、本庄村・本山村を編入。東灘区を設置。

1951年、有馬郡八多村・道場村・大沢村を編入。

1955年、有馬郡長尾村を編入。

1958年、美嚢郡淡河村を兵庫区に編入。

1973年、北区を設置。1980年、中央区を設置。1982年、西区を設置。現在に至っています。

マンホールには、「錨山・市章山」を背景に、ポートアイランドの風景がデザインされています。(神戸・下水道の歩み館:展示)

神戸市中央区三宮町三宮センター街南地区設置。「センターサウス通り」「CENTER SOUTH-DORI」

市章を中心に「錨山・市章山」「稲穂」がデザインされた、集落排水マンホール。(神戸市北区淡河町に設置)

中央区加納町の東遊園地設置。「夢灯す 光の彫刻 神戸ルミナリエ SINCE 1995」

「灘百選」「灘郷・酒蔵の道」のシールマンホール。 灘区の木「桜」と、灘地区酒蔵通りがデザインされています。

灘区の木「桜」をバック、「樽仕込み」の風景

灘区の木「桜」と「沢の鶴資料館」

「神戸・下水道の歩み館」展示マンホール

「神戸王子動物園・パンダ・ゾウ・コアラ・トラ・キリン・フラミンゴ・チンパンジー」

有馬地区マンホール、「ロープウェイ」「もみじ」「有馬川」

「錨山と市章山」「旅客機・旅客船」「神戸市役所・神戸ポートタワー・風見鶏」、右端に「東水環境センター:汚泥消化タンク」。

「東水環境センター:汚泥消化タンク」

第1回マンホールデザインコンテスト「みなとまちこうべ」。小中学生の部:最優秀作品。

第1回マンホールデザインコンテスト「みなとまちこうべ」。一般の部最優秀作品。

 三宮センター街誕生70周年記念マンホール「万年暦」

明日はコアなファン向けの規格マンホールと、上水道関連の小型ハンドホール等の紹介です。

撮影日:2008年5月5日&2009年9月19日

&2010年5月4日&2017年11月17日

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兵庫県神戸市A&Bのマンホールカード

2023年06月13日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

2016年4月1日、第1弾として全国28自治体で30種類の マンホールカードの配布が 開始されました。「神戸市A」のマンホールカードは、「東水環境センター:東灘処理場」でいただけます。

2015年に設置開始されたマンホールには、王子動物園の「パンダ・コアラ・ゾウ・キリン・フラミンゴ・トラ・チンパンジー」がデザインされています。

「このアニマルデザインのマンホール蓋は、神戸市立王子動物園との共同開発で、2015年7月に設置されました。開園65周年を迎える 王子動物園の2大人気動物のジャイアントパンダとコアラ、鮮やかな色を集団で魅せるフラミンゴ、定番人気のゾウ、キリン、トラ、チンパンジーの 7種類の動物をイラスト化し、「好きな動物に会えるワクワク感」が感じられるマンホール蓋です。カラーの蓋は動物園入り口付近に1か所、彩色 されていない蓋は動物園周辺に12か所設置されています。探してみてください。」

東灘処理場施設見学時に頂いたパンフレット

館内・カードデザイン展示マンホール

処理場展示「レンガ造りの下水道」

「東水環境センター」の案内図マンホール展示蓋。

訪問日:2017年11月17日

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マンホールカード、いただきました。

2021年4月25日、第14弾として41自治体で41種類(累計575自治体758種類)の マンホールカードの無料配布が開始されました。「神戸市B」のマンホールカードは、「神戸市ポートアイランド処理場」でいただけます。

2017年に設置開始されたマンホールには「山並みと船」と「飛行機」などがデザインされています。

「市民自らの手でデザインしてもらう初めての企画「第1回マンホールデザインコンテスト」を2016年に実施しました。 このデザインは、市内から75作品の応募があった小中学生の部で最優秀作品に選ばれたものです。 神戸らしさが表現され、長く愛されるデザインとして、「みなとまちKOBE」をテーマにしています。 山を波に見立て、その上を船が走るという、子供らしさに溢れるデザインです。 神戸空港から来た飛行機も描かれており、「神戸が大好き」という作者の思いが込められています。 神戸市の中心地、三宮に設置されていますので、ぜひ探してみてください。」

東水環境センター・東灘処理場展示マンホール

 

