今年の味噌仕込みは遅くなってしまった。
GW初日。子どもの手をあてにしていたら高校生は部活、小学生はハライタで手伝えないという。
(駅前の定食屋さんで玉子どんとうどんのセットを頼んで食べすぎたのであった)
しょうがないから豆を潰すのは父ちゃんとわたしだけ。
まず前日に豆を茹でる。
前年までは圧力鍋で茹でていた豆は、今年はホームセンターで安く購入したかまどに
どっかから流れてうちにやってきていた銅の鍋、これでゆっくり茹でる。
裏山にはヤマツツジが咲いていて、遅咲きの山桜が散って鍋に入ってきていた。
この銅鍋、直径40cm以上、深さも20cm。
計っていないけど厚さもかなりあり、もちろん重たい。
どうやらどこかの外国の、お菓子を作るときの特殊なお鍋らしい。
手作りでしかできないでしょう、このお鍋。打ちつけた跡も見える。
いろんなところを流れ流れて、うちにたどり着いたものの
どうやって使ったらよいのかわからず放置されていた。
この度大豆茹でという初仕事(その前に緑青や黒ずみを落とすので一時間かかった)。
朝10時に火入れして、茹で終わるのが夕方。沸騰もないおだやかな茹で。
何となく豆が甘くなっている気がする。
手で潰し、早川さんの醸した麹さんに加わってもらって完成。
おいしくなーれ、おいしくなーれ。
掛け声は8歳息子の唯一の仕事。
一仕事終えた後の道具たち。
洗って干されて、風呂上がりみたい。
銅鍋ももちろんピカピカにして、次回の仕事に備えます(といっても何の料理に使えばよいのか)。
前にテレビで見たような気がします。
私は子供のベビーバスをよくよく洗ったりアルコールで
拭いて味噌づくりに使っていました。
実際ベビーバスというのは殆ど使わなかったような
気がします。
それに古いソーセージメーカー(アメリカ製)で大豆を
潰していました。
本来お肉を入れてハンドルをぐるぐる回すと
横の蛇口状のところからひき肉になって出てくるので
そこに塩漬けの羊の腸を塩抜きしてセットしておくと
腸の中にひき肉が詰まっていくという
ものです。これがなかなか難しく腸が破裂して
天井までひき肉が飛び散ったり
うまくいけば将来は腸詰屋を開業しようかという
夢はあえなく潰えました。
その後お味噌作りの大豆をつぶすのに
最適とひらめいてからはこのいつ誰がどのような
理由でアメリカから持ち込んだのかわからない
古道具がとてももてはやされて友人たちも
味噌作りに参加させてとやってきては
ハンドルをぐるぐる回しました。
そのうち味噌専用の品種の大豆を生産してくれていた
親戚がもう作らなくなり、麹を作っていた人が廃業
したりで段々我が家の味噌作りは衰退しました。
大豆と塩と麹を捏ねてからテニスボール大に
しっかりと空気を抜きながら成型してそれを
甕に入れるときにばしっと叩きつけながら
詰めるのは私の母譲りの方法でした。多分今になって
思い出すとカビの元になる空気を抜く方法だったの
かしらと思います。
この最後の作業は息子のお気に入りで
朝から始めると丁度このばしっ!の作業の頃に
学校から帰ってきて喜んでやってくれました。
お宅では伝統芸能が脈々と受け継がれて
うらやましいです。
うちでは他にも廃れてしまったものがあるような気が
します。それで新たに獲得した芸があるかといえば
あまり無いしで楽しみの少ない我が家になりました。
ホッとしています。
この銅の大鍋、大釜といったほうがいいですが
たしかもらったとき、お菓子作りに使っていたと聞いています。
5キロはあるかな、これを使いこなしていた職人さんは
大変だっただろうな。何を作っていたのかしら。
tenfingersさんはいろいろ手仕事がお好きな方と見受けしています。
いろいろ楽しんで作っていらしたんでしょうね。
(ソーセージ、一度やって見たいと思っていましたが
腸の皮が高価でやめました、さみしい)
お子さんにもその楽しみは伝授されていると思います。
うちも味噌作りやベーコン仕込み、下手な靴下編みなどをオタオタやってるわたしを見て、
何十年後かに
「そういえば母ちゃんは昔こんなことやってたなあ」なんて
思い出してくれたらそれでいいかなと思います。
買うのが当たり前だとは思わないでほしい。
ちょっと前、今の高齢のおばあちゃんおじいちゃんの頃は
みんな手で生み出していたのだもの。
買うことが一番豊かだってことはないですもんね。
さてさて、次は何をしようかしら。
今年は父ちゃんが苗代を作っていますが
わたしが「そうしようよー」と強烈にプッシュしてこうなりました。
苗床の上を猫が歩いています。
育たなかったらどうしよう。