JAが配る「JAひがしみの」に知ってるおじさんが出ていた。
うちがこの家を建てるとき、近くに借家を借りてそこから通って建ててたんだけれど
その借家のご近所のおじさん。
ちいさかった息子を散歩しておじさんの家の前を通ると
よくみかんやお菓子をくれた。
おじさんは年齢からするとおじいさんで、おばあさんの奥さんととてもよく働く。
おじさんが薪をナタで割るとおばさんが隣でそれをさらに小把に割ってく。
そのすがたをよく見かけて「いいなあ、あんなカンジで歳をとっていきたいなあ」って思った。
このコラムを読むと、山だった土地を開墾して、苦労して食べていく生活がわかる。
耕耘機がないからウシを飼い、慣らして田んぼ作業をさせる。
軍手も長靴もなく素手素足で田に入り早朝から夜中まで働く。
だから朝、10時、昼、午後3時、晩、夜食とたべなければ体が持たなかった。
当時は二毛作で米の後に麦を作った。
子どもの頃は手伝うと生の赤かぶをおやつにもらったのをおぼえてる。
5日働くと一日休みだが山菜採り、魚釣りをしに出た。
昭和40年代には政府の命令で60アールの原生林を切り開いた。
工務店に勤めて帰ってくるとヘッドランプを頭につけ原生林を開墾し田んぼをつき固めて作った。
今では考えられない動きをしている。
でもみんながこうだったんだろう。
女の人も子どもも老人も、寝る頃にはその日のエネルギーを使い果たすくらいに。
「今は一年中、盆か正月のような食卓に変わった」ってあるけれど、それは労働時間も同じだろう。
わたし、こんな動くことができるだろうか? できない、できない。
昭和30~40年代、100年も経ってないことなのに
世の中は身体を使ってはたらくことから大きく離れてしまった。
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