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ご当地マンホールとマンホールカード in 兵庫県

2023年06月12日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

兵庫県(ひょうごけん)は日本の近畿地方に位置する県です。京都府、大阪府、鳥取県、岡山県、海上を隔てて和歌山県、香川県、徳島県に隣接。県内には29市12町の自治体が属しており、県庁所在地は神戸市。県域は日本を縦に網羅しており、大阪湾に面した南部は平野部。中部・北部の大半は山地・丘陵地帯であり、中央部を東西に横ぎる中国山地は、長く交通の難所となっていました。厳しい環境の中部北部とは対照的に、人口や大型産業は南部に集中。このような過密と過疎を平均した、県単位の産業活動指数が全国平均であることから、日本の縮図と言われる事もあります。県名は、現在の神戸市兵庫区に役所が置かれたことに因むと言われています。「県の木:クスノキ」「県の花:のじぎく」「県の鳥:コウノトリ」を制定。

日本海

神戸市兵庫区御崎町「御崎公園球技場」

キャッチフレーズは「あなたに会いたい兵庫がいます」

慶応4年/明治元年(1868)、兵庫鎮台を設置。翌2月、兵庫鎮台を兵庫裁判所に改める。摂津国185村、播磨国209村の幕府領と、摂津国26村、播磨国108村の旗本領を管轄。5月、兵庫裁判所を廃止し、兵庫県を設置。

1869年、 豊崎県を編入。9月、 旧豊崎県摂津国西成郡・東成郡・住吉郡を大阪府に移管。

1871年、徳島藩淡路国津名郡43か村浦を編入。第1次府県統合により摂津国西部の3県が統合、改めて兵庫県が発足。播磨国10県を統合して姫路県を設置。11月、姫路県が飾磨県に改称。淡路国全域を名東県に編入。

1876年、第2次府県統合により兵庫県・飾磨県が統合、改めて兵庫県が発足。豊岡県より但馬国および丹波国氷上郡・多紀郡を、名東県より淡路国全域を移管。

流域下水道マンホールには、県章を中心に「県の花:ノジギク」が全体に描かれています。

スカイランドHARADA管理事務所展示マンホール

池田市マンホールサミット展示蓋

デザインは同じで加古川下流流域下水道

「揖保川下流流域下水道」

「武庫川下流流域下水道」

大正10年に制定された県章は、兵庫県の「兵」の字をもとにしたものです。

舗道タイルに合わせたCCB道路通信マンホール

兵庫県では近年のマンホール人気の高まりを受け、兵庫県教育委員会が2019年に発行した「ふるさと兵庫魅力発見!」の冊子内に、「マンホールから兵庫県を見てみよう」という項目を作成。見開きページに幾つかの自治体のマンホールが紹介されています。

とはいえ、県内(新旧)全自治体のマンホールとなればその種類も多く、当然ですがごく一部しか掲載されていません。今日から、冊子に登場していない自治体のマンホールも含め「ご当地マンホール in 兵庫県〇〇市町村」で、順次、紹介していきます。

(マンホール画像提供:当ブログ)

上記の小冊子にも登場しているキャラクターは、フェニックスをモチーフに2005年に生まれた『はばたん』。第61回「のじぎく兵庫国体」。第6回全国障害者スポーツ大会「のじぎく兵庫大会」のマスコットとして両大会をPR。2007年4月からは兵庫県のマスコットとして活躍しています。

兵庫県警察シンボルマスコットは、1997年に特別天然記念物こうのとり増殖センターで生まれたコウノトリの『こうへいくん・まもりちゃん』兄妹。公平でみんなの安全を守るために頑張っています。

兵庫県の鳥「コウノトリ」は絶滅が危惧されており、1956年に特別天然記念物に指定。豊岡市にある「兵庫県立コウノトリの郷公園」では、コウノトリの保護・飼育・増殖と共に、野生化への取り組みがなされ、2014年4月現在、野外の生息羽数は約70羽に達しました。

兵庫米シンボルマーク『ひょうちゃん』

ちなみに兵庫県のHPでは、県章ではなく県旗が使われていますが、特にそれに関しての理由は無いそうです。

兵庫県最大の島「淡路島」は、世界最長の吊橋「明石海峡大橋」で結ばれています。これによって海運は壊滅的な打撃を受けましたが、それ以上に淡路島はとても近くになりました。

