一年前の今日、わたしはどこにいたのだろう?
近所のSさん宅で「ちいさい地産地消の市、マルシェ」の打ち合わせをしていたんだ。
あまりに長くつづく揺れにいやな予感と妙な不安を覚え、同席していた友人たちもおそらく同じ気持ちを持ったんだろう
その場ははやく解散して家に帰った。
それから4日後の15日、名古屋からの帰り道、車の中のカーラジオで福島の原発が爆発したことを知った。
TOKYO FMから流れた緊急速報ではどこかの大学教授が
「チェルノブイリに匹敵する、あるいはそれ以上になる可能性のある原発事故が起きました。
被爆をさけるため、福島から半径○百mにすむ住人のかたは家の窓を閉め、
やむを得ず外出するとしてもマスク、帽子を着用、帰宅したらすぐにそれを脱ぎ・・・」
この放送を聞いたわたしは震えが止まらなくなった。
とうとう起きた、どうするんだ?被爆?ほんとに被爆してる?!
この放送で放射能物質拡散による被爆の危険性を指摘して、ラジオで懸命にその危険性を説明し避難を訴えていた教授は
いまでは誰なのかよくわからない。調べてもあまり出て来ないのだ。
おそらく京都原子炉研の小出助教ではないかと思うんだけれど。
うちの畑、ちいさいけど見てるとほっとする。
ここ最近しりあった福島から移住してこられた一家(ご主人は福島に残っている)に自然農塾をすすめてみた。
「こんどの11日が畑の指導日なんだけどね、よかったら一緒に行きませんか」
「そうね、ありがとう。でもこの日はちょっと特別というか。
なにするでもないんだけど、家にいて・・・祈るというか・・・」
息をのんだ。
ああ、そうだ。そうだよね。
わたしやっぱり遠距離にすんでてそこに思いが寄らなかった。
自分はやっぱり部外者意識だなと思った。
一年後の今日3月11日は、東野自然農塾の日でした。
あたたかい小春日和の中、畑の指導のまえにみなさんと黙祷をしました。
うちの little farmer。黒いミツウマのながぐつがお似合い。
先々あなたたち、さらにつぎの子どもたちのために何ができるのかな。
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