撮影日:2008年5月2日&2009年5月3日&

2014年11月15日&2018年6月2日

(※)神崎郡神河町(かみかわちょう)は未訪問の為、記事はありません。

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2018年4月28日、第7弾として全国49自治体で49種類(計301自治体342種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「兵庫県」のマンホールカードは、「原田処理場(スカイランドHARADA管理事務所)」でいただけます。

1968年に設置開始されたマンホールには「兵庫県章」と「県の花:のじぎく」がデザインされています。

「兵庫県は、摂津、播磨、但馬、丹波、淡路の個性豊かな五国からなり、大都市から多自然地域まで多様な土地に多彩な地域特性が凝縮され「日本の縮図」とも言われています。 兵庫県の流域下水道は50年以上の歴史を誇り、約200万人の下水処理を担っています。 本マンホール蓋は、兵庫県の「兵」の字をデザインした徽章を中央に描き、古くから親しまれている県の花「のじぎく」を周囲にちりばめた絵柄となっています。 のじぎくは日本古来のキク科の多年草で、主に兵庫県より西の瀬戸内海沿岸に分布し、11月頃、白く可憐な花を咲かせます。」

訪問日:2018年5月1日

 

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ご当地マンホール in 奈良県広陵町

2023年06月11日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・奈良県

北葛城郡広陵町(こうりょうちょう)は奈良県の中西部、北葛城郡の南東部に位置する町です。 橿原市、香芝市、大和高田市、河合町、上牧町、田原本町、三宅町と隣接。奈良県の町では最も人口が多く、町名は「和名抄」にある大和国広瀬郡の「広」と、丘陵地帯の「陵」から名づけられました。特別史跡である巣山古墳や、竹取物語ゆかりの延喜式内社・讃岐神社が鎮座するなど、古い歴史を有しています。「町の木:モクセイ」「町の花:ヒマワリ」を制定。町では「いにしえのロマン:かぐや姫のまち」をキーワードとして様々な取り組みが成されています。

キャッチフレーズは「元気でやさしい町づくり」

明治22年(1889)、町村制の施行により、広瀬郡馬見村・瀬南村・百済村・箸尾村が発足。

1897年、郡制の施行で広瀬郡が北葛城郡に変更。

1927年、箸尾村が町制を施行、北葛城郡箸尾町となる。

1953年、馬見村が町制を施行、北葛城郡馬見町となる。

1955年、北葛城郡馬見町・瀬南村・百済村が合併、北葛城郡広陵町が発足。

1956年、北葛城郡箸尾町を編入、現在に至ります。

マンホールには汚水・雨水ともに「かぐや姫のまち」の文字と、竹取物語に由来する竹林がデザインされています。

こちらには汚水・雨水ともに「町の花:ヒマワリ」がデザインされています。

昭和33年1月17日制定の町章は「広の図案化で、丸は町の和。上に伸びた形は発展を象徴。」公式HPより

マンホールにも書かれた「かぐや姫のまち」は、竹取物語ゆかりの神社「讃岐神社」が鎮座している事に由来します。竹取の翁は『讃岐の造(みやつこ)』と呼ばれていることから、竹取物語の舞台は大和国の広瀬郡散吉(さぬき)郷(現広陵町三吉)と考えられること。また、かぐや姫に求婚をした五人の貴族が住んだと想定される藤原京からも十分に通える距離であること等が元となっているようです。

さて・・この竹取の翁が住んでいたと言われる地について、奈良にはもう一か所「高取町」がそうではないかと云われています。高取(たかとり)と竹取(たけとり)の語呂から、竹取の翁の住いは当地だったのではないか。都が飛鳥に置かれていたとするなら、距離的には高取町は物語でいうところの「都の外れ」・・・古の物語は決して単なる「お伽噺」ではないというのが私の持論(笑)。色々と考えを巡らせると「もしかしたら」とか「ああ!!そうなのか!」と頷ける云い伝えや事柄に出会え、小さな旅もより深く楽しいものになっていきます。

撮影日:2009年6月27日&2018年4月28日

バイクタンデムでのマンホール収集が主目的だった奈良県。ブログを書き終えて改めて振り返ってみると、名所旧跡・寺社への訪問がほとんど無かったことに改めて気付いてしまいました。いつでも行けると思っていた場所。でもお出かけ手段が車中泊に変わってからはどうしても遠方が主になり、そのうち・・そのうちで・・今更ながらに「ああ・・残念だったな (-_-;)」

明日からは同じ近畿地方の「兵庫県」シリーズです。

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